第六章 3 滞在先

 威勢よく公爵邸を出てきたのはいいんだけど――。

  

 暗くなり始めた夜道で、私は「これから、どうしよう~っ!」と頭を抱える。荷物はバッグ一つ。お金もわずかしか持っていないから、安宿に行ったとしても何日泊まらせてもらえるかわからない。いっそ、宿で働かせてもらいながら馬小屋で寝起きさせてもらう? 


 私はバッグのポケットから、預かっていたメモを取り出す。

『私が滞在している別宅の住所です。何かあったら必ず来てください』

 公爵邸の前で馬車を降りる時、ジュリアンが急いで書いた紙を私に渡してくれた。

 ジュリアンの別宅に行けば、追い出されるようなことはないってわかってる。ジュリアンは優しいから、きっと屋敷に滞在させてくれるだろう。だけど――そんな迷惑、かけたくない。自分のことも何とかできないお荷物だなんて、思われたくないよ。


 私は唇をギュッと結んで紙をバッグのポケットに戻す。「これは、最後の手段!」と、気弱になる自分に言い聞かせて大股に歩き出した。

 困った時には教会! 

 迷える子羊を、慈悲深き神様にお仕えする神官たちが無碍にするわけない。

 それでも、無碍にされて追い払われたら?

 その時には、安宿で労働よ――。


 心が決まって、私はこの王都で一番大きな教会に足を向けた。それに、私が教会に向かった理由はもう一つあった。あの手紙に書かれていた内容が、本当か確かめたかったから。



 私が向かった教会は、宮殿からも近い。聖騎士団の本部があり、大神官様がいらっしゃる場所だから尖塔と鐘楼がある大きな聖堂が建っていた。救貧院も付属している。私が教会に辿り着いていた時には、ちょうど夜の拝礼が終わったところだった。


 私は今、教会の回廊を若いシスターと一緒に歩いている。

「お嬢さまのお噂はかねがね聞いております。この王都にお戻りになっていたとは存じ上げませんでした。ご苦労なさったのですね」

 品のいい若いシスターは燭台を持って、私の先を歩きながら穏やかに話しかけてきた。

「ええ、まあ……これも神の思し召しですから。苦難は人を成長させると言いますでしょう?」

 適当に答えると、彼女は「そうですね」とクスッと笑う。いい人そうでよかった~っと、私は心の中でホッとする。礼拝堂を片づけていた彼女を見つけて声をかけ、事情を話すと事務局に案内してくれて滞在の許可をもらってくれた。


 家を追い出された身で公爵家の名前を出すのは躊躇われたけれど、使えるものはなんだって使うべきでしょ。もちろん、家を無慈悲に追い出されたことは話していない。この王都に戻ってきたのだから、数日、奉仕活動をさせてほしいと頼んだ。

 私も厚かましくタダで滞在させてもらおうなんて思っていない。清掃でも、洗濯でもなんだってやるわよ!

 私は、敵国の城塞で洗濯係の女中として雇われた時のことを思い出す。捕らえられたサーラたちを救出するためとはいえ、いつ素性がばれるかわからない中で、ヒヤヒヤしながら仕事をしていた。こちらの世界でかなり経験を積んだおかげで、多少のことくらいでは動じなくなってきている。

 本当、苦難は人を成長させるものだわ。私は苦笑いを浮かべた。


「こちらの部屋をお使いください。狭い部屋なので、窮屈で不便かもしれませんが……」

 私が通されたのは、回廊を一番奥まで進み、階段を上がったところにある部屋だった。廊下があり、部屋がいくつも並んでいる。私みたいに突然やってくる滞在者のための客用寝室みたいだった。扉を開けて入ると、簡素なベッドと机、それに衣装箪笥が置かれている。正面は窓でカーテンがかかっていた。

「十分すぎるくらいです。いきなり訪れたのに、滞在を許可してくださり、感謝いたします」

 私は振り返り、シスターに丁寧にお礼を言った。馬小屋で寝起きすることも覚悟していたんだから、屋根と壁とベッドがあるだけ上等よ。


「明日の朝の朝食は、礼拝の後です。食堂にお越しください。それと、入浴が必要なら浴場がありますからそちらを使ってください」

 「浴場!?」と、私は目を輝かせる。やっぱり教会を選んだのは大正解だった

「ありがとうございます。ありがたく使わせてもらいます」

「それでは、明日の朝に」

 シスターは私に蝋燭の灯る燭台を渡すと、微笑んで部屋を出て行った。


 扉が閉まるのを見届けてから、「さてと」と荷物を机の上に置く。机の引き出しにはレターセットと祈祷書が入っていた。ベッド脇のサイドテーブルには、ピッチャーとコップが布をかけられて置かれている。


 ここに滞在しているってことは、ジュリアンに伝えておいた方がいいわよね。そうしないと、連絡を取る時に困るだろう。私は引き出しからペンとレターセットを取り出す。公爵家を追い出されたなんて書けば心配して迎えに来るかもしれない。だから、『調べたいことがあって、教会にいます』とだけ書いておいた。この手紙は明日、届けてもらおう。

 

 ジュリアン、どうしているかな――。

 王宮には足を運ばず、そのまま別宅に向かったのかな。私はセドリック兄様の言葉を思い出す。ジュリアンがどうして、王宮で嫌われているのか。その理由をはっきりと聞いてはいない。私は「そんなの……どうだっていいわよ」と、呟いて首を振る。

 ジュリアンのことを何も知らない人が何を噂しようと、嫌っていようと、私には関係ないことだもの。私のことだって、色々言われているんだし。


 でも、罪を犯したわけでもないジュリアンが、辺境に送られているのか。その理由がまったく気にならないわけでもなかった。私には、ジルベールなんかより、ジュリアンの方がずっと国王に相応しいと思えるのに。


「だからなのかな……?」

 私は頬杖をついて、風に揺れている窓を見つめる。権力闘争なんて、どこの世界にもありそうな話だ。ジュリアンの性格からして、そんなものに巻き込まれるのが嫌だったのかも。それに、砦がどれほど国の防衛上、重要な拠点なのかジュリアンは理解している。砦が陥落すれば、この国は隣国イブロアに簡単に攻め込まれてしまうから。なのに、国の重鎮も国王も、暢気に恋愛ごっこをしているジルベールもわかってやしない。平和惚けしていられるのも、ジュリアンと砦のみんなのお陰なのに。ジュリアンはもっと、評価されるべきよ。


 砦の温泉で遭遇した時のことを思い出して、私の頬がほわっと熱くなる。

 私は「お、お風呂入ってこようっ!」と独り言を漏らして、立ち上がった。

 会いたいなって思うのは、それくらいもう――あの人が私の中心になっちゃっているからよ。

 


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