第六章 2 手紙

 王都の王宮に近いストリートは、高級住宅街で名だたる貴族のタウンハウスが並んでいる。その一角に、公爵家であるクロエ家の邸宅もあった。白亜の外壁のコの字型の建物が、整備された庭の奥に建っている。私、ジャンヌ・ド・クロエはこの屋敷で育った公爵令嬢だった。


 私を出迎えた高齢の執事は、幽霊が墓場から舞い戻ってきたみたいに見るからにギョッとした顔をしていたし、メイドや従者たちも、回廊を歩く私を見て「うわっ!」、「えっ、なんで……」と、小声でヒソヒソと話している。


 わかっていたけれど、まったく歓迎されていないわね。

 私は苦々しい表情になる。まあ、それも仕方ないとは仕方ない。もとも、このジャンヌ・ド・クロエというお嬢さまは我が儘放題で育てられてきて、傲慢に振る舞うことも多かったみたいだ。悪役でヒロインを階段から突き落とすためだけに存在していたようなキャラだから、設定上そういう性格にもなるわね――。

 

 お父様とお母様にご挨拶するために居間に向かえば、『なんで、勝手に戻ってきているんだ!! これが陛下に知られたらどんな不興を被るか!』とお父様は蒼白になって私を怒鳴りつけた。その後はなかなかの修羅場で、頭が痛くなるからあまり思い出したくない。

 事情を説明すれば一応納得してくれたみたいだけど、疫病神が戻ってきたみたいな迷惑そうな態度や口調は隠そうもしなかった。『屋敷に滞在中は、とにかく出かけず、部屋で大人しくしていろ!!』と命令されて、私はこれ以上話しても無駄だと大人しく返事をして退室してきた。


 お母様にいたっては『本当に、これが私の娘かしら?』と、扇を広げて口を隠して眉根を寄せていた。服装も質素だし、髪も後で一つに結んだだけ。もちろん、砦の生活が長かったから、髪のお手入れもできていない。


 だけど、長旅だったんだし、このほうが動きやすいのよ。行きがけみたいに、ドレスで戻れるわけがないんだから。それにあのドレスは魔獣と戦ったせいで、血みどろの上に破れ目だらけだ。あんなドレスを着て戻ってきたら、今以上にビックリ仰天されて、気位の高い根っからお嬢さまのお母様なんて卒倒してしまう。


「お嬢さま、あの……申し訳ありません。お部屋ですが、急にお戻りになられるとは思わず、その……奥様の言いつけで長く手をつけておりません」

 私を部屋まで案内してくれた若いメイドは、怒られて張り手でもくらうんじゃないかとビクビクした様子で、扉を開く。

「ああ、いいわよ。部屋を掃除していないんでしょう?」

 事情を察して答えながら、私は部屋の中に入る。メイドは急ぎ足で窓に駆け寄り、埃臭い部屋の空気を入れ換えようとしていた。閉めきられていたカーテンを開くと、パッと埃が舞い散る。光が入った部屋は、家具やベッドに埃よけの白い布がかぶせられて、シンッと静まり返っている。


 暖炉の上の燭台や置物も埃をかぶって白くなっていた。暖炉の中には灰しか残っていない。まるで幽霊屋敷みたいねと、私は部屋の中を見回す。この世界にやってきて、ほんの数ヶ月しか滞在していなかった、私のものじゃない私の部屋だ。それほど、思い入れがあるわけじゃない。

 

「今すぐ、清掃を……っ!」

 若いメイドは健気にそう言って頭を下げ、倚子にかぶせてあった白い布をはぐる。

「布だけ片づけておいてちょうだい。後は私がするから」

「えっ、ですが……っ!」

 メイドは布を抱えながら、恐縮したように私の顔をチラチラと見る。

「掃除くらい、私だってやるわよ。雑巾と水だけ持ってきてもらえるとたすかるわ」

 私が手をヒラヒラさせて苦笑気味に言うと、彼女は「承知いたしました……」と頭を下げて部屋を駆け出ていった。見覚えのない顔の女の子だった。私が出ていった後で入ったのかな。あの様子だと、私の悪評を散々聞かされたのね。


 まあ、いいわ。私は「さてと!」と、袖をまくって掃除に取りかかる。掃除だって砦で鍛えられているからお手のものよ! そう思うと、私ってあそこで随分生活力を鍛えられているのね。宿舎でも救護室でも、掃除は私の担当だったから。


 部屋の窓を全部全開にして、空気を入れ換えていると、先ほどのメイドの女の子が水の入った桶と雑巾、モップなどの掃除道具を抱えて戻ってきた。「私も手伝います!」と、言ってくれたけれど、彼女の手を煩わせるまでもない。

 メイドさんも他に仕事があるだろうしね。私はそれをやんわり断って、道具だけ借り、寝具の換えを頼んでおいた。


 一通り掃除を終えると、もう夕方になっていた。

 私は「ふーっ」と額を拭って、雑巾を桶で絞る。部屋の机には、彼女が読んでいた本が数冊置かれていて、引き出しの中にはレターセットが残っていた。衣装タンスの中には下着類と数着の普段着。それ以外はみんな処分してしまったみたい。

 宝飾品類はなかった。公爵家の令嬢なのに、寂しいものねと私は本を手に取りながら溜息を吐く。不意に、ページの間から数枚の便せんが落ちて机の下に散らばった。


 真新しい便せんではなく、書きかけものだ。ジャンヌが書いていたものかな?

 私はしゃがんで、その便せんを拾い集める。宛先は――。


「ジルベール殿下?」

 まだ、婚約者だった頃に書いていたものみたいだ。人の手紙を読むなんてあまり行儀のいいことではないけれど、この私がこちらの世界に転生する以前のジャンヌに関する数少ない手がかりだ。それに、チラッと見えたレリアの名前が気になった。

 私は倚子に腰を下ろして、手紙に目を通す。


 内容は、いわゆる――告げ口みたいだった。

 レリアが教会のイケメン神官と密会していて、キスまでしていたと怒りの言葉で書き綴っている。しかも、レリアが密会していた相手は、一人に留まらないみたいだった。


「ジャンヌ……あなた、レリアをこっそりつけ回していたのね……」

 私は呆れて呟き、さらに手紙の続きを読む。あの清楚可憐なヒロインが、本命王子のジルベールを差し置いて、他の男と取っ替え引っ替え遊んでいたですって!?

 まさか、そんな――。

 彼女がそんな遊び好きには思えないけれど。ヒロインなんだし。


「でも、この世界って乙女ゲームだったわよね……?」

 私は首を傾げて呟いた。乙女ゲームなんだから、攻略対象のイケメン男子の好感度を上げつつ恋愛を楽しむのはヒロインに与えられた特権でもある。そう思うと、レリアの行動は十分、理に適っている。だけど、本当にいろんな男子と隠れて恋愛を楽しんだりする!?


 この世界のヒロイン、レリアことカリエール嬢はジルベール王子に一途のはずだ。それに、ジルベールだって清楚可憐で慎ましいレリアにいたくご執心だ。だけど、この手紙を見る限り、ジャンヌはそうは思ってなかったのよね。


 だから、レリアの行動を不審に思い、ストーキング――浮気調査をしていたみたいだ。それをジルベール王子に訴えようとしてこの手紙を書いた。それなら、どうして途中で書くのをやめて出さなかったのかな。


 手紙は途中で途切れている。あと、一枚――少なくとも書いていたはずだ。

 私は「そうだ!」と、思いついて引き出しからレターセットを取り出す。何も書かれていない便せんを手に取って、かざしながら透かしてみると薄らとペンの跡がついていた。


 小学校の時によくやったじゃない? 私は立ち上がり、キョロキョロと部屋の中を見回してから暖炉に移動する。灰の中から取り出したのは炭の欠片だ。鉛筆なんて便利なものはこの世界にはない。だから、これは代用品だ。


 机に戻って、何も書かれていないその便せんを炭でこすってみた。そうすると、ペンの跡がはっきりと見える。だけど、私はその文字にゾッとして、「なにこれ……」と呟いた。


『助けください殿下、私はあの女に殺されてしまいます!!』

 その文字を上からさらにペンで消そうとした跡まで残っていた。ただの告げ口の手紙じゃない。必至に助けを求める手紙だった。だけど、その一枚を彼女は捨てたようだ。そして手紙は出さずにこの本の中にしまっておいた。


 それとも、出せなかった?

 私は机に手をついて考え込む。その時、ノックの音がしてハッとし、手紙を急いで集めて本の間に挟んだ。「はいっ! どうぞ」と、上ずった声で返事をする。

 入ってきたのは、なかなかのイケメン男子だった。だけど、不機嫌そうに顔をしかめて私を睨み付けている。


「本当に戻ってきたのか! 恥知らずめ。この王都でお前がなんて呼ばれているのか知っているのか? 殿下をたらし込んだ性悪魔女だ!」

 遠慮なく言い放つ相手に、私はポカンとする。

 そうだった。この人は私の兄、セドリック・ド・クロエ!!

 私はその名前をようやく思い出し、作り笑いを浮かべてお辞儀した。もちろん、手紙を挟んだ本はさりげなく引き出しの中に隠して。


「お兄様、ご機嫌麗しく。こうしてまたお目にかかれて嬉しく思いますわ」

「ご機嫌麗しく見えるのか? お前の目には、この顔が!」

 見えないわね、ちっとも――。

 あのヒロイン突き飛ばし事件の後、この兄は私を見るたびに、ネチネチと陰険な嫌みを言ってきたったんだ。そういえば、この人もレリアの攻略対象の一人だったわね。確か、ジルベール殿下とは学友でライバル。レリアを巡って三角関係になるんだっけ。登場人物相関図によると――だけど。


 顔を見たくもないほど嫌っている妹のもとに、わざわざ何の用なのよ?

 セドリック兄様は、ソファーにどかっと腰を下ろして居座るつもりみたいだ。足を組んで、苛ついたように指を鳴らすものだから、私は仕方なく鈴を鳴らしてメイドを呼ぶ。急ぎ足でやってきたさっきのメイドの女の子に、兄が来たからお茶を用意してもらうように頼んだ。


 私は向かいに座り、とりあえず笑顔を作る。メイドの女の子は部屋に戻ってくると、私とセドリック兄様の顔をチラチラと見ながら紅茶をいれてくれる。お菓子も持ってきてくれたのは、私のためではなく、もちろんセドリック兄様のご機嫌を損ねないためよね。


 メイドが下がってから、私たちは静かに紅茶を飲む。

「……ジュリアン殿下と一緒に戻ってきたそうだな」

 兄は紅茶のカップをソーサーに戻して口を開いた。

「ええ……私は、殿下の付き添いで同行したまでのことです」

「はっ! 第二王子に手ひどく振られたから、今度は第一王子に目をつけたのか。だが、あいつがこの王都でなんて言われているか知っているだろう!」

 セドリック兄様は小馬鹿にしたように鼻で笑う。私はその言い方に、かなりムッとして険しい顔になる。


「存じ上げません。噂など……暇人のすることですから。興味もありません」

「いいか! 次期王となるのは、第二王子のジルベールだ。第一王子がなぜ辺境送りになったのか考えてみろ。あいつは、もう廃嫡も同然の厄介者だ。そんな輩とお前が一緒にいれば、この公爵家は第二王子を裏切り、第一王子の側についたと思われるんだぞ!! そんなこともわからないほど、頭が悪いのか!?」

 セドリック兄様は、紅茶をテーブルに叩きつけるように置いて大声を上げた。その顔が興奮で赤くなっている。


「私はもう公爵家とは関係ないでしょう。追い出された身ですから。お兄様もお父様も私にかまわずご存分にジルベール殿下に尻尾を振ればよいではありませんか」

「公爵家とは関係ない!? だったら、なんだってこの家に戻ってきて、まだここに居座っている!」

 私は紅茶のカップを置いて、すっくと立ち上がる。

「ええ、そうですね。この家に戻ってきたのは間違いだったようです。ただ、忘れていたものがあったので取りに来ただけのこと。すぐにでも出て行きます。その後は、もう金輪際戻るつもりもないので、私は死んだものと思っていただいてけっこうです」


 私は足の向きを変えてバッグに荷物を詰め込む。もちろん、引き出しの中の本もいい類と一緒に押し込んだ。他に必要なものなんてない。


「では、失礼いたしますわ。お父様とお母様にはご挨拶には伺いませんので、お兄様からくれぐれもよくお伝えくださいませ。では、さようなら。ごきげんよう」

 一礼して扉を開き、廊下へと出る。「おい、待て。ジャンヌ!」と、焦ったように兄が追いかけてきた。それを無視して歩いていると、腕を乱暴につかまれる。それをはね除けて、私は睨むように振り返った。


「まだ、何かご用が?」

「勝手なことを言うな。この屋敷を出て、どこにいくつもりだ!? 父上と母上に、大人しく部屋に閉じこもっていろと言われただろう!!」

「出て行けとおっしゃったのはお兄様ではありませんか。私もこの屋敷に長居などしたくありませんから。それに、私がどこに行こうと、お兄様に何の関係がありまして?」

「どうせ、行くところなんてないだろう。どこかの安宿にでも泊まるつもりか!? それこそ、また醜聞が広まるだけだろう!!」

「ええ、そうでしょうね。ですけれど、言われるのは私であってお兄様ではないのですから、気になさる必要などないでしょう。ご自分と公爵家の体面のことだけ、考えていればよろしいのですわ」

 私の言い方が気に入らなかったのか、セドリックお兄様の顔色が変わる。

「こいつ! どこまで私や父上を馬鹿にすれば気が済む!!」

 手を振り上げたお兄様を、私はサッと素早く交わして足をひょいと出した。その足にけっ躓いたお兄様は、「うわっ!」と体勢を崩して絨毯に膝と手をつく。砦で訓練を受けている私が、お兄様如きにどうこうできるとでも?

 私はハッと、小さく笑った。


 それ以上相手にする必要はないわね。私は髪を払って足の向きを変える。

「おい、待て!! 私を無視するつもりか、ジャンヌ!! おい、誰かあいつを部屋に連れ戻して監禁しておけ!!」

 お兄様は顔を真っ赤にしながら喚いていたけれど、私は無視して階段を下りていった。使用人が私を連れ戻して監禁するですって? おあいにく様、そんな度胸のある使用人なんて、この屋敷にはいないわよ。


 エントランスに下りると、私はそのまま真っ直ぐ玄関を出て行った。

 さようなら、公爵邸。もう戻ることもないわね。


 




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る