第85話 油断

 地獄のダンスタイムを耐えきった俺は、バルコニーにある椅子にへたり込んでいた。

「ルーカス様、お気を確かに持ってください。」

 ロスリーが水の入ったコップを持ってきてくれた。

「ありがとう。もう無理。もう帰ってよくない?」

 その水を飲んで一息つく。

 さすがに王族とのダンス三連続は生きた心地がしなかった。会長と踊った後にシルビアが来て、その次はイリスに捕まってしまった。会長も人目があるんだから勘弁してほしい。

「ルーカス様、シルビア様からの言伝があります。『今日一日楽しかったわ。魔石は二人に預けたから、頃合いを見て寮に帰りなさい。』とのことです。寮までは私どもがお送りいたします。」

 俺はメリアのその言葉を聞いて、すぐに立ち上がる。シルからの言葉を受け取ると、ほっとして胸を撫でおろす。

 ようやく帰ることができるらしい。俺はシルの方を見る。すると、向こうはひらひらと手を振って、貴族との会話に戻っていった。

 挨拶も不要ということだろう。それを確認した俺は、二人と一緒に密かに会場を後にした。


 俺は小窓のブラインドを開けて、外の景色を見ていた。大学の校門が見えてきたあたりで、俺は降りる為にヴァ―レンを肩に載せる。

「二人とも、今日はありがとう。二人のおかげでなんだかんだ楽しかったよ。シルにもそう伝えてくれ。」

 笑顔で二人にお礼を言っておく。馬車での移動中や、休憩室でわいわい話したのは悪くない時間だった。

「ふふっ。そう言ってもらえて嬉しいです。私も楽しませていただきました。」

 ロスリーは小さく頭を下げてから返事をしてくれた。

「ありがとうございます。今度お会いするときは、今日のことを覚えているかテストいたしますね。」

 メリアはそう言って、俺にヘアピンを渡してくる。それは彼女が使っているものと同じ意匠が彫られたものだった。

「毎日練習するよ。」

 俺は頷いてから、そのヘアピンを受け取る。メリアの髪型をオルカンで再現できるように、気を利かせてくれたのだろう。本当に気の回るいい子だ。

 俺はそれをしまっておく。そして、それと同時に馬車の揺れも止まった。

「どうやら、着いたみたいですね。では、ルーカス様。今夜はシルビア様にお付き合いいただき、ありがとうございました。こちらが赤の魔石になります。」

 メリアが馬車の扉を開けて、外に出る。その手には、赤い魔石が入っているであろう小箱が握られていた。

 手元にあるものと合わせて二つ目だ。

 これで一つはイリス用の杖に回してもいいだろう。あいつにはシルに感謝するよう言って聞かせなければいけない。

 明日会った時に見せることにしよう。そこで杖を作るうえでの要望をきけばいい。

 俺は今日を無事に乗り切ったことに安堵して席を立つ。


 その時だった。


 開いたドアから赤い光が差し込んでくる。


 「ん?」


 それはどんどんと眩しくなっていく。


 俺たちが振り向く頃、その光は、馬車のすぐ側まで迫っていた。


 そして、激しい爆音と共に俺は外に吹き飛ばされる。

 「ぐああああ!?」

 馬車の破片と一緒に数メートル宙を舞った。地面に強く体を打ちつけ、傷ついた体に更に追い打ちをかける。地面を転がってその勢いが止まる頃、ようやく頭の理解が追い付いてくる。

 これは間違いなく、敵からの不意打ちだ。

「召喚!来い、オルカン!」

 オルカンを呼びだすと、すぐに思考を戦闘のものに切り替える。地面を這いつくばりながらも顔を上げて、すぐに魔法が飛んできた方向に目をやる。

 そこには最悪な光景が待ち構えていた。


 黒煙を上げて炎上する馬車だったもの。


 飛び散った馬と人の肉片。


 木と肉の焼ける匂い。


 散らばった二人の荷物。


 燃えるジレドの国旗。


 そこにはかつての戦場を彷彿とさせる地獄が広がっていた。

 そして、一番見たくなかったものが俺の目に飛び込んでくる。


「嘘だ…メリア!!」


 爆発の直撃をくらったはずのメリアが、馬車の側で倒れていた。

 俺は急いでメリアの元に駆け寄る。

 今なら回復魔法が間に合うかもしれない。その一縷の望みを託して、馬車の残骸を退ける。火が付いている木材を投げ捨て、曲がった車軸を横に追いやる。

「メリア、今助けるぞ!」

 引っ張り出すための空間を確保して、彼女の肩を掴む。全力で引っ張り出そうとすると、彼女の体はいとも簡単に持ち上がる。


 当たり前だ。


 だって、そこにメリアの下半身はなかったのだから。


 グチャッという音と共に彼女の内臓が地面に零れ落ちる。おびただしい量の血液が、白い石畳を真っ赤に染め上げていく。

 馬車の下には千切れた彼女の下半身が取り残されていた。既に瞳も動いておらず、呼吸も止まっている。

 俺は虚ろな目を開けているメリアを運び出す。馬車から離れた位置で寝かせると、その瞼を静かに閉じる。


 ついさっきまであったはずの笑顔が、一瞬にして消えた。


 湧いてくるのは怒り、怒り、怒りだ。

 俺は立ち上がると、少し離れた場所にいる敵を睨む。フードが付いた黒いマントを纏っており、顔はよく見えない。だが、その手には、昼にシルが見せてくれた赤い魔石が握られていた。

「”エンゲージ”────。おい、返せよ。」

 俺はすぐにスターダストレンジをセットする。

変形セット────、シングルバレル────。聞こえなかったのか?」

 敵が僅かに後ずさる。

装填チャージ────、ノーマルバレット────。もう一回言ってやる。」

 俺は最速のカスタムでスターダストレンジをセットする。

「メリアを返せって言ってるんだよ!さっさと元に戻せ!!」

 俺は躊躇なく砲撃する。地面を抉る爆発が敵を襲う。向こうは転がりながらも受け身を取って、すぐに杖を構えてくる。

 リロードの隙をつくつもりだろうが、そんなものはお見通しだ。

 飛んできた魔法はファイアーボール。

「シールド。」

 俺はそれを完全に防ぎ、スターダストレンジを再セットする。

 敵はそれを見て、もう一度同じ魔法を撃ってくる。何度やっても同じことだ。

 だが、今度の火球は俺のいない方向に飛んでいく。

「どこを狙って…!?シールド!」

 その先には気絶しているロスリーが倒れていた。俺は彼女を守るために自分のシールドを解除して、彼女の方にかけ直す。

 ギリギリで彼女の防御は間に合ったが、俺はその爆発の余波を受けて再度吹き飛ばされてしまう。

「くそっ!」

 急いで立ち上がって振り返るが、そこにはもう、敵の姿はなかった。

 とり残された俺は、一人、その場にうなだれる。

 メリアが一体何をしたというのだ。彼女は今日一日、メイドとして一生懸命働いていた。ロスリーだってそうだ。


 おかしいだろ。なぜそんな者たちが理不尽に死ななければいけない。


 「クソがぁぁぁあ!!」


 俺の怒りに満ちた叫び声は、誰の耳にも届くことはなかった。

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