第二章 6 逃亡者

 夕方、私は砦の近くの雑木林に入り、マリーに頼まれた薬草を探していた。この砦の周りには多くの薬草が生えているみたい。あと、夕食用のキノコも採って帰らなきゃ!

 今日はミルクとキノコのスープにしようかな~。

 そんなことを考えながら、雑木林の中の雑草をかき分ける。ポケットから取り出した紙には、薬草の絵が描かれている。マリーが見分けられるように、わかりやすく描いてくれたものだ。特徴や、間違えやすい薬草との注意点なんかも書いてくれているから私でも見分けられる。

「あっ、これね……こっちの紫色の草は毒草……かな?」

 後でマリーがもう一度確かめて仕分けてくれる。私が這いつくばって草を採取していると、話し声が聞こえてくる。男数人の声だった。

 顔を上げて辺りを見回すと、茂みの向こうに誰かが座り込んで話をしている。

 隠れて密談しているようだ。私はもう少し近付いてみる。

 茂っている草の隙間から見えたのは男三人。それも、私と一緒に護送されてきた、泣く子も黙ると自称するベルナルド三兄弟だ。


「……本気で逃げるつもりか?」

「ああ……こんなクソつまらねえ砦で、何年もこき使われるなんざ、ごめんだぜ!」

「あの赤髪野郎……俺らのことを、散々いたぶりやがって……いつか、あいつの鼻をへし折って、思いしらせてやる!」

 そんな会話が聞こえてくる。あの三人組、どうやら逃げ出す算段をしているみたい。兵士としての訓練を受けていたはずだけど、それが辛かったのだろうか。

 猛獣に出くわした時も腰を抜かして気絶していたし、口だけで、肝っ玉が小さいのかもしれない。


 これは、誰かに報告した方がいいのかしら? 

 私には関係ないことと言えば、関係ないし。面倒事に関わるのは嫌だ。見つかれば、何をされるかわからない。

 ここは一度砦に戻って、やっぱり誰かに伝えるべきよね。そう思い、私は後退りしようとした。その時、そばを小さな生き物が駆け抜ける。

「きゃああああ~~~トカゲ~~~っ!!!」

 は虫類は私が一番苦手にしている生き物だ。もちろん、両生類もあまり得意とは言えないけど。親指サイズの小さなトカゲは、すぐに草むらに姿を隠してしまう。

 

 あっ、しまった――。

 気づいた時には、私は怖い顔をしたベルナルド三兄弟に取り囲まれていた。

「おおっと、また会うとは奇遇じゃねえか」

「あ、あらそうね……ご、ごきげんよう……」

 私はそう言うと、すごすごと逃げだそうとした。けれど、肩をつかまれてしまう。

「さっきの話、聞いてたよなぁ~?」

「な、何のことかしら~? 私は風のそよぐ音と、小鳥のさえずりしか聞こえませんでしたけど?」

「聞かれたとあっちゃ、帰すわけにもいかねえ。俺たちと来るか、断崖からつきとされるか、どっちか好きな方を選ばせてやるぜ」

「どっちも嫌よ! 離してちょうだい! じゃないと、大声を上げて人を呼ぶわよ。そうすれば、あなたたちの逃亡計画だってバレるんだから!」

 私は腕をつかんできた男の手を振り払おうと、身をよじる。

「やっぱり、聞いていたんじゃねえか、このクソ女!」

 男の一人が手を振り上げたものだから、私は悲鳴を上げて身を竦めた。


「逃げても、余計に罪が重くなるだけじゃない! 手配書だって出回るし、すぐに捕まるわよ!!」

「ケッ! それが何だってんだ。こんな砦でしごき倒されるくらいなら、隣国にでもい逃げ込んだ方がはるかにマシだぜ!」

「あなた、それ、重罪じゃない! 死罪になるわよ!!」

 私は顔をかばおうとした腕を退けて、男たちを見る。

 国境を無断で越えて敵国に逃れる者は死罪と決まっている。どうして知っているのかというと、屋敷に閉じ込められている間にあまりに暇過ぎて、書斎にあったこの国の法律全書を読んだからだ。自分の罪がどれくらい重いのか、確かめようとしたからっていうのもあるけれど。


「その人の言う通りだよ」

 不意に声がして、ベルナルド三兄弟がバッと振り返る。私も驚いて顔を上げ、声の方を見た。

「ジュリアン……で、殿下!」

 岩の陰から姿を見せた相手を見て、私はホッとした。

 ベルナルド三兄弟は顔を見合わせると、ニヤッと笑う。そして、いきなり私の首に腕を回して引き寄せた。太い腕で首を絞められ、苦しくて顔が強ばる。


「な、何するのよ。離しなさいってば……っ!」

「大人しくしておきな、お嬢ちゃんよ」

「いいところに現れたじゃねーか。殿下様よぉ。このお嬢ちゃんの命が惜しければ、通行書を寄越しな。それと金だ」

 ベルナルド三兄弟は私を片腕に抱えたまま、ニヤッと笑って要求する。

 なんて、おバカさんたちなの。通行書を発行されたとしても、こんなことをしでかせば、途中の関門で呼び止められるに決まっているじゃない。そのまま、牢獄に直行コースよ。だいたい、ジュリアンがそんな要求を呑むわけないじゃない。

「……あの、申し訳ないんだけど、私なんて人質にしても無駄だと思うわ。私にはそれほどの価値なんてないもの」

 私は恐る恐る、そう言ってみる。

「うるせぇ、黙ってろ!」

「さあ、どうするんだ。それとも、このお嬢ちゃんの指を一本ずつ切り落としてやろうか?」 

「や、やめてよ! せめて、髪とか爪とか再生可能な部分にしてちょうだい!」

 私は掴まれた手を引き剥がそうと、必死にもがく。こうなったら、急所を蹴り上げて――。


 そう思って膝を動かし掛けた時、ジュリアンが「わかった」と、ため息を吐きながら口を開いた。次の瞬間、足を踏み出して男の一人に体当たりする。

 不意を突かれて倒れた相手の喉を容赦なく靴で踏みつけると、殴りかかってきたもう一人の胸ぐらをつかんで投げ飛ばしていた。ものの数秒で、大の男二人が地面に転がって呻いている。

「てめぇ、よくも俺たちの兄弟を!」

 私を邪魔そうに突き飛ばした最後の一人は、拳を握って飛びかかっていった。

 ひょいっとかわされて、さらには背中を突き飛ばされて岩に激突する。

 あっけなさすぎて、勝負にすらなっていない。

「今すぐに砦に戻って大人しく訓練に加わるか、それとも断崖から突き落とされるか、好きな方を選ぶといい」

 ジュリアンは鼻血を出して呻いている男に落ち着いた足取りで近付き、ニコッと微笑む。男たちが私に言った言葉を、聞いていたのね。

 男は「こ、この野郎……っ!」と、悔しそうに唸っていた。


 倒れていた男の一人が起き上がってきて、ジュリアンの後ろ姿を睨む。ブーツに隠していた短剣を抜いて、飛び出そうとしていた。どうやら、うまく武器を手に入れて隠しておくのがうまい男のようだ。

 ジュリアンは背を向けていて気づいていない。

 私は咄嗟に周りを見る。目に入ったのは頭くらいの大きさの石だ。私はそれを持ち上げ、振り上げる。


「うおおおーっ!」

 男は雄叫びを上げて、ジュリアン目がけて短剣を突き出そうとしていた。

「危ないっ!!」

 私が叫ぶより早く、ジュリアンは振り返って男の手をいとも簡単につかんでいた。その手をグイッと捻ると、それだけの動きで男はまたしても転ばされてしまう。

 

 ジュリアンの視線が私に移る。

 両手で石を持ち上げていた私は、ハッとしてその手を離した。

 落下した石がつま先に当たる。

 い、痛い~~~~っ!!!!

 涙が出そうになり、私はしゃがんでつま先を押さえた。

 ジュリアンほど腕が立つなら、私が余計なことをする必要なんてなかったのに。背後からの攻撃だって、とっくに気づいていただろう。

 無駄なことしちゃったじゃない! 

 

「ありがとう、ジャンヌ」

 私は涙ぐんだ目で、そばにやってきたジュリアンを見上げる。

 口を開く前に、ヒョイッと体を横抱きにされた。

「あっ、ちょっと、ジュリ……殿下! こ、困ります。歩けますから!」

「そうかな? 足が痛そうだけど」

「これは自分でやったことなので~~っ!!」

「後で、マリーに見てもらうといいよ」

 ジュリアンは笑いながら、私を抱えて細い山道を下りていく。

「あの、ジュリ……殿下、あの三兄弟を放っておいてもいいのですか!?」

 今のうちに、逃げ出すかもしれないのに。私は抱えられたまま、あたふたして尋ねた。

「後で兵士に連れ戻させるさ。大丈夫、懲りたから逃げようとは思わないよ」

 ジュリアンは私を下ろしてくれる気はないようだった。私は真っ赤になって大人しく運ばれているしかない。

 

 なんで、こんなに唐突にキュンキュンイベントが発動するのよ。

 乙女ゲームに慣れていない私は、こんなベタな展開でも、すぐにドキドキしてしまうのに。

「……どうかした?」

「自分の単純さに呆れているんです……」

 私は赤くなった顔を両手でおおいながら、小さな声で答えた。

  


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る