第61話 絶望

 昼食を食べて昼寝していると、だんだんと校舎から話声が聞こえてきた。

 もう放課後になったらしい。

 生徒会は…行ってもどうにもならんか。

「少し出かけてくる。」

 俺はヴァーレンにそれだけ言うと、俺は不可視化の魔法をかけて寮を抜け出した。


 扉をノックする。

 なんの反応もなし。

 俺はそのまま扉を開ける。

 鍵もかかっていない。

 最初に来たときと同じ。


「イグルム。居るんだろ?」


 その光が差し込む家の奥から、その大きな猫耳が姿を現す。

「ルーカスさん、来てくれたんですね。でも、今はしーっです。」

 イグルムは俺の方に近づいてくると口元に人差し指を当てる。

「何かあったのか?」

「あれです。」

 そこにはテーブルに突っ伏して寝ているイツキがいた。何してんだあいつ。

 そのテーブルの上には酒瓶が二本空になっている。

「ナガラ先生、たまにここに来てくれるんです。でも今日はなんだか荒れてましたね。お酒を飲むなんて珍しいです。」

 イグルムは耳をピコピコさせながら首をかしげる。

「まあ、あいつ酒に弱いしな。普段宴でも水しか飲んでなかったし。」

 昔のことを思い出す。依頼を達成したあとで一緒に飲もうと誘ったことがあった。だが、こいつは結局一口も飲まなかったのだ。

「そうなんですね。まあ、それはそれとして、私はみんなのお世話に戻りますね。終わったらお声掛けするので、またお話ししましょうね。」

「ああ。行ってら。」

 俺はイグルムを見送ると、イツキが座っている小さなテーブルの向かい側に立つ。

 そして、こいつのおでこめがけて強力なデコピンをお見舞いする。軽快な音と共にイツキが飛び起きる。

「痛いぃ!何ー…」

 イツキは顔を押さえながら目を開く。

「おい起きろ。体痛めるぞ。」

「エルラド…」

 俺は椅子を持ってきてイツキの向かい側に座る。

「昨日はごめんなさい。あんな目に合わせちゃって。」

 彼女が最初に口にしたのは謝罪だった。

「別に気にしてないよ。お前も気にすんな。」

 俺は軽々しくそう口にする。

「でも、私、何も言えなかった…」

「言わなくていい。お前は自分のことだけ考えてろ。」

 こいつにだって教師としての立場がある。俺の味方をするのだってしたくても出来なかったんだろう。それくらい俺でもわかる。

 おそらくだが、生徒会長が言っていた怒っていたというのは、俺が来る前にもうひと通り声を上げてくれていたのだろう。なんとなく察しが付く。

「…あなたはいつもそう。」

 イツキは下を向きながらそう呟く。

「え?」

「ねえ、最近見ててずっと思っていたの。あなたらしくないわ。あそこまで言われて何もせずに引き下がるなんて。昔のあなたなら間違いなく喧嘩になってた。」

 俺はそう言われて、一瞬言葉に詰まる。

「…あー。まあ、俺も歳だからな。もう若い頃とは違うんだよ。」

 はははっと笑って誤魔化そうとする。だが、イツキは容赦なくそこを責めてくる。

「嘘。それだけじゃないはずよ。ねえ、教えて、どうしてそうなっちゃったの?」

 俺は乾いた笑顔をやめてうなだれる。しばらく無言の時間が流れる。

 どれだけ経っても、イツキは俺の言葉が来るのを待っていた。

「はぁ…しょうがねーな…」

 俺は観念して口を開く。大きくため息を付くと机に肘をついて、両手で頭を抱える。

「実を言うと、もうなんか全部どうでもいいんだ。いまいちやってること全てに現実感がない。だから流されるがままにここに来た。やれと言われたことはやるし、嫌になったら辞めるけど、人に言われないと俺は多分もう動けない。そんな感じだ。感情が湧いてもすぐに消えちゃうんだよ。」

 俺は村を出てからここに来るまでに感じていたことを吐露する。

 何か言われても心の底から怒ることもなくなった。

 あるのは輝かしい思い出と、へばりついた穢れた記憶だけだ。

「俺は、なんのために転生したんだろうな。」

 そう。俺は今の自分を見失いかけていた。

「エルラド…」

「別に何も感じてないわけじゃない。確かに感情はある。でも、その先がない。繋がらないんだ。感情が行動に。」

 だから、言葉に重みがない。今の俺の言葉は驚くほど軽い。以前のように人を動かすような力はなくなってしまった。それどころか自分自身すら動かなくなりつつある。

 イリスのことも、イムニスのことも言われたからやっているだけ。問題解決に向かって動いてはいるが、その原点はやはり、人に言われたからだ。

 俺が自分から動き出したわけではない。


「マジで俺自身が俺のこと一番わかってないよ。」


 俺は心の内に抱えていたものを友達に吐き出した。


 その言葉を聞いたときまず最初に思った。

 これ、鬱だ。

 すぐに分かった。だって、私もそうだったから。

 エルラドの瞳は黒く淀んでいる。いつもは何かしらせかせか動いているので、気にもしなかった。

 だが、この言葉を聞くに、おそらく随分前からこの状態だったのだろう。

 彼が裏切られて心が弱っているのはわかっていた。だが、そんなレベルではなかったのだ。

 これはもういつ自殺に踏み切ってもおかしくない。彼は言われたら動いているだけだ。それが終われば本当に空虚になってしまう。

「エルラド…」


 私は時間をかける以外の解決法を知らない。


 だから、それに続く言葉が、見つからなかった。

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