第三章 2 決意

 雑踏の中を、私はジュリアンに手を引かれて、少し早足で歩く。どういう展開なのか分からなくて混乱していた。緊張のせいで、手のひらが汗ばんでいないか心配だった。だって、私は子どもの頃から汗っかきで、ゲームの最中も緊張したり、集中したりしていると、コントローラーが滑ってしまう。


 そのせいで、バトルに負けたこともあるから、いつも気をつけているのに。ジュリアンの手は大きくて、少しひんやりしている。それなのに、私の手のひらだけ熱くなっていくのが、気になって周りの声も耳に入らず、お祭りで賑わっている街の景色も目に入らない。

 私が見ているのは、一歩先を歩くジュリアンの背中だけ。


 いったい、ジュリアンが私をどこに連れて行くつもりなのかも、皆目わからなかった。私はリアルの世界ではまったく恋愛できなくて、男の人と手を繋ぐことにも慣れていない。リアルの私は地味で可愛くもなかったし、彼氏なんてできなかったし、それどころかナンパで声をかけられたことすらもない。魅力ゼロ。その私が、ジュリアンみたいなイケメンに手を取られて歩いているなんて、奇跡みたいなことだ。

 

 こういう時、どうしたらいいの? 私、何も知らずに、ゲームのキュンキュンイベントとか、クエストとか、発生させてしまったのかも~~つ!

 私はグルグル考え過ぎて、頭から煙りが出そうになった。周りでは、腕を組んで歩いているカップルもいれば、人目もはばからずにキスして戯れている人もいる。お祭り騒ぎでみんな開放的な気分になっているのかも。私は目のやり場に困ってしまって、下を向いた。

 

「あっ、あの……ジュリアン、ど、ど、どこに行くの?」

 私は思いきって尋ねてみた。ジュリアンは「え?」と、私を振り返り、ようやく足を止める。困ったように、空いている片手を頭の後ろにやっていた。

「えっと、どこだろう? 人が多かったから、少ない場所を探していたんだけど…」

「あっ、そ、そうだったの!」

 もしかして、この前みたいに襲撃に遭うかもしれないと、警戒していただけなのかも。人が多い場所だと、いきなり襲われたら危ないし、周りの人たちを巻き込んでしまうものね。私が一人でドキドキして舞い上がっていただけじゃない!

 勘違いがひどく恥ずかしい。それに、ちょっとだけ――がっかりしてしまった。

 変に期待してしまったから。


「いったい、何を期待するって言うのよ……っ!」

 私はジュリアンから手を離すと、クルッと背を向けて小声で独り言を漏らした。顔が真っ赤で、繋いでいた手も汗ばんでいる。きっと、ジュリアンも嫌な気分になったはずだわ。急いで、スカートで手を拭う。


「行こうか」

 落ち着いた声で言われて、私はもう一度ジュリアンの方を向いた。彼はぎこちなく、笑みを作っている。私は「そ、そうね」と、頷いて隣に並んで歩き出した。

 ジュリアンは何とも思っていないのに――。

 その両手は、コートのポケットにしまわれていた。ファーのついた厚い黒のコートだ。それが彼にはとってもよく似合っていて人目を惹く。歩いている女性が、振り返ったり、うっとり見とれたりしていた。

 ジュリアンは辺境の防衛を任されているとはいえ、第一王子。私はこの世界では公爵令嬢ってことになっているけれど、家から追い出され、もう令嬢でも何でもない。今の私はあまりにも不釣り合いだ。


 もし、もっと違う出会いがあったなら。たとえば、そう――私は公爵令嬢のままで、ジュリアンも辺境の砦になんて送られていなくて、お互いに王宮の舞踏会か何かで出会っていたら、どうなっていたんだろう。

 私はやっぱり、ジュリアンに恋をしたのかな。多分、していたわね。だって、こんなに素敵でかっこいいんだもの。夢中にならない女の子なんてそういないわ。レリアだって――あなたを見れば、ジルベールより好きになっていたかも。そうなれば、レリアとあなたが結婚していたのかもしれない。だって、彼女はヒロインだもの。私とは違う。


 私は――きっと、ただの大勢いるご令嬢の一人としか覚えてもらえなかったわね。ダンスの申し込みもしてもらえなくて、壁に突っ立って、あなたが誰かと踊るのを遠くから、羨ましくて泣きそうになりながら眺めていたのかも。さっきみたいに、手を引いて歩いてくれることなんてなかった。


「私……辺境送りになってよかったかも」

 私はポツリと呟く。ジュリアンが立ち止まって私を見た。少し驚いたような表情だった。私はしまったと、心の中で焦る。声に出すつもりなんてなかったから。

「あっ、ほ、ほら、王都では経験できなかったことを、経験できるでしょう! か、買い出し……とか」

 私はヘラッと笑ってごまかす。ジュリアンはジッと私を見てから、フッと笑っていた。

「そうかも。そんなふうに考えたことはなかったけれど」

 ジュリアンは楽しそうに肩を小さく揺らして笑う。

 ああ、好きだな――。

 

 泣きそうになって、私は下を向いた。

 考えた作戦なんて一つも実行できないのに、私ばかり一方的に恋に落ちて、夢中になっていく。このままじゃ、ジュリアンも私も、砦で死んでしまうのに。

 そうよ、生き延びなきゃ。無事に生き延びて、砦も守り切れば、ジュリアンも私も、王都に戻れるかもしれない。戦いで功績を立てたら、私もまた公爵家のご令嬢として家に帰れるかも。その時は、胸を張ってジュリアンに好きですって言える。

 今は不釣り合いでしかないけれど――。


 死ねば元の世界に戻れるかもなんて、都合のいい事を考えていた。

 でも、死ねば――もうジュリアンには会えないんだ。それを考えると、私は元の世界に戻りたいなんて少しも思えなくなっていた。だって、元の世界には、ジュリアンはいない。私はジュリアンといたい。だとしたら、なんとしても生き延びなきゃ。

 ジュリアンと一緒に。


 

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