第六章 4 謁見

 王宮内にある国王の執務室に向かったジュリアンは、父である国王「ただいま、戻りました、陛下。ご健勝でなによりです」と挨拶する。国王は執務を続けながら、「うむ」と頷いただけだった。そのそばには、宰相が控えている。


「ジュリアン殿下も、しばらく見ない間に精悍になられた。砦での任務はさぞや、ご苦労も多いことでしょう」

「皆の者に助けられ、なんとか役目を果たしております」

「殿下はお戻りにならないと伺っておりました。ジルベール殿下も、さぞかしお喜びになることでしょう」

「そうだといいのですが……陛下、隣国イブロアの件でご相談したく、戻って参りました。イブロアが戦争の準備をしているのは陛下もご存じのことと思いますが、この一年ほどその動きが以前より顕著になっております。砦にも何度か襲撃がありました。いずれ、遠からず国境を越えて進撃してくるでしょう。ですが、砦の戦力では、防衛は難しいかと。その現状を、陛下に知っていただきたいのです」

「ふむ……確かにその報告は受けていますが、砦には殿下の配下の優秀な兵がおりましょう。それに、増員は度々行っているではありませんか」

 黙って聞いている国王の代わりに答えたのは宰相だ。


 ジュリアンはわずかに眉間に皺を寄せる。厄介者の犯罪者を数名押しつけておきながら増員と言うのか。砦の兵力は三百もない。そのうち、まともに戦闘を行える者は半数がいいところだ。敵は本気で侵略を考えている。一万とまではいかなくても、五千程度の兵力は覚悟しておくべきだろう。それも、かなり訓練されている兵が相手だ。砦を本気で護る気はない。


「ルバントールは防衛の要です。その砦を維持できなければ、この王都も無事ではいられません。陛下、冬の間は敵も動かないでしょう。今のうちに敵の進軍に備えるべきです」

 ジュリアンは真剣な顔で訴える。国王は書面にサインをすると、溜息を吐いてインク壺にペンを戻した。ようやく顔を上げて机の前に立つ息子を見る。

「ジュリアン、ジルベールの婚約披露パーティーが行われる大事な時期に起こりもしない危機を煽り、水を差そうというのか?」 

 冷ややかに言われて、ジュリアンは口を噤む。

「陛下、ジュリアン殿下も、国を案じておっしゃっているのですよ。そう、責めることもありますまい」

 宰相は扇を口に当てて、さも擁護するような口ぶり言う。まったく、白々しいなと心の中で笑う。砦に兵を送るのを止めているのは、宰相でもあるだろうに。


「砦の兵を増強すれば、それこそイブロアを刺激しかねない。こちらに侵略の意図ありと思われ、責める口実にされたらどうする? イブロアと国境で小競り合いが起こることなど、いつものことではないか。本気で攻め込むつうもりなど、ありはせぬ。こちらの様子を伺っているだけだ。その挑発に乗るなど、それこそ愚かなことではないか」

 国王はその程度もわからないのかと、呆れたように大きな溜息を吐いて倚子の背に凭れる。


「さすがは陛下。隣国の内情にお詳しい……イブロアが我が国を侵略したところで、無駄に兵を消耗するだけのこと。利となるものは何もありますまい。ジュリアン殿下、陛下のおっしゃるように、今はいたずらに不安を煽るようなことは控えるべきでしょう。砦の役目は今の現状を維持し続けることです。それには、過分な兵は不要でしょう。ですが、陛下。せっかく、こうして自らジュリアン殿下が王都に足を運んでくださったのです。無駄骨になるのも、殿下の面目を潰すことになります。冬に備え、いくらか砦の予算を増やしてはいかがでしょうか?」

「……ジルベールの婚約祝いで、兵にも特別賞与を出すことになっているからな。それで十分だろう。ジルベールに感謝するがよい」


 これ以上、何を言っても無駄か――。

 最初から話が通じる相手ではないことくらい理解している。

 ジュリアンは「陛下のご温情に感謝いたいます」と、頭を下げる。


「そういえば、殿下はあの問題の公爵令嬢を伴って戻られたとか。クロエ嬢も、元ご令嬢。砦暮らしに慣れるのはさぞかし大変なことでしょう」

「……クロエ嬢には、大変助けられています。砦にはなくてはならない優秀な人材です。私も危ないところを救われました……陛下。ジルベールとカリエール嬢との婚約も決まったのです。クロエ嬢の罪状も不確かなものだと聞いております。公爵令嬢たる彼女を、いつまでも砦に留めておくのは好ましくないでしょう。王都に戻り、その名誉を回復できるよう、陛下からも取り計らっていただけないでしょうか? 本来、クロエ嬢は砦で重労働するような身分ではないはずです」

「……恩赦を与えよと申すのか?」

「陛下の寛大さを示すよい機会ではありませんか? 公爵家はそれでなくとも、ジルベールと令嬢の婚約を破棄されたのです。王家に対して不審感を抱いていてもおかしくはありません。王家と諸侯の間の不和は、できるだけ解消しておく方がいいかと。 禍根を残せば、それこそ王家の地位が揺らぐことにもなりかねません。蟻の一穴と申しますから」

 冷静に答えて、ジュリアンはゆっくりと視線を上げる。国王は一瞬言葉を飲み、宰相と目配せし合っていた。即断できることでもないだろう。

 クロエ嬢を許して王都に戻れば、反発する者も出る。

「その件については検討しておく。下がれ」

 国王に言われて、ジュリアンは一礼して足の向きを変えた。

 

「ふんっ、どうやら……あの娘は、砦でも厄介者だったようだな。理由をつけて王都に送り返したいのであろう」

「公爵家でも我が儘に育てられたご令嬢ですから、致し方ありますまい。砦での生活など耐えられるはずもない。殿下のおっしゃる通り、公爵家は縁談を破棄されたことに不満を募らせているかもしれません。この際です、公爵家にお戻しになってはいかがですか? まあ、もはや公の場に堂々と顔を出せるとは思えませんが」

「そのうち、公爵家が修道院にでも送るだろう……」

 扉を閉める時、国王と宰相のそんな会話が聞こえてきた。


 廊下を歩いていると、向こうから近衛騎士を連れたジルベールが歩いてくる。ジュリアンの姿を見ると少しばかり驚いた表情を浮かべて立ち止まった。不審そうな目を向け、「兄上……」と声をかけてくる。

「お久しぶりです。お戻りになられたのですね」

「ああ……弟の婚約披露パーティーだからね。顔を出さないわけにはいかないだろう? 遅くなったけれど、おめでとう。ジルベール」

「……ありがとうございます。父上に呼ばれておりますので、失礼します」

 素っ気なく答えると、ジルベールは近衛騎士を促して横を通り抜けていった。

 

 王宮を出ると、馬車で別宅に向かう。

 息が詰まるなと、窓の外を見ながら襟のタイを指で緩めた。

 外は暗く、雨が落ちている。


 最初は性格の悪い我が儘令嬢だと聞いていた。砦にやってきても、何も出来ずに音を上げるか、逃げ出すだろうと思っていたのに。想像していた以上に優秀で、砦にすぐ馴染み、今では必要な人材だ。だからこそ――これ以上の苦労を背負わせる必要はない。


 救援の要請を断れた以上、砦がイブロアに落とされるのは時間の問題。ルバントールは地獄と化す。それは決められた定めで、回避できるものではなかったのだろう。


 それがこの世界に用意されている改変不能な〝シナリオ〟だ――。

 だったら、そこに巻き込むことはない。

 自分の役割は、無駄な犠牲を最小限に留めること。この命にかえて。


(君に……生きていてほしいと望むのは、〝僕〟のエゴだろうか……?)

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