第79話 次へのバトン

 バタバタした合同授業が終わり、時刻は正午に近づいていた。

「…」

 俺は不機嫌なままのオルカンに魔法陣を刻み直す。破壊された髪飾りと同じものをオルカンに着けて、教室で修復を行っていた。

「置いて行って悪かったって。そろそろ機嫌直してくれ。」

「もう怒ってない。それに、俺はお前に謝ってほしいわけじゃない。」

 オルカンは手鏡で髪飾りの具合を確かめると、すぐに帰ってしまった。

「あなたの杖って自由よね。本当に隷属させてるの?」

 横でそのやりとりを見ていたイリスがそんなことを聞いてくる。

 隷属と言うのは奴隷契約の魔法のことだ。

「形だけ、な。隷属の呪言は使ったことないよ。あと、ヴァーレンの方はあくまでも大人になるまで預かってるだけだ。隷属はさせてない。」

「本当なんですの!?私のヴォーグルでさえ、最初は言うことを聞かなかったのに…」

 隷属なんてさせた日には、もうヴォルガが怒り狂うだろう。あいつと戦うのはもうたくさんだ。

「じゃあ、また午後な。」

 俺は立ち上がると、いつも通り庭園館に行こうとする。

「待ちなさい。」

 俺は腕を掴まれて歩みを止める。

「なんだよ。」

「ジャッジ王子が用があるみたいよ。」

 俺が振り向くと、そこにはシルの子供のジャッジが立っていた。

「さっきは失礼した。お母様から、お前がどれだけすごいのか、散々聞かされたよ。」

 ジャッジは申し訳無さそうな顔をしながら、謝ってくれた。俺が無礼なのは事実なので、気にしなくてもいいのに、律儀なやつだ。

「その、よければ俺にも魔法のことを教えてほしい。お前が昔、お母様にやってくれたみたいに。」

 そう言って彼は俺に一本の杖を見せてくる。

「これ…」

 その杖を見た途端、当時の記憶が脳裏を駆け巡る。アイリーンでの経験を活かし、作り上げた杖。


「エルラド様、これで完成ですね!」


 そして、あの子が遺してくれたモノの一つ。

 俺はその杖に触れる。

「シルの奴、まだ持ってたのかよ…」

 杖全体に刻み込まれた、おびただしい魔法陣。

 それらは全て俺と彼女が刻んだものだ。

 少しでも魔力を通すように。使い手の負担が減るように。それは使い手のことを第一に考えた、初心者用の杖だ。

「変わった杖ですわね。あなた、これに見覚えでもあるの?」

 イリスが顔を覗き込んで、杖をまじまじと見る。

 俺はこれに触れて、シルに手渡した時のことを思い出していた。

「試作品ラムダ────。もう20年以上前に、俺がシルに贈った杖だ。」

 彼女に魔法を教えることが決まった時、当時の俺は全力でそれを遂行しようと思っていた。

「シルビア様に…」

 年季が入っているはずのラムダは、綺麗にその姿保っている。ずっと欠かさず手入れをしてくれていたのだろう。

 ラムダを捨てずに持っていてくれたこと。それは心の底から嬉しいことだ。

「この杖は、俺が魔法を学び始めた日に、お母様がくれたものだ。」

 ジャッジはこの杖をシルから受け継いだそうだ。シル曰く、「駆け出しには最高の杖になるはずよ。」と言ってくれたらしい。

 嬉しい話だ。シルに贈ったものが、次の世代に受け継がれていく。それはあの子が生きた証が世界に刻まれているということだ。


「そうか…よかったな、デルタ。」


 前世でその最後を看取った、かつての相棒の名を口にする。

 実験体デルタ────。

 まだオルカンを完成させる以前、人形に関する研究のため作ったものだ。よく笑う子で、誰とでもうまくやれる穏やかさを持ち合わせていた。

 とある理由で廃棄することになったのだが、彼女は最後まで笑顔だった。

「ジャッジ様、俺の手が空いている時なら、大丈夫です。ラムダのこと、大切にしてやってください。」

 彼の申し出を受け入れると、俺はラムダをジャッジに返す。

「引き受けてくれてありがとう。勉強させてもらうよ。」

 俺は差し出された手を取り、ジャッジと握手する。


 彼のその目は当時のシルと同じ熱意に満ちていた。



 私は足早に応接室を後にする。

 気分は最悪と言って差し支えない。

 思い出すだけで腹が立ってくる。

 私に無礼なことをしたあのクソ庶民。

 なんであいつがシルビア様に認められているのだ。

 本来なら今日の視察を通して、彼女からの評価を上げるのは私だったはずだ。そうすれば私の大学での発言力はさらに大きくなる予定だった。

 だというのにあの庶民ときたら、私の妨害ばかりしやがる。

 シルビア様の話し相手になり、二人で、楽しく談笑していた。あの自分にも他人にも厳しいことで知られている彼女が、あんな表情をするなんて想像もしていなかった。

 それだけじゃない。その後の視察の予定も全てキャンセルされてしまった。それせいでもう私の評価を上げる機会はほとんど奪われてしまった。

「ああ、アゴス先生、少しよろしいですか?」

 私はその声がした方向に顔を向ける。

「レビュミ先生…」

 そこにはいつも私に付き従ってくるレビュミ・ヤレブムという赤髪の女性だった。

「あの庶民、目障りですね。」

 レビュミ先生はそう言うと私の方にすり寄ってくる。やはり若い女の肉体はいい。

「おお、先生もそう思いますか。あんな者、この大学には相応しくない。なんとかしてあいつを追放しなければ…」

 私は彼女のおかげで気分が良くなる。だが、あいつを追放するには何か強力な力が必要だ。

「私に良き御考えがございます。実は最近、面白いものを手に入れまして。それに、彼も協力してくれるそうですよ?」

 彼女はニヤリと笑う。


 そう言って彼女の背後から出てきたのは、一人の男子生徒だった。

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