第一章 5 渓谷での襲撃

 王都を出て五日目――。

 私たちを乗せた馬車は、岸壁に挟まれた渓谷を進んでいた。

「おい、お嬢ちゃんよ。あんた、小綺麗なかっこうをしているが、これから結婚式にでも参列つもりなのか?」

「地獄のルバントール砦送りとは、いったい何をしやがったんだ?」

「詐欺師じゃねえのか? 綺麗な顔して、金持ちジジイでも誑かしてきたんだろうよ。なんなら、ちょっと俺たちの相手もしてくれよ」

 同じ馬車に乗っている荒くれ者の男たちが、こっちを見ながらゲラゲラと笑って話しかけてくる。モテないおじさんたちの下品な会話なんて、無視よ、無視。

 少しでも相手にしたら調子に乗って、近寄ってくるに決まっているんだから。私はプイッとそっぽを向く。


「おい、無視してんじゃねーよ。生意気な女だな! 俺たちが誰だか知ってるのか?」

 知るわけないし、知りたくもない。

 私が聞こえないふりをしていると、苛立ったように男たちは怒鳴り声を上げる。

「いいか、俺たちは泣くも黙るベルナルド兄弟だ。強盗に恐喝、なんだってやってきたんだ。逆らうと酷い目に遭わせてやるぜ!」

「おい、うるさいぞ。騒ぐな!」

 御者をしていた兵士が、振り返って一喝する。男たちはペッとツバを吐き出して、浮かせた腰を戻していた。その間も、私の方を睨んでくる。

 腹いせをする機会を伺っているみたいだった。

 誰があんたたちなんか相手にするものですかと、私は心の中でベーッと舌を出す。

 そして背を向けて、荷物袋を抱き寄せた。私が屋敷から持ち出したものはこれだけだ。


『何ということをしてくれたのだ! よりにもよって殿下の目の前でカリエール嬢を突き飛ばすとは……お前のような恥知らずな娘はもはや、クロエ家の者ではないわ!』


 なんとも寛大なお父上は、そう言って私を屋敷から追い出した。まあ、それも仕方ないことね。

 公爵であるお父様も、国王陛下や、次期国王と期待されているジルベール殿下には逆らえない。それにしても、五年の辺境送りなんてあまりにも酷すぎる。

 私は、カリエール嬢こと、この『キュンキュン❤️ラバーズファンタジー』のヒロインであるレリアのことを突き飛ばして――いないとは言いがたいけれど、それはこのゲームの設定なんだから仕方ないじゃない! 

 そのおかげで、レリアはジルベール殿下と恋に落ちるのだから、私はむしろ二人の仲を取り持ったと言ってもいい。


 それに、階段から転落したのはこの私よ! それも、レリアを咄嗟に庇おうとしたからだ。でも、殿下やあの場にいた多くの人の目には、私がレリアを突き飛ばそうとして失敗し、お間抜けにも自分が転落したように見えたでしょうね。

 けっきょく、私が辺境送りになるという設定は変えられないらしい。


 それよりも、気になるのは――。

 私は荷物袋の中から革表紙の日記帳を取り出す。

 それは、私、ジャンヌ・ド・クロエが書き綴っていた日記みたい。机の鍵付きの引き出しの中にしまわれていたのを、荷物を整理していて発見した。

 私は日記帳の最後のページを開く。ページは皺になっていて、赤黒い染みがついていた。この染みを見た時、私はゾッとした。だってこれは、血の跡だ。

 その上、日記の最後のページには、こう書かれていた。


『この〝世界〟に来て、もう何日が経つだろう。私はもうじき、殿下に疎まれ、辺境送りになってしまう。もう、嫌……誰か助けて。どうしたら〝元の世界〟に戻れるの? 私はもう疲れてしまった……このまま消えてしまいたい。だから、私ではない誰か――後はよろしくね』


 私は身震いして日記を閉じる。この日記から分かるのは、私の前の『ジャンヌ・ド・クロエ』は、この世界の住人ではなかった。

 ということは、私と同じく、この世界に転生してきたということよ。その誰かは自分に訪れる悲惨な運命から逃れられないことを知っていて、この日記に伝言を残した。〝彼女〟がどうなったのか、私にはわからない。

 元の世界に無事に戻れたのか、それとも、シナリオ通りに辺境に送られてこの世界でその魂は消滅してしまったのか。


 とにかく、かわりに私が『ジャンヌ・ド・クロエ』としてこの世界に転生したということらしい。

 いったいこのゲームのどこが『キュンキュン❤️ラバーズ・ファンタジー』なのよ! 乙女ゲームどころか、ホラーゲームじゃない!


 後はよろしくって、こんな大損な役割を託されても困るのよ。私だって、元の世界に戻りたい。バトルゲームと格闘ゲーム三昧の、血湧き肉躍るオタク生活が待っているのよ。

 それなのに、こんな豚小屋みたいな馬車で辺境送りになっているなんて、悲惨としか言いようがない。


 せめて、ゲーム世界に転生するにしても、もっと他の役割があるでしょう。

 ヒロインにしてくれなんて贅沢は言わないし、ヒロイン役が似合うような性格でもないことは十分に承知している。

 幼稚園の時の出し物でシンデレラの劇をやった時も、私はシンデレラの馬車を引く馬の役だった。


 プロローグ五分で物語の世界から退場し、辺境送りにされる性悪お嬢様にされなきゃいけないほど、元の世界で悪事を働いた覚えなんてない。

 そもそも、このゲームは、バトルゲームの大会の景品でしょ? 

 優勝は逃したけれど準優勝したのに、この仕打ちはあまりにも酷すぎる。

 もとの世界に戻ったら、絶対公式にクレームを入れてやる。それも、便せん三百枚くらいの分厚い抗議文を送ってやるわ! 


 そのためにも、私はこの世界を生き延びて、もとの世界に必ず戻ってやる。

 待ってなさい、ゲーム公式! 


 歯ぎしりしていた私は、急に馬車が大きく揺れたものだから、思わず口の中を噛んでしまった。痛くて、泣きそうになりながら口を押さえる。

 大きな石にでも車輪が引っかかったのかしら? 

 私以外のおじさんたちも、警戒するように外を見ている。


「うわーっ!」

 御者の兵士が悲鳴を上げた直後、馬車が何かに体当たりされてひっくり返った。

 もちろん中に乗っている私たちも一緒に転がってしまった。荷物袋で頭をかばってなかったから、どこかにぶつかっていただろう。

 おじさんたちも、痛そうに呻いている。

 

 衝撃で馬車のドアが壊れたらしく、開いていた。

「おい、今のうちに逃げるぞ!」

 荒くれ者のおじさんたちが、我先にと、馬車から飛び出す。すぐさま猛獣のような声と、おじさんたちの叫び声が聞こえてきた。


「えっ、な、なに!?」

 私はビクビクしながらも、起き上がって馬車の外を覗いてみた。その途端、目を見開いてすばやく馬車の中に引っ込む。


 な、なにあれ……なんか、でっかい猛獣がいるんですけど!?

 クマ? 虎? ライオン!? よくわからないけど、毛むくじゃらで、鋭い牙を保っている猛獣だ。

 その猛獣は御者をしていた兵士の脚に喰らいついて、宙に放り投げていた。

 この世界にあんな怖ろしいモンスターが出没するなんて、マニュアルには書いてなかったんですけど!? 

 これって、乙女ゲームよね!? 乙女ゲームって、パッケージに書いてあったでしょーっ!?

「わ、わけわかんないよ……どうなってるの!?」

 私は馬車の中でブルブルと震えながら、荷物袋を抱き締める。

 このまま、あの猛獣が諦めて立ち去ってくれたらいいんだけど。

 そう思って隠れていると、外からおじさんたちのわめき声が聞こえてくる。猛獣を罵っているみたいだけど、言葉が通じるわけもない。通じたところで、大人しく巣穴に帰ってくれもしないだろう。


 猛獣が体当たりしてきたらしく、豚小屋のような馬車はあっけなく破壊され、木の破片が飛んでくる。私はありったけの声で悲鳴を上げて、這い出した。

 泥水のたまった地面にベチャッと倒れ、服も荷物袋も茶色く染まる。ハッとして振り返ると、猛獣が唸りながら私を見下ろしていた。


 あの荒くれ者のおじさんたちは、もう一頭の猛獣に襲われ、悲鳴を上げていた。

 なにがベルナルド三兄弟よ。全然、ダメじゃない! 

 一人は猛獣の足に踏み潰されているし、あとの二人は腰を抜かして動けないでいる。


 兵士はというと、片脚から血を流して地面に倒れていた。

 私はその姿を見て、背筋が寒くなる。生きているの? 生きているわよね。お願いだから、生きていてよ。死体なんて見たくない。


 私を狙っている猛獣は、一歩ずつこちらに近付いてくる。その大きな足が、馬車の残骸を踏みつけていた。


 こんな時、よくできた物語なら、通りすがりの勇者様が助けてくれるのだろうけど。そんな都合のいい展開は期待できそうにない。

 私一人だけでも逃げる? 

 あの荒くれ者のおじさんや兵士を助ける義理なんてない。この場所で一番か弱いのは、この私のはずだ。

 だったら、自分の命を守ることを優先すべきだ。 こんな猛獣と戦えるはずなんてない。私が戦ってきたのはゲームの世界の中だけ。

 現実世界で、クマやライオンと格闘した経験があるはずがない。それに、目の前にいるのはそれよりもずっと大きくて、凶暴そうなのに。

 心臓がバクバクして、息が荒くなる。


「うわーっ、来るな! 誰か……誰か助けてくれ!!」

 おじさんが手を振り回しながら叫んでいた。立ち上がることもできないみたいだった。

 ジャンヌ・ド・クロエ嬢は、辺境送りになるとしかプロローグには書かれていなかった。その後、彼女がどうなったのかも不明。

 イベントの中で明かされていたのかもしれないけれど、私はオープニングしか知らない。だから、自分の運命なんて知らない。


 もしかして、この渓谷で野獣に襲われて死亡ってのが、結末!?

「冗談じゃない……こんなところで、バッドエンド迎えるなんて……嫌すぎる!」

 私は呟いて、後退りしながら辺りに素早く視線を走らせる。手綱が引っかかって嘶いている馬のそばに、兵士の剣が落ちていた。


 確かに、私はゲームの中でしか戦ったことはない。だけど、この世界だって、ただのゲームじゃない!


 野獣が牙を剥いて飛びかかってくると同時に、私は歯を食いしばって前に飛び出した。

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