第73話 刹那の復活

俺は目の前にいるシルに跪く。

「イリス様、お元気そうで何よりです。私のこと覚えていますか?」

「もちろんです。お久しぶりです。シルビア様。王子も、今日からよろしくお願いしますわ。」

 イリスは普段の暴虐ぶりが嘘のように、優雅なお辞儀をする。

「こちらこそです。文化の違いなどでご迷惑を掛けることもあるかもしれませんが、よろしくお願いします。」

 俺は低姿勢のまま、なんとかしてシルの視界からフェードアウトしようと試みる。

「それでイリス様、そちらの方をご紹介してもらってもいいですか?」

 俺は王子のその一言でピタリと動きを止める。まだだ、まだ希望を捨てるな。多分近くにいたどっかの偉い貴族のことだろう。そうに決まっている。

 ゆっくりと視線を上げると、俺はシルと目が合う。


 ヤバい。


 俺は跪いたまま硬直する。

「王妃様、並びに王子様につきましてはご機嫌麗しゅう。名乗るのが遅れ、大変失礼いたしました。私の名はルーカス・リーヴァイスと申します。一庶民である私に、御前に跪ける栄誉をいただき、大変うれしく思います。本日は貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございました。私のことなどお気になさらないでください。イリス様とのご歓談を妨げたご無礼、どうかお許しを。」

 俺は失礼にならないギリギリに早さで捲し立てる。早く、この人の前からいなくならなければ。

 そう言って頭を深々と下げて、退散しようとする。貴族でもないと分かればシルの興味も失せるだろう。

「彼はこの大学でできた、私のご友人なんです。」

 だが、それを許さない暴君が俺の腕を掴んで引き留める。

 友人という言葉を聞いて、さっきまで興味なさげだった二人の目の色が変わる。


 ヤバいヤバいヤバい。


「イリス様のご友人、ですか。庶民のご友人とはイリス様はお心が広いですね。」

 王子が、嘲笑気味に馬鹿にしてくる。よく言ってくれた王子。もっと言ってやってくれ。そして、この手を離すように誘導してくれ。

 俺が密かに王子に希望を見出す。このままいけば俺はこの地獄のような空間から、逃げられるかもしれない。

 あれほど体裁を気にするイリスのことだ。ここは当然俺のことなんて切り捨てるだろう。俺はそう思って、イリスの方を見る。

「…どうも。ルーカスは最強の魔法使いなんですの。私は彼と友人なのを誇りに思う程ですわ。」

 こっちに歩み寄ってくるとその腕を俺の腕に絡ませて、イリスは言い放つ。

 表情は笑みを浮かべている。だが、その視線は笑顔と言うにはあまりにも鋭すぎる。

 イリスが珍しくブチギレていた。

「イリス────、様!私などに気を遣わせてしまい、申し訳ございません。今日は王族同士、高貴なお方たちと、その時間をお使いください。」

 俺はなんとかして、イリスをなだめる。やめてくれ。今回だけはマジでだめなんだ。俺のことを友人として、ほんの少しでも想う気持ちがあるのなら、ここから解放してくれ。

「あら、ルーカス。いつも通り呼び捨てでいいですわよ。それに敬語なんて初めて会った時以来じゃない。ため口じゃないとなんだか落ち着かないわ。」

 さっきよりも一際大きな声でイリスが話しかけてくる。その腕を更に絡めて、俺と体を密着させてきた。周りからは大きなざわめきが起こる。

「イリス様にため口────!?」

「あの問題児、命が惜しくないのか────!?」

 俺はそのざわめきから、自分が追い込まれていっているのを感じた。これ、ここに来てから過去一ヤバいかもしれない。

「へぇ…最強、ですか。ならばその実力、拝見してみたいものです。ねえ、お母様?」

 王子の矛先がイリスから俺に切り替わる。どうやら最強という言葉が気に入らなかったらしい。その冷たい視線の中に怒りが混ざっていた。

「そうですね。イリス様、折角ですからその者の実力、見せてもらってもよろしいですか?」

 シルの視線もさっきより冷ややかなものになった気がする。イリスの奴一体何考えてるんだ。いつもなら俺のことなんて放っておくところだろう。それを何故、よりにもよって、今日は張り合っているんだ。

「もちろ────。」

「とんでもございません!私なんか大学の末席に加えていただいているだけでも、奇跡なくらいです。私の実力なんてたかが知れております。少し、失礼します。」

 俺はイリスの言葉を強引に遮って、どこまでも下手にでる。もう俺のプライドとか体裁なんてどうでもいい。はやくここから逃げたい。

 イリスに顔を近づけて小声で話す。

「頼むから、俺のことは無視して話を進めてくれ。後でなんでもしてやるから。今回だけはマジで頼む。」

 俺は必死に頼み込む。今日だけは本当にやめて欲しい。

「…もう、仕方ないですわね。」

 イリスは腕を組んで、渋々そう返事をしてくれた。

 どうやら俺の願いは通じたらしい。こんな奴でも人間だ。俺の思いを欠片くらいはわかってくれたみたいだ。

 一先ず安堵すると、俺は二人の方に向き直る。

「話は終わりましたか?」

 シルはイリスに話しかける。俺は再度跪いて、イリスの言葉を待つ。あと少しの辛抱だ。もうあとちょっとでここからおさらばできる。

 イリスは腕を組んだまま、自信満々に言い放つ。

「やってくれるそうですわ。彼の力、よくご覧になってください。」

「何言ってのお前!?」

 俺は居ても立ってもいられず、大声を上げながらイリスの方に振り向く。

「ルーカスは、自分の最強の魔法を使ってくれるそうですわ。」

「イリス!話が違う!お前、何考えてんだ!」

 イリスのスカートに縋って、俺は嘆き続ける。さっきまで俺の考えに同意してくれていたではないか。なのになんで急に裏切ってんだこいつ。

「そこまでの自信。さぞ、すごい魔法なんですね。」

 シルは俺の方を見ながら挑発してくる。

「誤解です!私は本当にただの学生で────。」

「最強よ!私が見た中で彼以上の魔法使いは居ないわ!」

「イリス、本当に黙ってくれ!後で構ってやるから!」

 俺はどうにかこの状況を打破できないか必死に考える。

 もうあと一手で死ぬ。

 崖際ギリギリだ。

 泣きそう、というか、もう涙が溢れかけている。

 何か、何かあるはずだ。ここから逆転できる一手が。

 考えろ。

 今までの戦いだって、仲間と一緒に、いつもギリギリで勝ってきただろう。


 仲間と一緒に────。


 仲間と────。


 仲間────?


 その単語が心に響く。


「ああ、俺今一人か。」


 何故かその言葉は、俺の中にすんなり入ってきた。あの頃の仲間は、もう────。


「私がいるわ。」


 俺はハッとして顔を上げる。横を見ると、そこには自信に満ちた目を持った、彼女が立っていた。


「あなたは私のものになる予定なのよ?さっさと立って、いつもみたいに私を満足させなさい。」


 傲岸不遜。


 邪知暴虐。


 唯我独尊。


 だが、どこまでも自分の道を行くイリス。


 俺はそこに揺るぎなき心を見る。



「胸を張れ、エルラド────。」



 なんで、彼女の面影が重なる。イリスとは似ても似つかない。


 なんで、その言葉が蘇る。もうずっと、遥か昔の記憶だ。


 なんで、俺は立ち上がっている。


 ────決まっている。


 彼女に────、彼女たちに、呼び起されたモノが俺の中にあるからだ。


「…やっとあの時の顔に戻ったわね。やっぱり、あなたはその顔が、一番格好良いわ。」

 イリスの言葉を受け止めて、俺はその一歩を踏み出す。

 父さん。母さん。ごめんね。今だけ、今だけは許してほしい。この一瞬が終わればまた元に戻るから。


 だから────。


「二人とも失礼した。そして、謝罪を。先ほど俺は一つだけ嘘をつきました。」

 俺は彼らに深々と礼をする。

「嘘とは、何かしら?」

 シルはこちらに真剣な眼差しを向けてくる。

 俺は深く息を吸って、呼吸を落ち着かせる。

 そこに一切の迷いはない。

 頭を上げて、目を見開く。

「改めて名乗らせてもらおう。神器に届きし魔の杖よ、契約に従い我が元に顕現せよ!来い!オルカン────!」

 俺の目の前に、魔の令嬢は姿を現す。

「ご命令を。我が真の主よ。」

 その人形は、スカートの裾を持って俺に恭しく跪く。

「森の魔法使い、アスティア・インフェルの一番弟子。」

 最初に俺を認めてくれた人。

「元マキエル王国北部防衛軍所属、魔法部門統括。」

 それはかつての王がくれた、最高の名誉。

「名を、陣の魔法使い、エルラド・クエリティスだ。」


 俺は蘇った。


 今、この一瞬だけ。


 黄泉の国から、エルラド・クエリティスは還ってきたのだ。

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