第六章 5 記憶の断片

 教会に付属している救貧院では、身よりがない子どもの面倒を見ているようだった。私は教会に滞在させてもらっている間、教会の清掃を行い、シスターと一緒に子どもたちの遊び相手になる。風呂や食事の世話も手伝っている。


 庭に出た私は、子どもたちと一緒に大縄跳びをしていた。もちろん、縄を回すのは私とシスターの役目。「せーの!」で縄を回すと、子どもたちがはしゃいだ声を上げ、タイミングを合わせてジャンプする。


 それを、「一、二、三……っ!」とカウントするのも忘れない。誰かが引っかかったら、また一からやり直し。その遊び方は、私がいた世界と変わらない。これが十回目だから、私もシスターもすっかり腕がつかれて、笑顔が引きつってしまっていた。「四十五! 四十六!」と、渾身の力を振り絞って大きく縄を回す。

 これって、いい筋トレになるけれど、明日には絶対に腕が筋肉痛だわ――。


 縄に引っかかった子が転けてしまい、周りの子たちも飛ぶのをやめる。「また、お前かよ!」、「もーっ、今日は百回まで挑戦するつもりだったのに!」と、他の子がその子を取り囲んで文句を言い始め、転けた子は目に涙を溜めてしょげてしまっていた。

「はい、みんな。責めないっ! ケンカしないっ!!」

 私が手を叩くと、「ジャンヌの回し方が下手くそだからじゃんっ!」と今度は私の方にとばっちりがくる。「こら、そんなことを言わないの!」と、シスターが諫めているけれど、子どもたちは「そーだ、そーだ!」、「縄跳びは縄を回すやつの腕にかかっているんだぞ!」と不満を垂れる。


 このちびっ子どもめ! 私は溜息を吐いて、子どもたちを見下ろす。

 背丈だって私の半分しかないくせに、口ばっかりは一丁前ね。

「はいはい、私が下手くそなせいですよーっ。だから、縄跳びはやめて鬼ごっこに変更! 私につかまったら、食堂の床掃除を手伝わせるわよっ!!」

 私がニヤーッと笑って走り出すと、子どもたちは「キャーッ!」、「わーっ!」と叫び声を上げて逃げて行く。私は座り込んで泣きそうになっている小さい男の子をひょいと持ち上げて起こすと、「一緒に追いかけようっ!」と笑いかけた。

 その子はパッと笑顔になり、私と手を繋いで走り出す。


 シスターは庭を駆け回る私たちを見て、フフッと笑っている。ようやく全員をつっつかまえて、食堂に移動させることに成功した私は、腰を押さえて「は~っ」と息を吐いた。子どもの体力、恐るべしよ――。


「ご苦労様です、クロエ嬢」

 シスターニコッと笑って、やってきた。私を部屋に案内してくれた若いシスターだ。差し出された水を、私は「ありがとうございます」とお礼を言って受け取る。

「すっかり子どもたちに気に入られてしまいましたね。みんな、いつもより楽しそうに遊んでいて、ちゃんと言うこともきくので驚きました。子どものお世話がこんなに上手だなんて」

「それは、私も子どもみたいなものだからですよ。それに、ここの子たちは行儀もしっかり教えられているから、みんないい子ばかりです。シスターがしっかり見ているんですね」

「そうおっしゃっていただけると、嬉しいです。クロエ嬢は他の貴族のご令嬢たちと違うんですね」

「そ、そうですか?」

 それって、あんまりご令嬢っぽくないってことかな。私は中身が入れ替わっているから、本物のクロエ嬢とようには振る舞えない。砦では誰も気にしなかったみたいだけど、王都ではそうはいかないかもしれないと、ひやりとした。


「とても、親しみやすいです」

「慈善活動に慣れているのですわ! 公爵家では……よく寄附も行っていますから」

 私はアワアワして誤魔化すように微笑んだ。うちのケチな両親やお兄様たちが、慈善活動を熱心に行っていたなんて聞いたことはないけれど。多少はしているはずよね。それとも、まさか公爵家ともあろうものが、まったく困った人たちに手を差し伸べたことがないの? 


「ええ、この教会にも多額の寄付をいただいていると聞いています。本当に立派なことですよ」

「貴族として、当然の義務ですから……」

 私は胸に手を当て、できるだけ慎ましく見えるように答えた。これこそ、ノブレス・オブリージュってやつよ。

 食堂の窓から顔を出した子どもたちが、「ジャンヌーっ! 何してるんだよ」、「ジャンヌ姉ちゃん、お茶の時間だよーっ!」と手を振りながら呼びかけている。

「フフッ、呼んでいますね」

「しびれを切らしたみたい。行きましょう、シスター!」

 私はシスターの手を取ると、笑って駆け出す。

「あっ、そうだ。今日のお茶のお菓子はなんですか?」

「昨日、みんなで作ったクッキーですよ」

「それは楽しみです!」


 

 午後からは、シスターが子どもたちに読み書きの勉強を教えてる。その間、私は子どもたちの衣服やシーツを洗濯する。大きな桶を抱えて洗い場に移動していた私は、回廊を歩いてくる神官と聖騎士のすれ違う。二人とも二十代後半の年齢だ。

 二人とも私に気付いていたみたいだけど、会釈しただけで会話を続けていた。エプロンスカートという質素な服装だから、二人とも私がただの手伝いの町娘とでも思ったようで気にもとめていないようだった。まあ、そうよね。洗濯桶だって抱えているし。


 私も気にせず歩いていたけれど、不意に脳裏に映像が浮かんできて額を押さえる。頭がズキッとした。私が今歩いている庭に面した回廊での光景だった。


 さっきの神官の男性と、一緒にいるのは――レリア嬢。二人とも、周りに人がいないのを確かめてから、嬉しそうに寄り添って笑い合っていた。神官の男性はレリアの頬に手を添え、耳元でなにか囁き、レリアは頬を赤くして彼を見上げる。顔を近づけ合ったところで、私は自分の口から漏れた「わっ!」という声でハッとする。その瞬間、影像は途切れてしまった。


 立ち止まった私の声が聞こえたのか、遠ざかりかけていた二人の足音が止まる。

「どうかしましたか? ルーセル司祭」

「いえ……」

 二人の会話が聞こえてきて、ギクッとする。恐る恐る振り返ると、神官と男性が私の方を見て、不審そうに眉根を寄せていた。私はヘラッと笑い、急いで前を向いて逃げるように足を速める。


 私のこと、気付かれていない――よね?

 心臓が緊張でバクバクしていた。回廊を出て人気のない裏庭の洗い場まで来たところでようやく息を吐き、井戸の縁に腰を下ろす。  

 神官も聖騎士の男性も、私を追いかけてはこなかったようだ。


「さっきの……なんだろう?」

 ただの想像? それにしてはリアルすぎた。この体に残っていたジャンヌの記憶かもしれない。彼女が残した手紙に書かれていたことを思い出した。レリアは神官と教会で密会していた。レリアの後をつけてあら探しをしていたジャンヌは――といういと、なんだか身も蓋もないけれど――二人が親密な場面を目撃してしまった。


 ということは、レリアの密会相手の神官はあの人!

 聖騎士の人は、『ルーセル司祭』と呼んでいたっけ。そういえば、ゲームの登場人物一覧にそんな名前があったような。私は額に指を当てて、「うーん」と唸る。プロローグの後に流れた曲でも、神官の恰好をしたイケメンの影像があった。私はパッと顔を上げる。

「あの聖騎士の人も……なんだか見覚えあるわね。ということは、レリアの攻略対象?」 

 レリアが乙女ゲームに忠実に行動しているとしたら、つまりは浮気相手の一人ってことだ。私は頬杖をついて、「なんとも、清楚なふりしてやるわね」と呆れた顔で呟いた。


 このことを、ジルベール王子は知っているのかな。知らなかったとしたら、間抜けな話だけど今の私には関係ない。嫉妬心なんて、欠片もこの胸の中には残っていない。ということは、このジャンヌもジルベール王子には愛想が尽きたのかも。手紙を出さなかったのはそのせい? もう言っても仕方にから? 


「いいえ、違うわね……」

 私は独り言を漏らして首を振った。あの最後に残されていた言葉は、命の危機を感じていたから。リレアを貶めるためではなく、助けてほしかったからよ。だとすれば、〝あの女〟とはやっぱりレリアをさしている。

 レリアは自分の秘密をジャンヌに知られたことを知り、口封じをしようと脅しを掛けたとか? それとも、誰かを差し向けたのかも。暗殺者とか――。

 なんだか、どんどん乙女ゲームらしからぬ、血生臭いストーリーになってきている気がするけど。このゲームって、キュンキュン・ラバーズファンタジーよね?

 推理ゲームとか、ホラーゲームじゃないよね? タイトル詐欺も甚だしくない?


 何か思い出せることはないかと真剣に悩んでみたけれど、さっきみたいに影像は浮かんでこない。また何かのきっかけで、思い出すこともあるかもしれない。

 考える人のポーズで悩んでいた私の口から、「指輪……」という言葉がポロッとこぼれる。

 自分でも驚いて顔を上げ、小鳥が囀っている静かな裏庭を見つめる。庭の木は枯れ枝になっていた。その枝に多くの小鳥がとまっている。


「指輪……何のこと?」 

 パチンと、誰かの手が浮かんでくる。細くて柔らかそうな女の人の手だ。

 その指に紋章の刻まれている指輪がついていた。どこかで見覚えのある鷹の紋章。

「うーん……どこだっけ。鷹の紋章……見たんだけど……」

 頭がグルグルしてきたから、考えるのを諦めて立ち上がった。

 そのうち、大事なことなら思い出すわよ。


 井戸から水を汲み、桶に移して洗濯を始める。洗濯板にゴシゴシとシーツを押しつけ洗っていると、「クロエ嬢」と焦ったように呼ぶシスターの声がした。立ち上がり、エプロンで濡れた手を拭きながら振り返ると、若いシスターがやってくる。

「どうしたんです?」

「それが、クロエ嬢に会いたいという方がいらっしゃって……」 

「私に?」

 私が教会にいることを知っているのは、一人だけしかいない。

 もしかして、ジュリアン?

 手紙は昨日、別宅に届けてもらったからもう目を通しているはずだ。


 シスターに洗濯物は後でまたやりますからと伝えて、急ぎ足で回廊を走る。

 向かったのは礼拝堂だ。大きな扉を開いて中に入ると、数人の参拝客と高齢な司祭がいた。倚子でお祈りしている女性もいる。

 呼吸を整えながら広い礼拝堂を見回していると、倚子に腰を掛けていた男の人が立ち上がって振り返った。私はその顔を見て、頬を緩める。

 やっぱり!

 ジュリアンは少しびっくりした様子で私のそばまでやってきた。


「すみません、昨日は出かけていて……手紙を受け取るのが遅くなってしまったんです。教会にいるなんて、思いませんでした」

 ジュリアンは声を潜めるように言うと、周りを気にして視線を通路に向ける。ジュリアンは第一王子だけど、長く王都を離れていたから顔を知っている人もあまりいないみたいだ。私もこの恰好じゃ、知り合いに会ってもきっとわからない。

「いいんです。けっこう馴染んでいるんですよ」

 私は「ほら」と、自分の恰好を見せて笑う。ジュリアンは目を丸くしてから、フッと笑った。

「よかった。心配していたから……」

「私をですか?」

「それはそうでしょう。もしかして、公爵邸で何かあったんじゃないかと……どうして、私の別宅に来なかったのです? 遠慮なんていらなかったのに」

 私とジュリアンは小声で話をしながら礼拝堂を出る。


 ここでは、ゆっくり話ができないからだ。私たちを知っている人が見たら、その――ちょっとばかり密会しているみたいで都合が悪い。教会には貴族も多く訪れるんだから。


「ちょっと気になることがあって。確かめたかったんです。ところで、ジュリアンはルーセルという名前の司祭様をご存じですか?」

 大聖堂の裏手に移動しながら尋ねる。樹木が生い茂っていて人もいない。

「ルーセル……いいえ……実はあまり信心深くなくて、教会には足を運ぶことがほとんどなかったので」

 ジュリアンは苦笑してそう答える。いつの間にか、私の手をとっていた。ジュリアンは手袋をしているけれど、私は洗濯の途中だったからちょっと濡れて、赤くなっている手だ。水が冷たかったから、すっかり冷えている。


 ジュリアンも王族の生まれだけあって、エスコートの仕方が自然でドキッとする。それに今のジュリアンは、厚手のジャケットにブルーのタイをつけていて貴族の令息っぽい身なりだった。


 それに比べて、私は作業着のエプロンスカート。あまりにもつり合わない恰好で恥ずかしくなってくる。それに、繋いだ手を意識してしまってドキドキしていた。

 このまま、繋いだままでいいの? それとも、適当な時に手を引っ込めた方がいい? 私の方がエスコートされた時の振る舞い方がわからなくて動揺していた。


「ジャンヌ?」

 ひょいっと顔を覗かれて、私は「わあっ!」とびっくりする。後に下がろうとした瞬間よろめき、ジュリアンが咄嗟に私の腰に腕を回した。支えられたおかげで倒れなかったけど――顔が近くて顔の温度が一気に上がる。私は斜めに傾いている体をピンッと伸ばして、すぐに一歩離れた。


「ありがとうございますっ! 最近、訓練不足で……もっと、体幹を鍛えないと!」

 その場でスクワットをしようとする私を見て、ジュリアンは声が漏れそうになった口を押さえる。その口角が上がっているのを、しっかり見てしまった。手を退けた後も口元が緩んでいて、肩が小さく震えている。


「……そのルーセルという神官に会うためにこの教会を訪れたのですか?」

「いいえ……そういうわけじゃないです」

 どう説明すればいいのかわからなくて、私は首を傾げる。ジルベール王子の婚約者、レリアがその神官と密会していたことを、今すぐ話すべきかどうかわからなかった。それにはあの手紙のことも話さなくてはいけなくなるし、そうなると私がジルベール王子にご執心だった時のこともジュリアンに知られてしまう。


 それは、なんだかものすごーく嫌だ。私は眉間に皺を寄せて無言になる。

 このジャンヌはジルベール王子の元婚約者なんだから、その相手の動向を気にするのは不自然とは言えないけれど、ジュリアンに今もジルベール王子が好きだと勘違いされると困る。私は「絶対、嫌よ……っ!」と、小声で呟いた。


「何が嫌なんです?」

 思いのほかはっきりと声に出ていたようで、ジュリアンはキョトンとした表情できいてくる。私は「それは……なんでもないんです!」と、笑って誤魔化した。

「それより、ジュリアン。赤い鷹の紋章ってどこの紋章なのか、知っていますか? 中央に剣があって、左右に槍と斧が描かれている……」

「赤い鷹……それはイブロアの紋章のことですか?」

 ジュリアンの言葉に、私は「ええっ!」と思わず大きな声を上げる。

「イブロア!?」

 そうだ。サリーを助けるために侵入した城塞に確かにその紋章の旗が掲げられていた。何度も見ていたのに、どうしてすぐに気付かなかったの!?

 私の顔色が変わるのを見て、ジュリアンの表情も変わる。

「ジャンヌ、どうしてそんなことをきくんです? イブロアの紋章を王都で見たんですか?」

 肩をつかまれ、私はビクッとする。これって、想像以上に深刻な問題なのかも。

 ジュリアンはすぐに冷静になったのか、「すみません……」と手を引っ込める。


「ここで話せなくて。どこか二人きりになれる場所はありませんか!?」

「二人きりですか?」

 戸惑うジュリアンの表情を見て、私は「ああっ、違うんです!」と慌てる。

「誰かに聞かれないほうがいいことで……っ!!」

 二人きりになりたいなんて、普通、貴族のお嬢さまは誘ったりしないでしょ!

 それに、ジュリアンを誘惑しようとかそういう意味で言ったんじゃない。

 当たり前だけど!!

 真っ赤になってアワアワしていると、ジュリアンがフッと表情を緩めた。


「私の別宅に行きませんか? 最初から、そのつもりで迎えに来たんです」

 公爵邸にいられなくて困っていたことも、ジュリアンはわかっていたんだ。

 それで、迎えに来てくれた――。

 私の胸がほわっと温かくなる。教会で確かめたかったこともわかったし、これ以上ここに留まっている理由もない。私の役目はジュリアンの補佐。だったら、そばにいた方がいいよね。うん、そうだよ。これも任務のうち!

 自分に都合のいい言い訳をしながら、私はヘラッと笑った。


「シスターに伝えてきます。荷物もまとめないと……」

「じゃあ、表の馬車で待っています」

「はいっ!」

 

 

 


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転生ジャンヌは恋をしない 春森千依 @harumori_chie

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