第36話

 運命はつくづく残酷なものだと、嵐士は思った。


 彼が15歳の誕生日を迎えたころ、それと入れ違いになるかのように、彼の父親が亡くなったとの知らせが届いた。長年の過度な飲酒が招いた、肝臓の病が原因だと言う。父親の酒乱ぶりに悩まされていた母親はその葬儀に出席せず、母親のもとに残った2人の子どもたちも、その意向に従い欠席した。施設にいた嵐士は、職員の判断により、まだ家族には会わせない方がよいだろうということになって、葬儀が終わるまで、父の死を告げられることはなかった。47歳の故人は、家族に見送られることなく、1人で旅立ったのだ。


 幼い頃から弟妹をかばって彼らの分までひどく殴られていた嵐士は、父親にそこまでの思い入れはなかったが、最期は孤独な旅立ちだったと聞くと、悲しみでも、同情でもなく、また、嫌な奴がいなくなって清々したという晴れやかな気持ちとも違う、何とも言えない複雑な心境になるのだった。


 一方、一時行方不明となった志保は、詳しい経緯は不明だが、以前から通っていた町の精神科病院の駐車場でうずくまっているところを近隣住民に発見され、警察に保護された。その後、迎えに来た作業所の職員の運転により自宅に戻り、何事もなかったように福祉作業所の仕事に復帰している。


 そして、事件から1週間と経っていない嵐士の誕生日には、予定通り交流会の余興としてミニコンサートを開き、ピアノの腕前を披露した。曲目は、ハッピーバースデーの歌と、嵐士からリクエストのあった、尾崎豊のI Love Youの2曲。ミニコンサートの評判は前回までと変わらず、今回も大盛況・大好評で、終了後、会場が小さいため30人ほどしかいない観客は総立ちで彼女に拍手と喝采を送った。


 その直後、当日誕生日の嵐士からは、壇上にてサプライズで花束の贈呈があり、どちらがこの日の主役なのか分からない状況になったのだが、花束を受け取った志保は照れてはにかんだような笑顔を浮かべていた。もちろん、嵐士のグループホームの松田職員をはじめとするおじさんたちが、よっ、アツアツだねと無神経にそれを冷やかしたのは言うまでもない。


「ノンちゃんは、この前のあの子と結婚するわけ?」


 おじさんたちの冷やかしに便乗して、美月さんが今度は昇に尋ねる。この前のあの子というのは、たぶん嵐士のグループホームに宛てて食べ物を送ってくれた、昇の女友達のことだろう。嵐士は彼女に直接会ったことはなかったが、存在だけは昇自身や職員から話を聞いて知っていた。


 昇はこの前と同様、困ったように笑った。


「いや、そういう間柄でもないんですが…」


 美月さんが冗談めかして言う。


「じゃあ、私がノンちゃんとところにお嫁に行っちゃおうかな」


 そこへサチ江さんも乱入する。


「美月ちゃんもいいけどさ、よかったら、私の義理の息子にならない? うちの娘、美人なのに、全然結婚する気配がないのよね」


 みんな、冗談で言っているのだとは思うが、見方によってはなかなかのセクハラ発言である。こういう不謹慎なノリには付き合いたくないので、嵐士はあえて笑わず、不機嫌な顔を作って黙りこんでいた。


――別に、結婚したからといって、必ずしも以前の人生より幸せになれるとは限らないのに、この人たちは何を言っているのだろう。


 両親の悲惨な顛末を8年間見てきた嵐士には、幸せで安全な結婚生活を続けることの難しさと厳しさがよくわかっていた。破綻した家族関係を無理に続けることが、かえって人を不幸にすることも。それでも、人間は弱い生き物で、1人きりでは生きられないようにできている。何と残酷なことなのだろう。


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