第46話

「昇さん、面会どうでした?」


 クッキーをかじりながら、嵐士が遠慮がちに尋ねる。


「俺のところには、本当に誰も来てくれなくて、外の情報が何も入らないんです」


 嵐士君は学校に行っているし、新聞も読んでいるから大丈夫だよと職員が笑うが、昇はそれに同調する気にはなれなかった。きっと、嵐士が本当に気にしているのは情報うんぬんの話ではない。家族が誰も会いに来てくれず寂しいが、それを正直に表に出すのも嫌なのだろう。児童養護施設時代に母親が1度も面会に来ず、肉親から見放される苦しさを知っていた昇は、職員の無神経さを恨めしく思った。職員に対する苛立ちを抑えながら、いつものメモ帳に、会ったのは友達なんだけど、髪を緑に染めてたよと書いて嵐士に見せる。


「いいですね。お金があると、自由になれるのか…俺も中学を卒業したら、さっさと就職して、自分で飯代を稼いで、1人で生きていきます。大人たちの勝手な事情で振り回されるのは、もう終わりにしたいので」


 そう淡々と話す嵐士の目からは、並々ならぬ決意と覚悟、そして寂しいあきらめの表情が見て取れる。そんなに思い詰めなくてもいいんだよ、大人だって誰かしら、あるいは何かしらに頼って生きているのだからなどと、嵐士の事情を詳しく知らない昇に、そんな無責任なことが言えるはずもなかった。


 一方の職員は、相変わらずのんきな調子で、アドバイスを始める。


「え~、もったいないな。嵐士君、せっかく頭いいんだからさ、高校行けばいいじゃない。学費なら法人が出すし、教養というか、学歴があった方が、条件のいい仕事に就きやすくなるんだよ」


 職員の前向きな発言に、もともと沈んだ面持ちだった嵐士はさらに表情を曇らせる。


「別に頭良くないですし…そもそも小5くらいからずっと学校に行っていないんですよ。高校どころか、中学生の今だって、授業が全然わからないんです。俺に進学なんて、無理ですよ。それよりは、早く手に職をつけて、早く自由になりたいです」


 職員はわざとらしく肩をすくめてみせる。


「それで、池野さんも気づいているとは思うけど、嵐士君、先週に進路面談があってからずっとこんな調子なんだよね。池野さんからもどうにか言ってやってくださいよ」


 この場面における、「どうにか言う」とは、何を意味するのだろうか。 昇には、職員の意図が、今一つ掴めなかった。焦って就職するよりも、進学して可能性を広げた方が後々有利になると説得すること? 進学するにしろ、就職を選ぶにしろ、もっと前向きな態度で臨んだ方がいいと諭すこと? どちらにしても、昇にできる仕事ではなかった。彼には、職員のポジティブマインドよりも、どうしても明るい未来を想像できず、後ろ向きになってしまう嵐士の気持ちの方が、よく共感できたのだ。しかし、そのネガティブさを助長するのも、嵐士のためにならないと思ったので、昇は迷った末、そうですね、嵐士君がしんどくなければ、私も進学の話はありだと思うよと、曖昧に言葉を濁すだけにとどめておいた。それが卑怯な態度であると知りつつも…。



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