第2話 閑話 その後 アリサ

 最初は遊びのつもりだった。

「そこのお姉さんお姉さん、美人だね~。」

「え?」

 振り返るとそこには若い男の人がいた。これまで会ったことがない、初対面の人。

「うわ、今の驚いた顔とか超かわいい。俺、すげー好きかも。」

 なんだか軽薄そうな人だった。でも、容姿を褒められるなんてこと、ここ数年夫以外にはされた記憶がなかった。


 だから、ちょっと良い気になったしまったのだ。


「ねぇ、ちょっとそこの店で一緒にお茶しない?ちょっとだけ、ちょっとだけだからさ。」

「え~。どうしよっかなぁ~?」

 少し考える素振りを見せて男の反応を見てみた。

「お願い!奢るからさ!ね!」

 こんなに熱烈なアプローチ、夫からも受けたことがない。私はどんどん気持ち良くなっていく。

 長らく忘れていた人から求められる感覚。一人の女として男の人から言い寄られるなんてこと、長らくされたこともなかった。

「じゃあ、少しだけですよ。」


 だから、本当にちょっとだけ、良い気になってしまったのだ。




「アリサ・クエルトラム。」


 夫からその名を呼ばれてハッとした。

「な、何よ?」

私の声は少し震えていた。それがなぜかはわからなかった。さっきまで彼と一緒にずっと体を重ねて、幸せの絶頂だったはずなのに。


「愛してたよ。」


「え…?」

 私にはその言葉が理解できなかった。彼を選んだ私になんでそんなことを言うのか、私には本当に理解できなかったのだ。


「────我が生はここより始まるものなり!輪廻転生!!」


「ま、待って、エル────!」


────待ってって?


────なんで今更そんな言葉が出てくるの。


────先に裏切ったのは私なのに。


 私が彼の名前を言い終わる前に、魔法陣が激しく光り、何かの魔法が発動する。私はあまりの眩さに目を瞑ってしまう。何かブシュッという音がなった気がしたが、よくわからなかった。

 目を開けた次の瞬間私の視界に飛び込んできたのは────。


「────ラド…」


 爆散し、血まみれの肉片と化した最愛の夫、エルラド・クエリティスだった。


「は、はへ…?」


 私の伸ばした掌は、真っ赤だった。血とどこの部位なのかもわからないくらいぐちゃぐちゃになった夫の肉。

「う、うわああ!うわああああああああ!!」

 私が正気を取り戻したのは、彼の悲鳴を聞いてからだった。

 彼は私をその場に放置して、自分だけ服を着る。すると、顔に着いた血もそのままに、走り去ってしまった。

 家に一人取り残された私は伸ばした手をに壁につける。そこにもぐちゃっとした嫌な感触があった。何かと思って手をどけると、そこには彼の眼球が壁に張り付いていた。

 光を失った夫の黒い瞳。それはこの世界全てを呪い尽くすのではないかという絵もいえぬ迫力があった。

 足から力が抜けていく。その場に座り込むと、ぐしゃっという音と共に夫だったものを踏んずけてしまう。

 そして、その音を聞いた瞬間、何故か夫との思い出が頭の中を駆け巡った。


「ぁ、いや。違う。違うの!嫌だ!ごめんなさい!!」


 何に対して、誰に対しての謝罪なのか傍から見たら意味不明だろう。だが、私は謝らずにはいられなかった。

「嫌、嫌ああああああああああああ!!」

 意識を保つことが困難になり、私はその場で気を失った。


 次に私が目を覚ましたのは、知らないベッドだった。


「ここは…?」


「クエリティスさん。目が覚めたんですね。」

 看護婦の格好をした若い女の人が駆け寄ってくる。

「少し待っていてください。すぐに先生を呼んできますからね。」

 そう言うと、看護婦は部屋の扉を開けて、廊下をパタパタと速足でかけていった。

 窓から吹き込んだ風によって、少し髪が揺れた。

 髪を抑えながら部屋にある小さな窓の方を見る。そこにはいつもの町の大通りの風景があった。なんてことはないいつもの風景。屋台では今日採れたばかりの野菜を売っている人や、別の町から取り寄せた珍しい品を売っているところもがあった。

 ああ、あの店の串焼き。確かあの人が好きだったはず。帰りに買っていかないと。

 懐かしい記憶が甦る。まだ結婚する前、夫と付き合っていた頃のことだ。




 エルラドと一緒に大通りを歩いている最中だった。彼の足がふと止まり、とある屋台の方を向く。

「あ、俺ここの串焼き好きなんだよなぁ。おっちゃん、一昨日ぶり!二本くれ。」

「はいよ!お、エル!なんだぁ今日はデートか~?見せつけてくれやがって!この野郎!」

「ああ、もう、頭撫でるなって!俺ももういい歳なんだから!」

 その店主とエルラドは顔見知りのようで、店主は彼の頭をぐりぐりと撫でて子ども扱いしていた。それを嫌がる彼が子供っぽくってちょっとかわいかった。

「悪い悪い!子供の頃のお前を知ってるとどうしてもな!彼女さん。こいつ魔法のことばっか考えてるからついて行くの大変だろ?」

 急に話を振られて驚いたが、私は笑顔で彼の方に体を寄せながら答える。

「いえ、そんなことないですよ~。今日もちゃんとデートの時間空けてくれましたし、エルラドも意外とちゃんとしてるんですよ?」

「意外とは余計だ。」

 エルラドはムスッとした表情でそう言った。だが、体を離さないところを見ると、本心で怒っているわけではないだろう。

「そいつは感心だ。ほれ、二本。今日は特別に半額でいいぞ。いつも贔屓にしてくれてありがとな。」

「マジで!おっちゃん流石!」

「やった~!」




 店主のご厚意に甘えて、安くしてもらった串焼き。二人で大通りを歩きながら食べたことは今でも思い出として焼き付いている。


 あれ?あの後、どこに行ったんだっけ?


「おお、目が覚めましたか。」

「先生…」

 窓の方を見て思い出にふけっていると、扉がノックされる。奥からさっきの看護婦と町の先生が姿を見せる。

「今回の旦那さんことは誠に残念だったと言わざるおえません。私としても何と言っていいものか…私としても町一番のいや、この国有数の魔法使いである彼から受けた恩の大きさは計り知れません。」


 え?あ、そうだ。もういないんだった。


「せめて、奥さんのあなたが生き残ってくれたことが奇跡です。彼も天国であなたの生存を喜んでいることでしょう。」

「本当によかったですね。」

 先生と看護師がそんなことを言ってくる。私はふと気になって、先生に大事なことをそれとなく聞いてみる。

「あの、私、さっきのことよく覚えていなくて…夫はどうなったんですか…?」

 そう聞くと、二人は暗い顔をして俯く。看護婦の方は後ろを向いて涙を流していた。先生も目を閉じて涙を堪えているように見えた。

「そうですか…いや、あなたには伝えなければいけません。落ち着いて聞いてください。あなたの夫、エルラド・クエリティスは魔法の実験中の事故で、ご自宅で亡くなりました。」

「え…?」

 魔法の事故…?そんなはずはない。あの詠唱はずっと夫が研究してきた超位魔法のものだ。先日ようやく完成したと喜んでいた。これで王にもやっといい報告ができると言っていたのに、それが失敗?そんな馬鹿な、絶対にありえない。

「原因はまだ不明です。ですが残っている魔力の痕跡から、何かの魔法を使おうとしていたのではないか、と。亡くなった人が人ですので、数日後に国から大規模な調査隊が派遣されるとのことです。」

 国からの調査隊。それを聞いて私の顔が青くなる。

 彼がずっと研究していたのは転生魔法というもので、記憶を引き継いで次の肉体に転生できるというものだ。それがバレたら何故そんなものを使わなければいけなかったのか、白羽の矢が立つのは一番近くにいた私だ。

 国で有数の実力を持っていた魔法使いの死。それにかかわっているとなればその罪の重さは計り知れないものになる。

 その後は魅了の魔法をかけられて尋問され、原因が私にあるとわかれば死罪だろう。


────なんとかして隠さないと。


「そうだったんですね…私の家はまだ無事なんですか?」

「はい。家自体は無事なのですが、その…なんて言いますか…彼の肉体は原型をとどめていない程損傷が酷く、遺体の方の埋葬は形だけにならざるおえないとだけ。」

「そう、ですか。」

 夫が死んでいる。そして肉体もない。なら死霊魔法で夫が甦って真実をバラされるということもない。

 なら、あとは二階の夫の部屋にある研究資料だけ抹消すれば…何か家に帰る言い訳を探さないと。

私は必死に頭を使って、夫の死の真相を隠蔽しにかかる。そんな中ふと目に飛び込んできたのは夫との結婚指輪だった。

「これだ…」

 私は目を細めて指輪を見る。

「クエリティスさん?」

「指輪!夫の指輪は見つかりましたか?私との結婚指輪なんです!」

「いえ、そのようなものが見つかったとはまだ…調査も明日から本格的に始まる予定ですので。」

 まだ見つかっていない。ならこれを探しに行くのを口実にして、家に帰れる。

「探しに行きたいんです!夫との大切な思い出なんです!」

「しかし、調査が始まるまでは…」

 先生とそんなやりとりをしていると、扉が開かれて、知らない男の人が入って来る。

「わかりました。私が案内しましょう。」

 男の人はこの国の兵士の鎧を付けていた。腰には剣を携えている。

「あなたは…?」

「今回の件でエルラド・クエリティスさんの邸宅の護衛を任されました。カリドゥスと申します。私の権限で氏の遺体がある部屋以外の立ち入りを認めましょう。私も彼にお世話になった身です。そのご婦人の願いとあればできる限りかなえてあげたい。」

 カリドゥスと名乗った男は、敬礼をしながらそんなことを言ってくる。流石に遺体がある部屋には入れないようだ。だが、これで夫の研究資料を燃やすことができる。

「ありがとうございます。よろしくお願いします。」

 私は立ち上がって礼をして、密かに微笑んだ。




 家に戻ってくると、周囲はすでに大量の兵士によって包囲されていた。他には何かあったのかと町の人たちが野次馬になっていた。

 一先ず家の中に入ることは成功した。これで好きなだけ夫の研究資料を探すことができる。

「あ、そうだ。カリドゥスさん。私って、しばらく教会の孤児院の方にお世話になるんですよね?」

「はい。その予定です。何かと不便ではあると思いますが、調査期間中はどうかご理解ください。」

 この孤児院でお世話になるというのはここに来るまでの馬車の中で言われたことだ。これを聞いた時、私の中でとある小さな計画を思いついた。

「いえ、そのことは大丈夫ですよ。亡き夫の為ですから理解しています。それでなんですけど、孤児院の方でお世話になる間の服などを持って行きたいんですけど、いいですか?」

「確かにそれは必要ですね。それでは部屋まで案内していただけると。」

 これだ。家に着くまでの言い訳として、指輪の件を持ち出したのはよかった。だが、カリドゥスが横についてくるのが予定外だったのだ。

 しかし、その障害もさっきの孤児院の話を聞いたことで回避する案を思い浮かんだ。

 私は恥ずかしがるような素振りをして、自信なさげな声で話す。

「えっと、その…下着などもあるので…できれば階段のところで待っていてくれると助かるんですが…」

「こ、これは失礼いたしました!そこまで気が回らずに申し訳ありません。そうですね…遺体がある現場も一階ですし、二階だけなら自由に動いても大丈夫でしょう。では、私は階段の下で待機しておりますので、何かあればすぐにお呼びください。」

 カリドゥスは完全に私の言ったこと信じているようだった。真面目な男を利用するのなんて簡単なものだ。

「ありがとうございます。」


 私は夫が使っていた部屋に備え付けられた暖炉に火を入れる。横に積み上げられていた薪を中に入れ、どんどん火を大きくしていく。

 そして、夫が使っていた研究資料などを全て燃やしていった。本は後で売れるかもしれないので研究に関係ありそうなやつは燃やし、残りはそのまま本棚に置いておく。全ての本がないと逆に本棚ががら空きで不自然に見えてしまうだろう。

 全ての証拠を燃やしたの確認し、私は自分の部屋に服を取りに行く。

夫に買ってもらった鞄に服を詰めて、自分の部屋を後にする。

「お待たせしました。服はこれで全部です。」

「私が馬車までお持ちしましょう。」

 私は念のため最後の証拠になりうる可能性のあるものを潰しておくことにした。

「ありがとうございます。それと一つだけ、ここの兵士さんたちに伝えてほしいことがあるんです。」

「なんですか?」

「今は季節的にも外でずっと待機するのは辛いですよね。ですので、一階にあるリビングの暖炉は自由に使っていただいて構いません。薪も家の裏にあるのでそちらを使っていただいて結構です。」

「いいんですか?調査期間中ずっと使うとなれば薪の消費量もかなりのものになりますが…」

「その程度どうということはありません。夫の死の真相を確かめる為ですから。その代わり、夫のことをよろしくお願いします。」

 深く礼をして、あくまでも夫の死の死の真相を確かめる為の協力だということを強調しておく。

「ご厚意痛み入ります。調査にあたるものもがぜん気合が入るでしょう。部下に伝えておきます。」

「はい。お願いします。では戻りましょうか。」

 私は心の底からの満面の笑みで礼をする。そして、自宅を後にした。


 馬車に乗り込んで、家を離れる時、ふと、黒いものが降ってきた。それはさっき燃やした夫の研究資料の燃えカスだった。家の煙突は二階のものと一階のものが繋がっており、風魔法で気流を操作して、外に煙がいくようになっている。夫が家を建てた時に楽しそうに言っていたことだ。

「俺の魔法陣を組み込んで作ったからな。調整も完璧だ!」


 それを自分の死の隠ぺいに使われるなんてなんて間抜けな────。


「どうしましたか?涙が…」

「え…?」

 向かいに座っていたカリドゥスが心配そうにこちらを見ていた。

 窓に映った自分の顔を見るとそこにはとめどなくなく涙を流す私がいた。ついさっきまで夫のことを馬鹿にしていたはずなのに。心の中で笑っていたはずなのに。

「指輪が見つからなかったこと、ショックだったんですね。私としても本当に残念です。もし、ご遺体の部屋にあった場合はすぐに報告しますので、それまでお待ちください。」

「はい…ありがとうございます…」

 なんだこの涙は。今だって全然悲しい訳ではない。むしろ彼と二人の人生を大手を振って歩めるのだ。これからの幸せは大きいはずだ。

 それなのに、煙突から出た灰が一つ、また一つと振り落ちる如く、家を離れるまで私の涙が止まることはなかった。

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