第72話 再来

 背中だけでなく全方位から冷たい視線を感じる。

「女子を襲おうとした────。」

「なんで退学にならないんだよ────。」

 そう言った声は前より明確に大きくなっていた。

 俺は無事、全校生徒一の嫌われ者に出世したらしい。

 ぼーっとしながら、授業開始の時間を待つ。マジで寝不足だ。いつもの研究をやる、気力すらない。

「ご機嫌よう。いつも通りひどい顔ですわね。」

 俺が視線を上げると、そこにはいつもの顔がニヤニヤしていた。

「…おはよ。おかげさまでな。」

 お前のせいだぞ、と言外に嫌味を言う。

「それより、昨日は助かったわ。あなたって、意外と鍛えているんですのね。」

 イリスは隣に座りながらそんなことを呟く。

「…なあ、お前帰りは寝てたんだよな?な?」

 なんでそんな感想が出てくるのか。俺はこいつが寝たからわざわざあんな目に遭ったのだ。

 イリスはクスクスと笑って、俺を小馬鹿にするような視線を向けてくる。

「王女が夫でもない殿方の前で眠ると、本当に思っているんですの?」

 ああ、もう相手にするも馬鹿らしい。

 やめだやめだ。もう今日は寝る。

「でも、私を守るために抱き締めてくれたのは、嬉しかったわ。ありがとう、ルーカス。」

「はいはい。おやすみー。」

 俺は雑に返事をして、机に突っ伏して目を閉じる。

 もう今日は授業とかどうでもいい。

 イリスが聞いてきたら教えるのはやる。俺が言い始めたことだ。筋は通す。

 でも、それ以外でこいつと関わるのはごめんだ。

「ルーカス!ねえ、ルーカス!」

「…今度は何?」

 俺はダルい体を動かして、顔を上げる。

「一限目、訓練場に移動だそうですわ。教師の方が外部からお見えになるそうよ。ほら、早く立ちなさい。行くわよ。」

 俺はスタスタと歩き出すイリスを見送る。サボろうかな。

「行くわよ!」

 イリスは俺の腕を掴むと、強引に引っ張りながら教室をあとにした。


 訓練場に着くと、そこには今年入学した生徒が全員集まっていた。

「なにこれ?合同授業?」

 俺がイリスに耳打ちする。

 彼女はあきれ顔をしながら俺の質問に答えてくれた。

「先生の話聞いてなかったの?留学生が来るのよ。それと一緒に、その国から教師も一人派遣されてくるのよ。」

「へぇー。」

 だめだ。寝不足なのもあって全然頭に入って来ない。とりあえず、これだけの人数がいるのだ。途中で抜け出してもバレないだろう。

「全員静粛に!」

 俺がぼーっとしてると、アゴス先生が大声をあげる。

「これより、新入生の合同での実技授業を執り行う。まず始めに、今日から本大学で勉学を共にされるお方を紹介する。ジレド王国第一王子、ジャッジ・フォウ・ジレド殿下だ。」

 アゴス先生はそう言うと、一歩下がって礼をして誰かを待っていた。

「よりにもよってジレドからかよ…」

 嫌味ったらしく俺はそうつぶやく。俺は前世であった嫌な事を思い出していた。

「あら、意外な反応ね。行ったことあるの?」

「…前に、一回だけ。もう二度と行かんが。」

 俺はジレドで出会ったクソガキのことを思い出す。

 やれ、「庶民のくせに生意気よ。」だの、「私の命令には全部従いなさい。」だの、凄まじい我儘っぷりだった。

 結局、最後には「さすがにもう無理です。」と言って、マキエルに逃げ帰ったのだ。

「ご紹介に預かりました。ジレド王国の第一王子、ジャッジ・フォウ・ジレドと申します。今日からこの大学でお世話になります。よろしくお願いします。」

 その銀髪の端正な容姿の王子の挨拶に、周りから拍手が送られる。

 あのクソガキも、今はもう二十後半くらいの歳だろうか。時間が経つのは早いものだ。

「それと、本日の合同授業を特別に視察に来られた、このお方を紹介する。くれぐれも失礼のないように。」

 アゴス先生がそう言うと、たくさんの付き人を連れて、一人の女の人が姿を見せる。

 ああ、そういえばあいつも銀髪だったな。長さも確か、肩にかかるあれくらい────。

「…え?」

 俺は嫌な予感がした。

「まさか…」

 自然と体に力が入る。その目はあいつと同じ黄色の瞳をしている。

 いや、そんなわけがない、そんな偶然あって堪るか。

 頼む、嘘だと言ってくれ。

「ジレド王国王妃、シルビア・フォウ・ジレド様である。」

「シル────!?」

 そこには当時のクソガキもとい、俺の教え子、シルビアが立っていた。


 俺はその光景に呆気にとられる。

 あの我儘だらけだったクソガキが王妃。何かの冗談だろう。

「シルビアです。本日はよろしくお願いしますわ。」

 成長期の声変わりを経て、若干変わってはいるが間違いない。あいつだ。

「あのクソガキ…!よりにもってここに来やがるとは…!」

 俺は苦虫を嚙み潰したような表情をしながら、シルを睨む。

「クソガキって…王妃に向かってなんて口の利き方してるの。それに、シルビア様はあなたより年上でしょう。」

 横にいるイリスがそんなことをぼやく。そんなことはどうでもいい。重要な事じゃない。

 だが、あいつが来たのはあくまでも、王子を見守るためだ。なら大人しくしていれば、もう二度とあの顔と関わることもないだろう。

「王子の入るクラスには特別にジレド王国から来てくださった教師も赴任される。では、これより授業を開始する。」

 アゴス先生がそう言うと、先生たちが自分のクラスに向かって話し始める。

「ふぅ…見つからずに済んだか…」

 俺はシルがどっかに行くのを確かめてから目線を切る。

「そんなにシルビア様が嫌いなの?」

 イリスは不思議そうに質問してくる。

「嫌い。俺の嫌い度ランキングでトップスリーに入るレベルで嫌い。」

「へぇー。あなたに嫌われるって、中々ないと思うけれど…」

 お前もランクインしてるぞ、と声を大にして言ってやりたい。

 俺はジト目を向けながら口を開く。

「あのなあ、何を他人事みたいに────。」


「あら、そこにいるのはイリス様ではなくて?」


 俺はその背後からの声に寒気を覚える。

 嘘だ。

 なんでこんなこと。

 ありえない。

 ゆっくりと、そこにいる人が誰なのかを確認する。


 そこには王子とシルが立っていた。


 俺はそれを目視した途端、速やかに跪いて顔を隠す。俺がエルラドだと絶対にバレてはいけない。バレたら最後、こいつに殺されるかもしれない。

 俺はこいつから逃げ出したのだ。

 毎日降りかかる我儘に耐えきれず、心が限界だった。その後は一切連絡を取っていないので、向こうが俺をどう思っているのかマジでわからない。下手をすると憎悪を向けられているかもしれない。

 クーベルズ先生が手を叩く。

「はいみんな耳を傾けてー。皆さん知っての通り、このクラスにはイリス様がいる。同じ王族として、ジャッジ様も馴染みやすいだろうとのことで、このクラスに編入になられる。同じ生徒として仲良くするように。」

 そう言って、先生は拍手を送る。


 横に突っ立っているイリスに、俺は口を開けて驚愕の視線を送る。


 ────またお前のせいかよ。

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