第24話

 しかし、その安心感がよくなかったのかもしれない。グループホームに来た、その日の夜、嵐士は父親と命の奪い合いになった日の夢にうなされ、深夜に目を覚ました。相手の血走った目、鬼のような形相、包丁、足元の血だまり…。


 真夜中に自分の悲鳴を聞いて飛び起きたときには、嵐士は冷や汗をかいて、呼吸を乱し、動悸まで感じていた。あの恐怖の時間が現在のものではないのはよかったが、あの血まみれの、おぞましい映像は、しっかり頭に焼き付けられ、すぐには消えてくれそうにない。


 とにかく、落ち着かなくては。嵐士は極度の緊張で乾燥した喉を潤すために、冷蔵庫のある1階へ降りていこうと思い、自室を出て、階段に向かう。階下のリビングからは、電気の光が漏れていて、昇か、職員か、誰かしらが起きていることを伝えていた。


「おや、嵐士君も眠れなかったみたいだね」


 階段から降りてきた嵐士に気付いた職員が声をかける。


「ええ、まあその、喉が渇いてしまいまして」


 嵐士はきまりが悪く、普段は使わない、ぎこちない丁寧語でお茶を濁した。怖い夢を見て起きてきたという事実を伝えるのは、借りを作るというか、弱みを握られるようで、嫌だったのだ。


 リビングの椅子に座った職員が台所の方を指さして言う。


「池野さんも、起きてるよ」


 確かに、職員の指さす先には、キッチンのガス台の前に立ち、やかんで湯を沸かす昇の後ろ姿が見えた。周りの一般市民は寝ているであろう深夜なので、嵐士は隣の職員に小声で尋ねる。


「一体、何を作っているんですか、昇さんは。まだ零時なのに」


「さあ、夜勤の見守りでここに座っていると、たまに夢遊病みたいな感じで、フラ~っと降りてくるんだよね。それで、お湯を沸かして、湧いたらきちんと火を止めて、そのまま部屋に戻っていく。別にお腹が空いてるとか、喉が渇いてるとかじゃないみたいだね」


 ここで眠そうな目をした昇が、お盆に人数分のお茶の湯呑みを載せて戻ってくる。 


 自分と職員の分だけでなく、ちゃんと俺の分まで持ってくるなんて、まるで俺が起きてくることを予期していたみたいだなと嵐士は思った。ただ単に、少し多めに作ったところに、もう1人加わったから、余りそうな分をおすそ分けしたというだけかもしれないが、昇なら予知していてもおかしくないと、嵐士は特に根拠もなく思うのだった。

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