第三章 3 約束のイヤリング

 ジュリアンは辺りを見回してから、急に私の手を取ったまま走り出した。私はいきなりのことに躓きそうになりながらも、引っ張られるままにスカートをつかんで走る。細い路地に入ったところで、私はハッとした。

 後をつけられている――。


「ジュリアン……っ!」

「すみません、また巻き込んでしまったみたいだ」

 ジュリアンは早口で言うと、下り坂になっている石畳の曲がりくねった道をどんどん進んで行く。追いかけてくる足音は五人。私たちが気づいたことで、相手はもう隠れているのをやめたみたい。武器を抜き、洗濯カゴを抱えて出てきた女性を「邪魔だ、退け!」と、遠慮もなく突き飛ばしていた。女性が悲鳴を上げて、尻餅をつく。

 

 道理で、ジュリアンは店を出てから、急に私の手をつかんで歩き出したはずだ。油断なんてしている場合じゃなったのに。

 そうだ。敵はジュリアンの命を狙っている。

 私が少し強く手を引くと、ジュリアンがチラッと私を見た。通りの角を曲がった私たちは、同時に左右に飛び退くと、駆け込んできた男たちの顔に拳を叩き込む。

 不意打ちをくらって蹌踉めいた男の手から剣を奪い取り、私はすぐに戦闘態勢を整えた。


 自分の剣を抜いたジュリアンは、すでに二人目を片づけている。その速さに私は目を見張った。やっぱり、この人――すごい。デュラン将軍も腕が立つけれど、あの人よりも強いんじゃないかしら。

 私は緊張した手で剣を握ったまま、ジュリアンの姿を目で追う。


「君は下がっていて」

「いいえ、お断りよ」

 私はジュリアンと並んで答えた。足手まといになるつもりはない。それに残りは後二人。襲いかかってきた男の剣をはね返すと、相手は歯をむき出して、剣を突き出してきた。それが頬に触れるより早くしゃがんで懐に飛び込むと、マントをつかむ。  

 私は格闘ゲームだって、得意だったのよ!

 体を前倒しにして足を踏ん張り、瞬時に投げ技にもっていく。相手は受け身を取り損ねて、呻きながら地面に転がっていた。後一人はジュリアンがすでに片づけてしまっていて、細い路地には五人の男が転がっている。

 周りの民家から人が出てきて、「ケンカか?」、「強盗じゃないか?」と騒ぎ出した。

 まずい――騒ぎになったら、取り調べを受けることに!


「後は街の憲兵に任せておけばいい。行こう」

 ジュリアンが小声で囁き、私の手首をつかむ。私は頷いて、野次馬たちが集まるその場から急いで逃げ出した。

 

 ようやく、ホッと一息吐いたのは、大通りの広場に戻ったところだ。道をグルッと一回りしたみたい。

「ジュリアン……さっきの男たちも、イブロアが送り込んできたのかしら」

「そうみたいだ」

 私たちは人混みを歩きながら、声を抑えて話をする。もちろん、周囲を警戒しながら。まだ、他にも潜んでいるかもしれないものね。

「でも……どうして?」

 イブロアが侵攻を企てているのはわかる。そのためにも、防衛の要であるルバントールの砦を陥落させたい思惑があることも。その砦を死守しているジュリアンが邪魔だということも。けれど、それにしても、やり方が執拗で卑劣に思えた。

 あの男たちも、どうせ雇われた男たちだ。イブロアが関与していることは、捕らえられて取り調べを受けても白状しないはずだ。白状したところで、証拠にもならなければ、重要な情報なんて一つも持っていないはず。今まで、襲撃してきた男たちもそうだったから。


 ジュリアンは足を止めると、私の方を向く。「それは……」と口を開き、私を見つめてくる。

「私が死ぬべき人間だから、だろうな……」

 小さく呟かれた言葉に驚いて、ジュリアンを見つめ返した。

 死ぬべき、人間――。

 プロローグで語られていたジュリアンの結末が、嫌でも頭を過る。

 どうして、そんなことを言うの。まるで、自分の結末を知っているみたいな言い方。それとも、ジュリアンにはわかっているの? 

 自分が砦で命を落とすことが。それとも、一連の襲撃はジュリアンを葬るためのシナリオの一環だとでも?

 

 この世界はゲームの世界。誰かが考えたシナリオ通りに、知らず知らずに、誰もが動いているのだとしたら――。

 私はこんなシナリオを考えた誰かを、許せない気がした。

 なによ、三流もいいところだわ。ジルベールとレリアが結ばれるためなら、他の私たちみたいなモブはどんな悲惨な末路を辿ってもかまわないというの?


「ジュリアン!」

 私が手をつかむと、ジュリアンは「えっ?」と目を丸くする。

「せっかくだから、私たちも踊りましょう! お、お祭りなんだもの。楽しまなきゃ!」

 そう言うと、私は有無を言わさずジュリアンを引っ張って、踊りの輪に加わる。でも、私もジュリアンも突っ立ったまま。軽快な音楽の中でステップを踏む周りの人たちが、チラチラとこちらを見ていた。


 しまった――つい、勢いで飛び込んじゃったけど、踊り方なんて知らなかった。私が知っているのは、小学生の運動会で踊ったフォークダンスくらい。周りの人たちは音楽に合わせて自由に踊っているから、舞踏会のワルツみたいにステップが決まっているわけじゃなさそうだけど。

 音楽に合わせられない!

 ど、どうしよう。

 私が困っていると、ジュリアンがフッと笑って私の手を取る。


「わっ、ジュリアン……あの……待って。本当のことを言うと……ダンスが……その苦手なのよ!」

 私は真っ赤になって目を瞑る。「大丈夫、簡単だよ」と、ジュリアンが言うので目を開けると、彼は「一、二、三」と口でリズムを取りながら、ゆっくりと動いてくれる。私はそれに合わせて、足を動かした。

 両手はジュリアンと繋いだまま。慣れてくると、ジュリアンは微笑んで、少しだけ動きを速くする。

 

 た私はジュリアンと片手を合わせ、周りの人たちと同じようにクルッとターンする。私はすっかり楽しくなっていた。

「ほら、できた」

「ジュリアンって、ダンスも上手なのね!」

「小さい頃は……よく踊ったからね」

「あっ、そ、そうだった……ごめんなさい。私、時々、あなたが王宮で暮らしていたことを忘てしまうみたい」

「実は……私もなんだ」

 目配せし合って、私たちは笑い合った。

 

 一曲踊ると、パチパチと拍手が起こる。

 私たちは向かい合ったまま、お互いを見つめていた。

「ジュリアン……私は……」

 あなたに死んでほしいなんて思わない。ずっと、生きていてほしい。

 そのためになら、私はいくらだって戦うわ。あなたを守りたい。

 守らせてほしい。

 その言葉が胸につっかえて、言えない。

 

「君に……」 

 ジュリアンはコートのポケットに手を入れると、あの宝石店で買ったプレゼントの箱を取り出した。それを私に差し出す。

「本当はすぐに渡そうと思ったんだけど、タイミングが悪かったら……変な時に渡してしまったかな」

 そう言いながら、彼はぎこちなく笑みを作って頬をかく。私は両手でその小さな箱を受け取った。

 リボンを解いて、蓋を開くと、中にはルビーのイヤリングが入っている。


「これ……こ、婚約者にあげるんじゃ……」

 私は思わず口に出してしまった。ジュリアンの顔を見ると、「婚約者?」と首を傾げている。

「ああ、ジルベールの婚約者のレリア嬢のことか」

「ち、違うわよ、あなたの……っ!」

 ジュリアンはキョトンとした表情で私を見てから、急に声を抑えて笑い出した。

「私に婚約者はいないよ……いても仕方ないし」

 そう言うと、ジュリアンは私を見つめて、「気に入らなければ、売ってくれていいから」と言う。


「売るわけないわ。ものすごく気に入ったし……私にはもったいないくらいだもの……こんな素敵なイヤリング……」

 こんな恰好じゃきっと似合わない。お城で舞踏会に行く時じゃなきゃ。でも、そんな日はもう来ないかもしれない。

 それでも、ジュリアンの気持ちが嬉しくて、涙が出そうだった。

 ジュリアンは、ただ私に気を遣って買ってくれただけ。それ以上の理由なんてない。それとも、ジュリアンはやっぱり王子だから、人に高価な贈り物をすることに慣れているのかもしれない。それでも、やっぱり、嬉しかった。


「ありがとう、ジュリアン……一生大切にする。絶対、手放したりしない。だから……」

 私は顔を上げ、潤んだ瞳を彼に向ける。

「生きて王都に戻った時、舞踏会に出られたら……このイヤリングを着けていく。その時には、また私と……踊ってくれる?」

 ジュリアンを見つめて訪ねると、彼は口を少し開いて何か言いかけてから、表情を和らげた。

「もちろん……」

 そう答えた彼の微笑みが、少し寂しいものに思えて、私は胸が苦しくなる。

「約束よ」


 だから、死なないで――。

 ジュリアンの手を、私は強く握り締める。

 彼はその手に少しだけ力を込め、握り返してくれた。

 


 

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