第三章 5 秘密の稽古

 洗濯物干し場となっている砦の裏庭で、私は朝早くから剣の稽古をしていた。訓練が始まる前に、少しでも鍛えておかないと! 

 何度も木剣を振っているから、手にはタコができている。血豆が出来ているところもあった。これくらいで、音を上げていられないよと、私はその手を握り締める。ひどく冷えると思ったら、雪が舞い始めていた。私は身震いして、冷えている手にハーッと息を吐きかけた。

 

 朝食まではまだ時間がある。私はもう少し頑張ろうと、木剣を両手で握り締めた。もっと、強くなりたい。バトルゲームを始めた頃の気持ちを思いだした。あの頃は負けてばかりいて、皮肉を言われたりもした。チームの仲間に足手まといだと、見限られたことも一度や二度じゃない。その時は悔しくて、泣いたっけ。でも、私は諦めたくなかった。強くなりたくて、練習して、研究して、課金もして、ようやく戦えるようになってくると、楽しくて、夢中になった。

 自分自身を鍛えるのは、ゲームと同じ。やり続けることでしか、強くなれない。簡単に最強になれる魔法なんて、ありはしないんだもの。それに私はこの世界に転生してきたと言っても、チート能力があるわけでもない。

 

 木剣を握って訓練で教わった形を何度も練習していると、汗で手が滑り、木剣が飛んでいってしまった。私はため息を吐いて、木剣を拾いに行く。手を伸ばそうとすると、誰かの手が伸びて先に拾い上げてくれた。私は驚いてその相手を見る。

「ジュリアン!」

「いつもこんなに朝早くから一人で稽古を?」

 ジュリアンは「はい」と、私に木剣を渡してくれる。私は手の汗を急いで拭ってから、その木剣を受け取った。

「朝の体操がてらよ。それよりジュリアンも朝早いのね」

 まだ空は明けたばかりで、薄暗さが残っている。

「いや……いつもはもっと遅いよ。今日はたまたま、起きていたから」

 頭の後ろに手をやって苦笑するジュリアンは寝不足気味な目をしていた。

「もしかして、徹夜をしたの!?」

「……それより、訓練はどう?」

 ジュリアンははぐらかすように私にきく。

「少しはついていけるようになったけど……デュラン将軍には、まだ敵わないわね。少しも勝てないんだもの」

 ため息を吐くと、「それはそうだろうね」とおかしそうにジュリアンが忍び笑いを漏らす。

「この砦はデュランで保っているようなものだから」

「ジュリアンもいるでしょう?」

 ジュリアンが指揮官としてみんなを統率しているから、敵も手を出せないし、その命を狙おうとするんじゃない。

「私は、デュランほど役には立っていないよ」

 そんなことは絶対にないと想うけれど。だって、私が見たところ、デュラン将軍よりジュリアンの方が剣の腕は上だ。多分、二人が勝負をすれば、十中八九ジュリアンが勝つ。私の色眼鏡ではなく、公平に見てもそう思えた。それはデュラン将軍もわかっているんじゃないかしら。あの人が自分より弱い相手に従うとも思えないし――。


「ジュリアン……あの、少しでいいから……手合わせをしてくれないかしら?」

 私はジュリアンの実力をこの目で試してみたくなった。手合わせしてみれば、ジュリアンとデュラン将軍のどちらが強いかは、はっきりする。

 少し驚いた顔をしてから、ジュリアンはフッと微笑む。

「いいよ。だけど、木剣を用意しないと……」

「それなら大丈夫。ここにもう一本持ってきているもの」

 私は木に立てかけていたもう一本の木剣を取って来て、彼に見せた。後で、サーラに稽古を見てもらおうと思ったのよね。サーラは私が起きた時には、まだベッドで眠っていたから。サーラは意外と朝が弱い。


 ジュリアンは木剣を手に取ると、数歩後ろに下がる。私も二歩ほど下がって、木剣を構えた。

「真剣勝負だから、手加減はいらないわよ」

 私が言うと、ジュリアンは「わかった」と笑みを作って頷く。寝不足だった目に楽しそうな色が浮かんでいた。そうだった。ジュリアンは徹夜明けだった!

 無理に頼んでしまったけれど、よかったのかしら。これは少しばかりやって、すぐに終わった方が良さそうね。

「それじゃあ、行くわよ!」

 私は前に踏み込み、ジュリアンの木剣を下から狙う。あっさり片手で受け止められてしまい、私は前に出した足で踏ん張りながら木剣を押す手に力を込める。けれど、ジュリアンが急に後ろに下がったものだから、私は勢い余ってよろめいてしまった。ジュリアンがその隙を狙って、すかさず打ちかかってきたから、私はクルッと体の向きを変えて、その剣をはね返す。

 やっぱり、この人動きが速い。それに無駄が少しもない。

 私の相手をしてくれているけれど、ほとんど本気じゃないみたいだった。私はそれが悔しくなる。少しは本気にさせてみたい。

 私は距離を取りつつ、体勢を立て直す。そして深呼吸してから、走り出した。

 

 ジュリアンと手合わせをしている間に、空がすっかり明るくなっていた。私は何とか一本でも取ろうと思ったけれど、防がれてばかりで一撃も入れられない。額も首筋も汗ばんで滴が垂れてくる。

 ジュリアンは最初に浮かべていた笑みをしまい、真剣な表情になっていた。

 もうそろそろ、みんなが起き出してきて朝食の準備を始める時間だ。それまで、あと少しだけと、私は剣を構えた。これで最後と、突き出した剣を、ジュリアンはひょいっとかわす。そのままよろめいて、私は膝をついた。

「も、もうダメ……やっぱり、ジュリアンには全然かなわないわね!」

 私は息を荒く吐きながら言う。ジュリアンは木剣を下げて私に歩み寄ってくると、スッと腕を取った。その手に引っ張られて、私は立ち上がる。

「あ、ありがとう……」

「剣を構える時の姿勢。もう少し、気をつけた方がいい」

 ジュリアンは木剣を持つ私の腕を、直してくれる。それから、打ち込みの時の動きや重心の移動の仕方も、丁寧に教えてくれた。それがわかりやすくて、私は説明を聞きながら何度も頷く。

 実際にやってみると、前より姿勢が安定して早く次の動作に入れる。

「ジュリアン、やっぱりあなたってすごいわ! デュラン将軍の稽古の時よりわかりやすいもの」

「あいつは……大雑把だから」

 ジュリアンはそう言って苦笑する。私は「そうね」と、口もとに手をやって笑った。朝の鐘が鳴るのが聞こえて、私もジュリアンも砦の鐘楼を見上げる。

「そろそろ、戻らないと。アルセーヌにお小言を言われそうだ」

 ジュリアンはそう言って肩を竦める。

「ジュリアン、ありがとう。あの……また、よければ相手をしてくれる? 時間がある時でいいの。ほんの少しだけでも……」

 私は木剣を持つ手を後ろにやって、遠慮がちに尋ねてみた。だって、ジュリアンとの稽古は楽しくて。

「……これから、寒くなるけど、それでもいいのなら」

「もちろん、寒さなんて平気よ! 体を動かしていたらすぐに温かくなるもの」

「風邪を引かないように、しっかり着込んできてくれるなら」

 ジュリアンは私の頭に手をやって笑うと、扉の方へと歩いていく。私はびっくりしてかたまったまま、その後ろ姿を見つめていた。ジュリアンは扉を開くと、私を振り返る。

「君も早く、戻るといい」

 そう言うと、中に入って扉を閉めていた。

 私はジュリアンが触れた自分の頭に、そっと手をやる。

 心臓がドキドキして、顔が火照っていた。頬がどうしようもなく緩んでくる。

「もっと、頑張らなきゃ……」


 あなたのために、強くなりたいから――。

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