第四章 9 兵舎の大掃除

「あの~、兵舎のシーツを取り替えるように言われてやってきたんですが……」

 兵舎のある北側の通用門の前で、私は警備の衛兵におずおずと声をかけた。新しいシーツを入れている大きなバスケットと、通行書代わりの札を見せると、衛兵は「あ?」と面倒そうな顔をしてこっちを見た。

「新人か? 見慣れねー顔だな」

 尋ねられてギクッとしたものの、いかにも不慣れな新人女中という様子で「は、はい……」と小さな声で返事をした。

「お嬢様の誕生日パーティーが開かれるから、臨時の女中雇ったんだろう」

 横にいた別の兵士が言うと、もう一人は「チッ、いい気なもんだぜ」と鼻白んで言う。領主にあまり感情を持っていないのかな。まあ、末端の兵士はどこだって冷遇されているわよね。不満を積もらせるのも仕方ないことだ。

「そう言うなよ。パーティーの後で酒と肉が振る舞われるんだ」

「どうせ、お貴族連中の食い残しだろう。俺らのことは馬か牛くらいにしか思ってねーんだ。やってられるかよ」

 兵士二人は一応私のバスケットの中を一通り見て、武器やおかしな薬類を持っていないか確かめると、「いいぞ、入れ」と促す。私は「どうも~」と、愛想よく笑みを作り門を通り抜けようとした。

 

 その肩が「待て」と掴まれたものだから、飛び上がりそうになる。「な、なにか?」と、恐る恐る振り返ると、「シーツの取り替えが終わったら、部屋の掃除もしておいてくれよ」と頼まれた。

(な、なんだ。そんなこと……)

 私は胸をなで下ろしながらも、「あのでも~、早く戻らないといけないんです」と困った顔をして見せる。じらした方が、怪しまれないってもんよ。その手の駆け引きなら、私はもうすっかりこの世界で習得している。


「俺たちに頼まれたからだって、女中の婆どもには言っておきゃいいさ」

「そうですか? それなら……ええ…できる限り、やっておきます」

 私はニコッと笑い、バスケットを抱えてそそくさと歩き出した。今度は引き留められなかったので、安堵する。


 これで兵士に気に入られて、顔見知りになれたら、私がウロウロしていても不審に思われないようになるはず。私は密かにガッツポーズを取りながら兵舎へと向かった。

 

 まではよかったのだけど、足を踏み入れた汚部屋というレベルを超えた兵舎の惨状にげんなりして言葉を失う。想像以上にひどかった。まだ、うちの砦の兵舎は、ここに比べたら人が住めるレベルの汚さだったわ。


 何年も掃除していない息子の部屋を覗いた母親の心境って、きっとこんな感じなのね。こちらの世界でも、もちろんあちらの世界でも、結婚すらしていなかった私には息子なんていなかったけど。私は「うん、絶対そうだ」と、腕を組んで頷く。顔が引きつってしまっていた。


 カビと埃と汗と、その他なんだかよくわからない腐敗した悪臭が部屋中立ちこめている。汚いシーツや服は廊下の隅に放り出されていた。

「め、めげるな、私……これもサーラ救出のためよ!」

 一人呟いて、私はさっそく腕まくりをする。取りあえず、洗濯できるものは全部外に放り出す! そして、換気! いくら敵とはいえ、こんな兵舎で暮らしていたら、病人続出よ。マリーが見たらきっと悲鳴を上げるわ。

 

 兵士は訓練中なのか、見張り中なのか、偵察にでも出ているのか、兵舎の中には残っていなかった。この惨状だと、いくら早くやっても掃除が終わるのは夕方になりそうね。とにかく兵士が戻ってくる前にある程度は片づけておかないと。それにうまくいけば、城内の地図や、見張りの配置図なんかも手に入るかも……。

 

 私は『あまり、無茶なことはしないでください』と出がけに心配そうな顔をしていたジュリアンの顔を思い浮かべる。大丈夫、ジュリアン。私、こう見えて要領はそう悪くなんだから。やり遂げてみせるわよ! 


 私は張り切って、さっそく廊下の洗濯物を抱え上げた。

 それにしても、臭い~~っ!!!

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