第28話
――いや、今は固まっている場合じゃない。小遣いのために、働かなくては。
嵐士は書類の束と封筒の束から1枚ずつ取り、自分の手元に置いた。そうして、書類の方を縦3等分に折ろうとするが、動揺して手が震えているのと、もともと几帳面なのとで、なかなかこの位置で折ろうという決心がつかない。自分が3等分だと思っているラインがもしかしたら4等分の線なのではないかと思ったり、こんなに手が震えていたら、紙をぐしゃぐしゃにしてしまうのではないかと思ったりしているうちに、折る位置がだんだんわからなくなっていく。
そんな嵐士の様子を見かねたのか、志保の青白い手が視界に入ってくる。
「この、折り目の線」
彼女の人差し指は、書類の上の、手紙の部分と振り込み用紙の境目の、ミシン目を指していた。下はここで折ればいいということのようだった。確かに、言われた通りに試してみると、下だけでなく上もちょうどいい塩梅になり、きれいな3等分ができあがる。
――さすが先輩、俺より先に来ただけあって、コツを心得ていらっしゃる。
嵐士は心の中で志保に拍手を送った。しかし、実際に嵐士の口から出た言葉は、素っ気ない「どうも」の一言だけで、彼は自分でも歯がゆい思いをした。
それでも、10時から12時まで、志保から直々に教えてもらいながら、お試しで発送班の作業をしているうちに、少しずつ打ち解けてきて、志保が近くにいてもだんだん気にならなくなってきた。それどころか、せっかくだから何か話してみたいという気持ちになって、何気ない雑談を投げかけさえもした。
「普段、暇なときは何をしているんですか」
嵐士の問いに、少し間を置いてから、志保がぼそりと答える。
「ピアノ」
ここで、それまで静かに2人の様子を見ていた職員が、志保の発言を補足する。
「木ノ内さんはね、保育園の時からピアノを習ってたんだって。もう始めてから10年以上になるのかな。音楽にあまり詳しくない僕が言うのもアレだけど、すごく上手だから、月1度の集会所での利用者交流会では、たまに1、2曲弾いてもらって、ミニコンサートみたいにすることがある」
「いいですね」
気がつくと、無意識のうちに声が出ていて、嵐士は戸惑った。
「自分は育ちが悪いから、ピアノなんて、学校の音楽の授業で見かけたほかは、あまり縁がなくって…。木ノ内さんのピアノ、ぜひ聴いてみたいです」
職員が、おっ、大胆だねと笑う。何が大胆なのかはわからないが、普段ひねくれ屋の自分にしては珍しく直を物言いだったということは、嵐士自身も感じていた。職員のいかにも「おじさん」な冗談は放っておくとして、志保の表情が心持緩んだように見て取った嵐士は、少しだけ幸せな気持ちになるのであった。
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