第11話 マリアナ

「うーん。こいつはただの雑草だな。」

 お父さんがそう断言した草を、俺はよく観察する。

 俺は草の見た目を書き写して、名前の欄を空けておく。今日採って来た植物も殆ど名前がわからないものばかりだ。しかし、お宝とは得てしてゴミの山の中にあるものだ。こういった名前もわからないような植物が意外なところで役に立ったりする。

 俺はみんなががやがややっている中で採って来た植物を調べていく。

 魔力を通しても何の反応もない。繊維が強く強度がある。

 それぞれの特徴を書き込んでいき、図鑑の精度を上げていく。

「ルー君って本当に不思議だよねー。他の子みたいに木剣で遊んだりしないし、ずっと植物とにらめっこしてるし。本当に楽しいの?」

 俺が花の香りを確認していると、横に座っていたマリーがそんなことを聞いてくる。

「楽しいっていうか、ないと困るし。まあ、半分趣味だけど、もう半分は仕事?そんな感じ。」

 俺のその言葉を聞いて、何故か周りが静まりかえる。

 そして、俺自身も言った後で今の発言を後悔する。

 不味い。今のは三歳児がする話ではない。つい花の方に気を取られてしまい、気が抜けて本音を話してしまった。

 俺は冷や汗をかきながらゆっくり顔を上げる。みんなの顔色を窺おうとしたとき、横にいたマリーが頭を撫でてくる。

「はいはい。ルー君は偉いですねー。じゃあ、今日も私と一緒にお仕事しましょうねー。」

「そうだな。偉いぞルーカス。将来は学者さんだな。」

 どうやら子供のませた戯言としてスルーされたみたいだ。


 あ、危なかった…


 私がルー君に興味を持ったのは、数か月前だった。

 私自身他の子供と関わるのは好きだ。同い年の子と話すことより、年下の子供たちの面倒を見ていることの方が多い。

 その日もいつものように近所の子の面倒を見ながら、村の中を歩いていた。その中で、一人だけ明らかに自律的に行動している子がいた。

 それがルー君だった。

 他の子が自分の持っているものを自慢したり、甘えたりしている間。ルー君は外のあるあらゆるものを見ていた。まるで未知の土地に連れて来られた動物みたいだった。

「ねぇ、ルー君。ルー君は何かやりたい遊びはある?」

 私は他の子に接するのと同じようにルー君にも話しかける。

「え?あー…特にないかな。みんなのやりたい遊びを先にやってあげて。俺もそれでいいから。」

 ルー君はにこにこした顔でそう言うと、また周りに目を向け始める。

 普通だったら、何かの遊びをやりたがるものだが、彼は遊ぶことに殆ど興味を示していないようだった。

「そう、なんだ…じゃあ、今日は何して遊ぼうか?何かやりたい子いる?」

「「はいはーい────。」」

その後は他の子の意見を聞いて、兵士ごっこをすることになった。


「おりゃー!」

「負けるかー!」

 子供たちが木の枝を振りまわりている間。あまりエスカレートしないように適度に声をかけながら見守る。

 女の子たちも木の枝を振り回す男の子に声援を送って楽しんでいた。

 そんな中で端っこの方で木の枝で地面に落書きをしている子がいた。

 ルー君だ。

 私は楽しくないのかと思って、ルー君に声をかけに行った。

「ルー君、みんなと居るの楽しくない?」

「ああ、いや、楽しいよ。みんなの楽しそうな声を聞いているだけで、俺は十分楽しいから。マリアナ、じゃなかった、マリーはみんなの話を聞いてあげて。多分みんなマリーと話したくて仕方ないと思うから。」

 その返事を聞いた時、なんだかルー君が年老いた男の人の目をしている気がした。自分が楽しむのではなく、他の子を優先することだったり、他の子の楽しい姿に楽しさを見出すことが、私にはとても大人びているように見えた。

 しかし────。

「いいな。みんな輝いてる。」

 その達観している瞳の奥底には、ドス黒い感情が隠れているような気配があった。嫌な大人が私の体に向けてくる視線とは違うベクトルの黒い目だ。

「…ルー君は何してるの?」

「俺はただ落書きしてるだけだから。」

「へーすごい細かい絵だね。何の絵なのかな。」

 私はルー君の横にしゃがみ込んで、彼のしていることを聞いてみる。

「これは、なんていうか…うーん…道、の絵。」

「道?」

 私はルー君が書いていたものがとても道には見えなかったので、オウム返しをしてしまう。

「この道をもっと簡単にすると、ちょっと嬉しいことになる。まあ、暇つぶしだから気にしなくていいよ。」

「そっか。」

 普通だったら自分のやっていることを聞かれたら嬉しそうにどんどん話し出すものだ。だが、ルー君との会話はそこで終わってしまった。

 しかし、ルー君の声がほんの少しだけ高くなっているのを私は聞き逃さなかった。やはりこの子も大人びているかもしれないが、まだ子供なのだ。自分のことを知ってもらって、嬉しいと感じる気持ちは持っている。

 それに彼も話をするのが嫌という訳ではなさそうだ。

 だが、そこで木の枝で遊んでいた子たちがこっちの方に倒れてきてしまう。そのせいで、地面に書かれていたルー君の道の落書きが消されてしう。

「こら!ルー君の描いてた絵を消しちゃダメでしょ!ちゃんと謝りなさい。」

 私がそう言うと、倒れ込んできた子たちは顔をしかめて駄々をこねはじめる。

「別にいいじゃん。そいつ、いっつも絵描いてるし。」

「てか、男なのに戦わないとか恥ずかしくないのかよ。だせぇ。」

 私はその言葉を見過ごすことができず、怒って立ち上がろうとする。いくらなんでも言い過ぎだ。第一、邪魔したのは自分たちなのにその態度はないだろう。

 しかし、私が立つ前にルー君が立ち上がり、二人の方を見た。

 不味い。喧嘩になってしまう。

 私がどう対応したらいいか迷った一瞬、ルー君が私よりも先に口を開く。

「はは、俺戦うの得意じゃないからなぁ。みんなすごいなぁ。」

 ルー君が引き下がってくれたが、彼らはそれを見て更に馬鹿にしたような態度をとる。

「はっ!そこで大人しく見てろよ。マリーこっち来て!」

「僕たちの新しい技見てよ!」

「ちょ、ちょっと待って…」

 私が腕を引かれて連れていかれる間も、ルー君はにこにこしたままだった。


「ルー君、ごめん!」

 私は他の子供たちを親の元に帰した後、ルー君に頭を下げた。

 今日のことは完全に私の監督ミスだ。

「気にしなくていいって。あれくらいの子供ならむしろ元気な証だよ。」

 ルー君はまた大人のようなことを言っていた。あれくらいの子供って、ルー君と同い年なのに変な言い方だ。

「でも、私がみんなから目を離したから…」

「うーん…本当に気にしなくていいんだけどな。落書きを消されるなんてあれが初めてじゃないし。紙がない現状だと、どうしてもねぇ…」

懸案事項が増えてしまった。だが、それはそれとしていいことが聞けた。

「ルー君、もしかして紙が欲しいの?」

 すると、ルー君は今まで見たことがない熱量で話し始めた。

「欲しい。多分今一番欲しいもの。紙とペンさえあればできる事がかなり広がるんだ。記録媒体があるのとないのとじゃ俺のやれることの範囲が格段に変わってくるんだ。この村には本がないし、紙に適した素材もまだ見つかってない。このままだと時間だけが…ってごめん。ちょっと熱くなった。」

 そう言って、彼は顔をしかめる。いつもにこにこしているルー君がそんな顔を見せるなんて初めてだった。

 ルー君がそこまでして欲するもの。

 私は義父が持っている紙のことを思い出す。仕事柄紙をよく使うので、家にはたくさんあるはずだ。

「わかった。私がなんとかしてあげる。」

「…え?」

「その代わり、ルー君がやりたいこともっと私に教えて!」

「ええと、それはなんというか嬉しいけど…」

 ここだ。

 ここで引いたらもう絶対にこの子は私に心を開いてくれない。紙の話をした時、ほんの少しではあるが彼の心の内側が見えた気がした。普段誰にも興味なさそうな彼がそこまでして欲しいと言ったのだ。何か彼にとって重要なものに違いない。そして、その内面を少しでも見てしまった私は、もういつもの無気力なルー君を見たくなかった。

「お願い!ルー君のこともっと知りたいの!」

 私はルー君の手を握って頼み込む。絶対に引けない。もうこれ以上この子に窮屈な思いをさせたくない。

「うう…わかった。じゃあ、お願いしてもいい?」

「本当!?ありがとうルー君!」

 押しに押したかいはあったようで、ルー君は折れてくれた。それが嬉しくて私は彼のことを抱きしめる。


 彼はきっと私が見ていないところで少なからず苦しんでいたに違いない。それを見逃したのは紛れもない私だ。


 だから、今度こそ見ていてあげるのだ。

 

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