第83話 結って結んで
馬車から降りた俺は、王宮の兵士に休憩室まで通された。時間になるまではここで休んでほしいとのことだった。
部屋の中はひと目見ただけで高級品とわかる家具ばかりだ。
「ルーカス様、少し早かったようです。如何なさいますか?」
メリアが最後に部屋に入ってくると、ふたたび三人だけの空間になる。俺は椅子に座るのが怖くて、立ったまま会話する。
「…ほえー。帰るっていう選択肢は?」
「駄目です。それはシルビア様が悲しまれます。」
俺の無駄な足掻きは、ロスリーにバッサリ切り捨てられる。
「だよねぇ…なら、二人にお願いしたいことがあるんだけどいいか?」
さっき思いついたばかりのことを聞くために、俺はそう前置きする。
メリアは自分の胸元に紫線を落とすと、すぐにボタンに手をかける。
「性処理ですか?」
「ちげぇよ。なんでそうなるんだ。」
気が付くとロスリーも胸元をさらけ出していた。
「てっきり、私どもに欲情したのかと。」
二人の顔とスタイルがいいのは認めるが、そんな発情した獣みたいなこと、俺はしない。
「…俺が頼みたいのは、髪だよ。」
「髪…?」
メリアはボタンを閉めながら、その言葉の意味を考えていた。
「俺の相棒がいるんだけど、そいつのために髪の結い方教えてほしいんだ。二人共、普段はシルのやつをやって慣れてるだろ?」
二人はシルの身の回りのお世話のエキスパートだ。なら彼女たちから学ぶことはたくさんあるだろう。
「なるほど。ならば、私どもにおまかせください。」
ロスリーはそう言うと、荷物を広げてドレッサーの前に小道具を準備し始める。
「私が練習台になりましょう。ロスリー、ルーカス様に手解きを。」
メリアは綺麗に纏められているその金髪を下ろす。
「うお…」
ただヘアピンを外して、手櫛で具合を確かめているだけ。だが、そこは王妃のお付きのメイド。容姿も仕草も一流だった。
「どうかされましたか?」
「いや、あまりにも綺麗で…ちょっとびっくりした。」
俺からの言葉に、彼女の動きがわずかに止まった気がした。
「そうですか。ルーカス様はお気持ちを伝えるのに躊躇がないのですね。そうやって言葉にしてくれる方、お好きですよ。ああ、これは個人的な感想なのですのでお気になさらず。」
メリアはその金髪を手で払うと、ほほえみながらドレッサーの前に座る。その我の強さはどことなくシルに似ている感じがした。
「では、我々がいつもの髪の梳かし方と結い方をお教えいたしますね。」
ロスリーは俺に、手取り足取り梳かし方を教えてくれる。髪にダメージがいかないように指先の使い方まで丁寧に説明してくれた。
「かなり筋が良いですね。ご経験があるのですか?」
メリアからのその質問に俺は苦笑いで返す。
「あー、元妻にやってた時期があったからかな。」
手を動かしながら、やり方を体に叩き込む。
その時は慣れてなかったからよく文句を言われた。最終的には自分でやると言って、櫛を取り上げられることも多かった。
「ご結婚されていたんですね。お別れになった理由を伺ってもよろしいですか?」
ロスリーは俺の手に自分の手をかざしながら、そんなことを聞いてくる。
「浮気されてた。俺が家にいない間にね。」
その返事に二人の表情が曇る。
「申し訳ありません。不躾な質問でした。それは、お辛かったでしょう…」
ロスリーにはすぐに謝罪された。だが、以前の俺だったら、そもそもこんなこと話しもしなかっただろう。
「もう気にしてないから大丈夫。それのおかげで気づけたことも多いからさ。」
自分を取り戻して、一つの区切りが付いた俺はある答えを出す。
「守ったつもりになってたんだ。最前線に出て、命を賭けて戦って。横にいる奴らを失っても、戦い続けて。」
どれだけ辛くても愛する者がいるからと、自分をふるい立たせてきた。だが、そんなものはただのまやかしだった。
俺は脳死で信じていただけ。
「その先には、酷い世界しか残ってなかったけどな。」
残ったものを探すために振り返った時、そこにはもう僅かなモノしかなかった。
横にいた仲間は一人、また一人といなくなり、託された遺志ばかりが募っていた。
この世界は碌なものではない。
「メリア、ロスリー。」
「はい。」
「なんでございますか?」
自分が得た教訓をなんとかして言語化してみる。
「自分の本当に大切なものを見失わないようにな。一度盲目になると、振り返った時は想像以上に大変だぞ。」
その世界から目を離すと、もっと凄惨な事になって返ってくる。
「…あの、ルーカス様は、まるで歴戦の老兵のようですね。」
二人は顔を見合わせてから、メリアが不思議そうに口を開く。
「老兵?」
「失礼ながら、言葉の重みが少年のそれではなかったので…」
俺はその言葉を吟味する。今まで戦ってきた時間を考えるなら、間違ってはいない気がする。
「老兵、か。まあ、当たらずも遠からずかな。」
最後のヘアピンを挿して、メリアの髪を元に戻す。
「どうだ?違和感とかないか?」
メリアは髪に触れながら、鏡で自分の姿を確認する。
「はい。お上手です。もういい時間ですね。そろそろ準備をしましょう。」
笑顔で頷いた後、彼女はドレッサーの椅子から立ち上がる。
「先程のよう忠言、シルビア様にお伝えしますね。私どもにあのような良い話をしてくださり、ありがとうございました。」
「感謝いたします。」
二人に俺の得た教訓をが少しでも伝わっていてくれたら嬉しい。二人は顔を上げると、俺の着替えの準備に取り掛かる。
「俺からも、聞いてくれてありがとう。」
彼女たちに聞いてもらえて、少し心の整理ができた気がする。普段の距離感では言い出しにくい話もある。特にイツキにはこれ以上負担をかけたくない。
俺はその僅かな時間を有意義に使うことができた気がした。
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