第二章 5 救護室での日課

 砦にやってきて、二週間。私のやることは毎日同じ。朝は洗濯と掃除を行い、お昼ご飯の準備。それから、マリーの治療の手伝いを行って、今度は夕飯の準備。その合間に洗濯物を取り込み、療養中の人のお世話をしたりする。


 休めるのは少しの合間だけ。目が回りそうな忙しさではあるけれど、二週間も経てばそれなりに慣れてきて、手際もよくなってきた。どんなことでも、やりこんでしまうのが私の癖。それに、元々家事は嫌いじゃない。

 ただ、この世界には洗濯機も乾燥機もないから全て手洗い。パンを作るのも、手仕事だからなかなか大変だ。マリーから教わって、私は午後の仕事の合間にせっせとパンを捏ねる。お店でフカフカ焼きたてのパンが買える現実世界のありがたさが身にしみる。でも、自分で捏ねて竈で焼くパンは、言葉に言い表せないほど美味しいのよね~~。


 もちろん、この砦はそれほど食材も豊富じゃないから、真っ白なパンなんて口には入らない。雑穀のかたくて香ばしいパンだ。実のところ、私の大好物だったりする。このハード系のパンにハムとチーズを挟んで食べると最高においしいのよね。


 明日の朝ご飯は絶対にそうしようと心に決めて、私は救護室の厨房で、粉塗れになりながらボスボスと生地に拳を叩き込む。なんだか、格闘技の訓練をやっているみたいでこの作業は楽しい。これって、腕を鍛えるのにちょうどいいんじゃない?


「ジャンヌって、公爵家のお嬢様でしょ?」

 一緒にパンを捏ねていたマリーが、不思議そうにこっちを見ていた。

「ええ、まあ……そうね。一応……もう、追い出されちゃったけど」

 うっかりそのことを忘れそうになっていた。私にとって、公爵家で過ごした数日は、あまり居心地のいいものではなかったもの。部屋からほとんど出してはもらえなかったし、人と会うなんてこともできなかった。

 世話をしにくる使用人たちも必要最低限のことしか話さない。いくら豪勢な部屋でもひどくつまらなくて、退屈だった。ベランダに出て広い庭を眺めていることしかできなかったから。


 私が問題を起こしてしまったからって言うのもあるけれど、ジャンヌの両親は厳しくて、彼女は屋敷の部屋で一日過ごしていることが多かったみたい。その間、殿下の婚約者に相応しい振る舞いや教養を学んでいたみたいだけど、そんな毎日ばかりでは、息が詰まるのも当然だ。


 そんなに努力して、我慢して、ようやく得られた婚約者の地位も、いきなり現れた没落貴族のお嬢様であるレリアに奪われそうになったのだから、焦る気持ちもわからないではない。意地悪な振る舞いは決して褒められたものではないけれど、きっと彼女なりに愛されたかったんだと思うと、気の毒になってくる。

  

 その上、彼女の婚約者のジルベール殿下は、顔こそいいけれど、厳しくて、真面目な性格。その上、堅実で誠実、控えめな女性が好みだ。まさに、レリアは殿下の理想だったでしょうね。

 ジャンヌとは正反対だから、最初から愛される見込みなんて少しもなかった。不幸な婚約だった。もちろん、そうでなくては物語が進まないからなんだけど。

 辺境送りになって、むしろ幸いだったかも。少なくとも、私は王都のお屋敷より、この砦の暮らしの方がずっと居心地がよくて、合っている気がする。堅苦しい礼儀作法を気にしなくていいからって言うのもあるうけど。


「私ね~、ジャンヌのことを聞いた時、偉そうで意地悪な性格の人がやってきたら、どうしよーって思ってたの。あっ、悪い意味じゃないよ!」

「高慢で我が儘なお嬢様がやってくるって思ってた?」

「噂ではそう聞いていたからねー。でも、全然そんなことなかったから、よかった~。ジャンヌが来てくれてから、すっごく助かってるよ。覚えも早いし、仕事も早いし。お料理も洗濯も掃除も少しも嫌がらずにやってくれるから。こうやって、一緒にパン作りも手伝ってくれるし」

「私がここでやれることは、それくらいじゃない。マリーみたいに、自分の血を使って治療するとか、薬草から魔法薬を作るなんてできないんだから。私はマリーの方がすごいと思うわ。今まで、全部一人でこなしていたんでしょう?」

 菜園の手入れもマリーが時間の合間にやっていたようだ。その上、夜遅くまで勉強しているようで、廊下に出ると、部屋の扉の下から灯りが漏れていることがある。


「あはは、私は嫌いじゃないからやってるだけだよ~」

「それなら、私も同じよ。嫌いじゃないから手伝ってるんだから。パン作りだって、前の世界じゃ……」

「前の世界?」

「お……王都のお屋敷にいた頃のことよ。私、パンなんて作ったことがなかったから、自分でやってみるのは楽しいの」

 前の世界でもパン作りには憧れていて、教室に通ってみようかと思っていたこともあったのよね。バイトが忙しくて、諦めちゃったけど。こうやって、マリーに教われるんだから一石二鳥だ。

「それに竈で焼いたパンなんて、贅沢でしょ」

「お屋敷で焼いた白いパンの方が贅沢だよ~。私たちには滅多に食べられないもの」

 マリーは顎に指を添える。そのせいで、顎にも粉がついてしまっていた。

「砦で焼くパンだって香ばしくて、栄養もたっぷりでおいしいわよ。それに、焼きたてが食べられるじゃない!」

 私が力説すると、キョトンとした顔をしていたマリーも笑い出す。

「ジャンヌって、意外と食いしん坊だよね~」

「そ、そう……?」

 ちょっとばかり、熱く語りすぎたみたいだ。私は恥ずかしくなって、ボスボスと拳を弾力のある生地に打ち込む。もうしっかりと捏ねられている。

「……こんなものかしら?」

「うん、いいと思うよ~。それじゃあ、発酵するね」

「その間に、洗い物すませてしまうわ」

 私はマリーが発酵の準備をしている間に、木のボールや麺棒などをまとめて外に運び出す。今日は晴れていていい天気だった。風が少しだけ強くて、朝干したシーツが揺れている。この調子なら、夕方には取り込めそうだ。


「お嬢さん」

 井戸のそばの桶で洗い物をしていると、声をかけられた。しばらく療養している兵士だ。猛獣に襲われた傷はすっかりよくなったようで、このところリハビリがてら、庭で体を鍛えている。しかし、今日は荷物の袋を肩に担いでいた。

「もしかして今日でもう治療は終わり?」

「ああ、マリー先生の許可も出たから、今日から兵舎に移るよ。あんたにも随分と世話になっちまったな」

「怪我が早く治ってよかったわ。元気でね。といっても、同じ砦にいるんだから、合うことはまたあると思うけど」

「お嬢さんも、頑張れよ。またな」

「ええ、またね!」

 手を振って離れる兵士の姿を見送ってから、私は濡れた手をエプロンで拭う。


「さっ、早く片づけちゃわないと……」

 


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