第二章 7 落石事故
砦にやってきて三週ほどが経った。私は庭の菜園で、マリーと一緒に薬草や野菜の世話をしていた。今日は空は少し薄曇りだ。昨日雨がたくさん降ったから、土も濡れている。でも、乾いているより、土が軟らかくなっているから作業しやすい。
「ごめんね~、手伝ってもらっちゃって」
「今日は患者さんもいないから、暇だもの。それより、マリー。この薬草って、全部、マリーが育ててるものでしょう?」
私はしゃがんで草抜きをしながら尋ねる。菜園を耕していたマリーがそばにやってくる。
「うん、こっちの草は傷薬になるし、こっちのは腹痛に効くよ。あ、そっちの手前にあるのは、喉が痛い時に煎じて飲むといいんだよ~」
「私には雑草に見えるけど……や、薬草なのね」
間違って引っこ抜いていないかなと、私は足もとの草の山を確かめる。後ろからひょいっと覗いてきたマリーが「大丈夫、それは雑草だから」と、教えてくれた。
よかった~。でも、気をつけないと。これは、マリーが大事に育ててる薬草。それも、治療を行うために必要なものだ。
「この救護室で使ってる魔法薬の材料は、みんなマリーが育ててるの?」
「生育が難しくて育てられないものもあるけどね~。そういうのは、街に出かけた時に買ってくるんだけど高価だから、ちょっとしか買えないんだ~。だから、薬草や野菜をかわりに売って、買うんだよ」
「ほとんど、マリーがまかなってるようなものじゃない。砦の維持費から、少しくらい薬剤の費用を出してもらえないの?」
この砦は国の防衛の重要拠点だ。だから、第一王子のジュリアンがわざわざ指揮官として赴任しているんだろうし。
怪我人や病人のことを考えれば、この救護室の役割は大きいはずだ。それなのに、お金を出してもらえないなんて問題だと思うのよね。
「この砦は貧乏だから、仕方ないよ~。すっかり見捨てられちゃってるもの。ジュリアン様も、何度も国王陛下に兵の増員も維持費の増額も頼んでいるみたいんだけど、芳しい成果を上げられていないからって、減らされる一方なんだよね……」
マリーは困ったようにため息を吐いている。
この砦は私やあのベルナルド三兄弟みたいに、王都を追い出された厄介者ばかり集められている。でも、今まで何度も敵襲を防いで砦と国境を維持してきたのよ。それだけでも、十分な功績のはずだ。兵の数を考えれば、並の指揮官だったらとっくに陥落されていただろう。
その一方で、王都では観劇だの舞踏会だのと、華やかな催し物が開催されている。
「国王陛下って、ドケチなのかしら?」
「砦のことに感心がないんだよ。王都からも遠いからね~」
「だけど、第一王子のジュリアン様がいらっしゃるのよ?」
「ジュリアン様も、私たちと同じなんだよ……」
「それって、どういう……」
「マリー先生!」
兵士が大きな声を上げて、駆け込んでくる。私もマリーも腰を上げて、兵士の方を見た。担架に乗せられているのは兵士のようだった。一人だけではない。ただ事ではないその様子に、私はマリーと顔を見合わせて担架に駆け寄る。庭に下ろされた担架では、足を負傷した兵士が苦しそうに呻いている。別は、頭から血を流して意識を失っているようだった。
「砦の近くで落石事後が発生し、作業をしていた者たちが巻き込まれたんです」
担架を運んできた兵士が、すぐにマリーに報告する。
マリーは「落石事故……」と、青くなって呟いていた。その間にも、また担架が運び込まれてくる。いったいどれだけ負傷者がいるのか。
私はマリーの手が小さく震えているのを見て、すぐに兵士の方を向いた。
「重傷者から先に救護室のベッドに運んでください! 足らなければ、私の部屋も空けます。マリー、いいわよね!?」
肩を強くつかんできくと、マリーはハッとした顔で頷いていた。
「ジャンヌ、手伝ってくれる? 私だけでは……手に負えないかも……」
「分かってるわ。でも、私には治療は出来ないから、指示をお願い。必要なものは全部準備するから」
「それじゃあ、傷用の魔法薬を全部持ってきて。あと麻酔薬や痛み止めの薬、包帯、治療器具……綺麗なタオルと……お湯もすぐに沸かして!」
マリーはすぐに土の汚れがついている手を井戸の水でしっかりと洗い、エプロンを外しながら救護室の方へと駆けて行く。
兵士はすぐに、救護室の中へと負傷者を運び込んでいた。
「こっちもお願いします!」
また負傷者が担架で運び込まれてくる。これでは、ベッドが足らなくなりそうだ。私は兵士を呼び止めて、「あと、どれくらい負傷者がいるの?」と尋ねた。
「ジュリアン様や、マルセル将軍が救助作業を行っているいますが、石や土砂に埋もれてしまっているようです。十名近くはいると思われますが……助からない者も……」
私は言葉を失い、冷えてくる手を握り締める。現場を見ていないから状況はわからない。けれど、相当酷い落石事故だったのだろう。
昨夜の雨と落雷で、砦を下る道の途中が塞がれたようだと、マリーが今朝話していた。大きな木が倒れたらしい。それを撤去する作業をしている途中、崖の一角が崩れたようだ。
救助作業もきっと時間がかかるはずだ。私は深呼吸して気持ちを落ち着かせてから、兵士の方を向く。
「歩ける者や軽傷の者は兵舎の方にお願いします。後で向かいます。気分が悪くなったり、意識を失うような者がいれば、すぐにこちらに運んでください」
兵士に早口で告げて、私も井戸で手を洗い、すぐに救護室に向かった。
マリーは治療で手いっぱいだ。
それ意外のことは全て、私がやるしかない。しっかりしていなきゃ――。
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