第37話 閑話 その後 マリアナ
私はベッドの上で目を覚ます。
全身が痛い。頭がガンガンする。何をしていたのかいまいち覚えていない。
確かダニエルが家に来てその後───。
「マリー。愛してたよ。」
私はその言葉を思い出す。
「…おえっ。ゲホッゲホッ…はぁっ!はぁっ!」
突如嗚咽がして体が胃の中のものを吐き出そうとする。だが、中になにもなかったせいで、嫌な吐き気だけが残った。
あのルー君表情、声、そして涙。全て鮮明に思い出した。
私はすぐに身なりを整える。
向かうところなんて決まっている。
ルー君の家を目指して、私は部屋のドアを閉めることすら忘れて飛び出した。
雨が降っている中、傘も差さずに走り続ける。ここを曲がれば目的地はすぐそこだ。ルー君の家に着いた私は急いでドアをノックする。
「ルー君、お願い!開けて!昨日はごめんなさい!お願い!話を聞いて!」
十秒、二十秒待っても、返事はなかった。扉の取っ手に手をかけると、鍵は開いていた。
私はゆっくりと扉を開ける。そこにはいつもと変わらないルー君の家があった。子供の頃は時間ができればここに来ていた。そして、庭でヴァーレンのお世話をしたり、魔法の練習をしたりした。
そんな当たり前の日常を過ごしたことを思い出しながら、ルー君の部屋がある二階に上がっていく。階段上がっての左側の扉、ここがルー君の部屋だ。
何十回、何百回と開けてきたその扉の取っ手はとてつもなく重く感じた。
いや、違う。
私の自身が開けるのを怖がっているのだ。この先にある現実を知ったら、もう戻れないとわかっているから。でも、開けなければいけない。開けて、謝らなければ。
もう一度やり直すために───。
私は精一杯の力を込めて扉を開け放つ。
そして、そこには誰もいなかった。
「は、ははは…嘘だよね…?」
私の力のない声に返ってくる反応は何もなかった。
部屋の中には物がいくつか残っている。しかし、棚や机を見ると、明らかに空白になっている箇所がある。
信じたくはないがルー君が持ち出したのだろう。普段ルー君がお金などの貴重品を管理している引き出しが、空のまま開けっぱなしになっている。普段なら鍵がついているはずだ。
それが、この状態で放置されているのだ。ほとんど確定と言っていいだろう。
ルー君はもうこの村にはいない。
その事実を認識した途端、私は膝から崩れ落ちる。ルー君にもう会えない。ルー君ともう話せない。ルー君ともう一緒に居られない。
その現実が重くのしかかる。
私はそのまま気を失った。
「なんで床で寝てるの…」
私はその声で目を覚ます。痛い頭を押さえながら起き上がる。
私が顔を上げると、そこには呆れ顔をしながら体を支えてくれているルー君がいた。
「ルー君…!」
私が彼の頬に触れる。そこには確かに暖かい感触があった。
「何?疲れてるなら昼寝したらいいんじゃない?ベッドならそこにあるよ。」
なんてことはないような顔で私の体を起こす。いつも通り、私に気を遣ってくれているのがわかる起こし方だ。ルー君はいつもそうだ。私が求めなければ、胸や腰回りには絶対に触らない。他の男の人と違って、そういうことをしてこない。
そこに私は大きな安心感を感じる。
ああ、いつものルー君だ。
私はすぐにルー君を抱きしめる。
「ごめんね!昨日は違うの!ずっと言い出せなくてごめんなさい!」
私は泣きながらルー君に謝罪する。
「わかってる。わかってるから。脅されてたんだよね?もう謝らなくていいから。大丈夫。全部知ってる。」
ルー君はそう言うと、私のことを抱きしめ返してくれた。なんで知っているのか、いつ誰に聞いたのか。気になることはあったが、許して貰えたことに私は安堵した。
「ありがとう。ルー君!大───。」
「───好き。」
そう大声で叫びながら、私は目を覚ます。そこには私以外誰もいなかった。床に寝そべったまま、一人で涙を流しているだけ。
今までのことは全て夢。許されたなんてことはなく、彼がここに戻ってきてくれたという事実も存在しない。
私の人生において、彼がどれだけ大きい存在なのか今になって実感する。
一人で立ち上がり、私はルー君が置いていったものを集め始める。
二人で作った本、私と一緒に屋台を回って買った機織り機、ヴァーレンが持ってきた魔石。彼の持ち物を集めるごとに一つ、また一つと涙がこぼれる。彼がここに置いていったということは、これらはもう必要無いということだ。
私との思い出が詰まっているはずのものがたくさんある。
「うっ…うう…」
悪いのは私だ。あれほど事態が悪化するまで、ルー君に打ち明け無かった私が悪いのだ。何も知らないルー君からすれば、裏切られたと感じただろう。いや、その表現は正しくない。
私は裏切ったのだ。
ルー君の優しさにつけ込んで、このまま隠しておけばいいと思っていた。
そのつけが今になって回ってきたのだ。
私が一人で帰路につく頃にはもう雨は止んでいた。だが、私の心は全くと言っていいほど晴れていない。私は最初に穢されたときのことを思い出す。
「いや!やめて!」
私は必死にベッドの上で抵抗する。だが、暴力を振るわれ、薬を飲まされた私は全く抵抗できなかった。
「こ、これが女の体…!これが俺の物…!」
そいつは息を荒げながら下半身を擦りつけてくる。
「助けて!ルー君!」
私は泣きながら必死に助けを求める。
「うるさい!人を呼ばれたくなかったら大人しくしろ!他の男にも裸を見られてもいいのか!?」
そう言いながらダニエルは髪を引っ張って、私の顔を引き寄せる。
「痛い痛い痛いぃ!」
「黙れっつってんだよ!」
みぞおちに重い一撃が入る。
「が、はぁ…」
私はその後はされるがままだった。好き勝手に体を弄ばれ、欲望のはけ口として使われた。
家に帰ると、ルー君が置いていったものを並べる。
できることなら説明くらいはしたかった。でも、そんな機会さえ神様は許してくれないのだ。
ルー君がどこに行ったのか、それはわからない。それがわかれば今すぐにでも追いかけることができる。だが、
唯一の手がかりは以前ルー君が言っていた、昔に忘れてきた物があるという話だけだ。
「忘れてきた物…」
私はそう口に出して反芻する。
そして、ルー君の持ち物の中にあった一冊の本を手に取る。
そこには手書きで『資料』とだけ書かれていた。これはルー君の文字だ。そして、その中に書かれているのは全て『エルラド・クエリティス関する情報』だった。
「ルー君はエルラド。それは間違いない。なら、ルー君が忘れてきた物って、エルラドの遺産…?」
私は自分の頭をフル回転させる。
小さく穿たれていた点が、か細い線となって一つの可能性を導き出す。
ルーカス・リーヴァイスの足跡は辿れない。でも、魔法使いエルラド・クエリティスならまだやりようがある。
私は商会の長。情報を集める事に関しては人一倍抜きん出ている。
エルラド・クエリティスのルーツを辿るんだ。
もう一度ルー君に会うために───。
会って、向き合って謝るために───。
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