第39話

 せっかく志保と親しくなったのに、呼び名が名字にさん付けなのでは、嵐士は堅苦しくてたまらなかった。クーラーの効いた涼しい部屋で、イチゴ味の高級アイスクリームを、小さなスプーンでちまちま食べながら、嵐士は呼び名の件をどう切り出そうかと考えていた。俺たちもう友だちですよね、さん付けはやめましょうよと年下の自分から言うのは何だか図々しい気もするが、それでも、堅苦しいのは苦手なんですとぶっきらぼうに伝えるよりは、まだ自然に見えるだろうか。


 それはそうと、初めて食べる高級アイスは最高だった。酸味を伴った上品な甘さが、勉強で疲れた脳に染みわたり、心地いい。これまでの短い人生の中で、1つ300円台のお菓子を出してもらうなどという、贅沢なもてなしを受けるのは、初めてのことだったので、彼は静かに感激していた。


 嵐士の、アイスを一口一口いとおしむように食べる姿が、よほど幸せそうに見えたのか、志保が微笑みながら言う。


「私の分も、少しだけもらっていいよ」


「あ、いや、腹壊すといけないんで」


 嵐士は恐縮する。小さな器に入った高級品なので、一口でも横取りすることははばかられた。


「国上さんって、おとなしいね」


 志保が不思議そうに言う。


「何だかもっと、やんちゃな人だと思ってた」


 なぜそうなるのだと嵐士は不思議に思った。確かに自分は「非行少年」たちとつるんでいた時期もあったが、少なくとも志保の前では妙に恥ずかしがってしまって、まだおとなしいところしか見せられていない。第一、自分は、誰の前でも、普段から悪ぶってなどいないのだ。始めから、おとなしい素の姿でいる。


「アイス、口の周りについてるよ」


 志保が机の上のウェットティッシュを1枚とり、嵐士の口周りを拭おうとする。嵐士は自分でやるのでいいですと、慌てて志保の手から濡れティッシュを奪い取った。何というか、あまり色っぽい雰囲気にはなりたくなかったのだ。付き合うどころか、まだ自分の気持ちがどうなのかもつかめていないというのに。


 志保の方はといえば、元よりからかう気満々だったらしく、うつむいてくすくす笑っている。嵐士は、初対面と少し親しくなってからではこんなに違うのかと驚いていた。初めて会った時はこちらが心配になるくらい緊張していたのに、2、3週間程度経った今では完全に打ち解けて、このような悪ふざけまでしてくるようになった。彼女の調子がいい時の姿を見慣れてくると、本当にこの人は心の病気を患っているのだろうかと疑わしくなってくる。本当に、どこにでもいる、よく笑う、思春期の少女といった風情なのだ。


 この日、嵐士は志保の家に2時間ほどいたのだが、結局、それだけかかって進路希望調査票に書けたのは、未定の2文字だけだった。

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