第二章 4 救護室での初日
翌日早くに起こされた私は、朝食のパンとスープをお腹に入れると、マリーに連れられて救護室に向かった。今日から、私はマリーの下で手伝いをすることになっている。
「この救護室は今、私しかいないの。前に手伝ってくれていた人がいたんだけど、いつの間にかいなくなっちゃってて。ジャンヌが来てくれて本当に助かるわ!」
マリーは朝食の時に、嬉しそうにそう話していたけれど、それってつまり、仕事に耐えかねて逃げ出したってことよね。けれど、逃亡すれば余計に罪は重くなる。それに、今の私は逃げたところで行く宛はない。となれば、この砦に踏みとどまって、例の計画を着々と進めるしかなさそうだ。
救護室の中にはベッドが並んでいて、仕切りのカーテンがしてある。治療器具を載せたカートを押しながら、私はマリーの後についていく。カーテンを開いて中に入ると、脚を負傷した男の人がぐったりした様子で寝かされていた。
「あっ、この人……!」
私はその顔を見て、思わず声を上げる。
男の人も私を見て、すぐに気づいたようだった。
「あんた……馬車に乗っていた嬢ちゃんか……無事だったんだな」
男の人は弱い笑みを浮かべた。私たちを護送する馬車の御者をしていた兵士の人だ。私のことを心配してくれていたみたいだ。この兵士の人が無事で私もホッとした。
「それじゃあ、治療を始めますねー」
マリーは明るい声で言うと、慣れた手つきで男の脚に巻かれている包帯を解いていく。血が滲んですっかり汚れていた。
私はざっくりと裂けている赤黒い傷口を見て気分が悪くなり、ふらつきそうになった。仕方ないじゃない。私は医者でも看護師でもない。こんなひどい傷口を見ることなんて、そうそうなかったんだもの。
マリーは見慣れているのか、傷口にテキパキと治療用の魔法薬を綿に染みこませ、傷口に塗っていく。
それって、私が初めてこの救護室にやってきた時、マリーに思いっきりかけられた緑色の液体だ。薬草を煮詰めたようなひどい臭いがする。
傷口にしみるのか、兵士の男は「うわあっ!」と、悲鳴を上げていた。
「ジャンヌ、ごめんね~。脚を押さえておいてくれる?」
マリーに言われて、私は「は、はいっ!」と緊張した声で返事をして、パッと男の人のすね毛だらけの脚を押さえる。まだ治療は終わらないみたい。
マリーは真剣な表情になると、「それでは、始めます」と医療用のナイフを取り出す。まさか、これから外科治療を!? この時代にそんな高度な医療技術があるの!? まあ、ゲームの中だから、何でもありかもしれないけど。
私が息を呑んで見つめていると、マリーはそのナイフを男の脚ではなく、自分の腕に持っていく。そして震えている手で、ザクッと傷をつけていた。
「ちょ、ちょっと、マリー! 何をしているの~~っ!?」
私は仰天して思わず声を上げた。男の人もギョッとしたように目をひん剥いている。マリーは自分の腕から流れる血をポタポタと垂らし、さらに傷口に両手を当てて短い呪文を唱え始めた。その手からポワンッと小さな赤い光が浮かびあがる。それを、「えいっ!」とマリーは傷口に叩き込んでいた。
「うぎゃああーっ!!」
男はあまりにも痛かったようで、飛び上がって悲鳴を上げると、パタッと気を失ってしまった。マリーは深く息を吐き出して、額の汗を拭っている。
「これでよし!」
ええっ、ほ、ほ、本当に!? それがこの世界での治癒魔法なの!?
私は呆気に取られて男の傷口を見る。驚いたことに、ざっくり裂けていた傷はすっかりふさがっていた。
す、すごい。すごいんだけど――。
マリーは「血が足らなくなっちゃった~」と、フラフラして倒れようとしている。
私は慌ててその背中を支え、近くの椅子に座らせた。
「マリー、いつもこんな風に治療をしているの!?」
「傷を治す治癒魔法は特に難しくて、血を代償にしなくちゃいけないから。だから、治癒魔法をやりたがる魔法士はあまりいないのよね~」
「それはそうでしょうね……」
誰かが怪我をして運ばれるたびに、自分の血を使っていたら、貧血になって倒れてしまうに決まっている。誰もやりたがらないのは当然だ。それに大けがをした人が運ばれてきたら、どうするのだろう。
マリーは「いたたっ」と、自分の腕の傷から滴る血を舐め取ろうとしている。私は「ダメ!」と、その腕をつかんだ。
舐めるなんて、ばい菌が入ったらどうするの!
キョトンとしている彼女の腕を引っ張り、「ほら、貸して」と私は先ほどの魔法薬を綿に染みこませ、傷口に塗っていく。
この程度の浅い傷なら、魔法薬だけでも十分に治るみたい。
「ありがとう……びっくりさせちゃったなら、ごめんね~」
マリーは首を竦めて恥ずかしそうに言う。
「魔法ってもっと、便利なものかと思ってたわ……」
「便利だよ。治癒魔法があるから、怪我をした人も助けられるんだもの」
「そのかわり、血が必要なんでしょう?」
「どんな魔法だって、代償は必要だからね~~」
「だったら、なおさら毎回、気軽に使えないじゃない!」
マリーは目を丸くしてから、ヘラッと笑っていた。
「そうだね~。でも、そこまでひどい怪我をする人はそういないんだよ。この砦では、ちゃんとお兄ちゃんやジュリアン様が訓練してくれてるんだもの」
確かに、救護室にいるのはこの兵士と、腹痛で休んでいる兵士が一人だけだ。
野獣に襲われて負傷するなんて、そうあることじゃないのかもしれない。
「デュラン救護長! こいつが訓練中に骨折したみたいで……」
兵士が、痛そうに呻いている兵士を抱えて入ってくる。「はーい」と、マリーはすぐに立ち上がっていた。
救護室は忙しく、そうそうのんびり休んでもらいれない場所みたいだ。
私はこの日、マリーの治療の手伝いをして、洗濯や料理の雑用をこなし、日が落ちてからようやく部屋に戻るこができた。
なんとか、初日はクリア。ヘトヘトになって私はベッドに倒れ込む。
ああ、温泉、入りに行きたい――。
でも、今行くと、またあの人と鉢合わせになるかもしれないわよね。
そう思うと、部屋の盥ですますしかなさそうだ。
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