第四章 1 救出任務

 マリーから話を聞いた私は、すぐにジュリアンの書斎へと急ぎ足で向かった。砦の三階部分にあり、螺旋になっている石の階段を上がっていく。この数日、サーラは偵察の任務のために数人の兵士と共に砦を離れていた。私はそれがどんな任務だったのか詳しく聞いていない。マリーが聞いた話では、そのサーラの部隊が敵に捕らえて、イブロア領に連行されたみたい。


『ちょっとした任務だから、大丈夫。すぐに戻るさ』

 出かける前に、サーラは笑顔で私に言った。五日ほどの予定だったのに、もう一週間も戻らないから心配していたところ、マリーが慌てふためいてやってきて、知らせてくれた。敵の手を逃れ、負傷して命からがら砦に戻ってきた兵士の一人が、救護室でデュラン将軍に報告するのを、マリーも聞いていたみたい。その兵士の話では、サーラも一緒に同行していた他の兵士も敵に囲まれ、戦闘になって負傷しているそうだ。


 サーラのことだから、きっと砦に知らせるために、その兵士を逃がそうとしたんだわ。サーラが敵に捕まった後、どうなったのかはわからない。生きているわよね。捕虜をそう簡単に殺してしまうとは思えない。交渉に利用するか、何か情報を聞き出そうとするはず。無事でいてくれることを願うしかない。


 私は書斎の扉の前で一呼吸置いてから、ノックした。扉が開くと同時に、一歩後ろに下がる。もちろん、ジュリアンが大事な仕事の最中だということはわかっている。けれど、どうしても状況を知りたい。

「ジュリ……っ!」

 早口で呼ぼうとしたけれど、扉を開いたのはジュリアンではなく、黒髪の長いローブを着た男の人だった。

「あっ、えっと……」

「クロエ嬢、何のご用ですか?」

 私の名前は知っているみたい。この人、ジュリアンの側近の人よね。一緒にいるところを何度か見かけたことがある。


「あっ、あの……ジュリアン……様と話をさせていただくわけにはいきませんか? サーラのことで、聞きたいことがあるのです。敵に捕まったと聞いて……」

 緊張して答えると、彼は困惑した様子で後ろを向く。

「クロエ嬢? かまわないから、入ってもらってくれ」

 そう、室内からジュリアンの声がして、側近の男の人は扉の前から退いてくれた。私が書斎に入ると、デュラン将軍もいる。深刻な話をしていた最中なのか、険しい表情だった。きっと、サーラのことね。

「お前か……いったい、何の用だ。今、取り込んでんだ!」

 デュラン将軍はずいぶん、苛立っている。それはそうだ。サーラはデュラン将軍にとっても大切な部下の一人だ。

「ごめんなさい。でも、サーラは私の同室で、友人なんです。ですから、どうしても心配で……」

 私は胸の前で拳を握り、ぐっと顔を上げて答えた。


「マリーから話を聞いたんですね」

 書斎机に向かっていたジュリアンは落ち着いた口調できいてくる。私は頷いて、その机の前に進み出た。私なんかに説明している場合じゃないと思っているみたいだった。でも、私もここで大人しく引っ込んではいられない。


 敵の手に落ちたサーラが、どんな目に遭わされているのかわからない。拷問されているかもしれないし、そうでなくても傷の手当ても受けさせてもらえず、牢に放り込まれているかもしれない。

「サーラを救出に向かうなら、私にも行かせてもらえませんか?」

 きっとデュラン将軍たちは、その相談をしている最中だったはず。

 ジュリアンがサーラたちを見殺しにするはずがない。この人が、そんな非情な人ではないことくらい、私ももうすっかり理解しているのだから。

「お前に何ができるんだよ。捕虜が増えるだけじゃねーか。出しゃばってないで、大人しく砦で訓練でもしてろ!」

 デュラン将軍は横目で私を睨むと、書斎机を強く叩いた。そして、すぐにジュリアンのほうに顔を向ける。


「あいつらは俺の部下だ。俺が救出に向かう。捕虜になったのなったのなら、国境から一番近いバークロシー城に連行されるはずだ」

「無茶を言わないでください。どうやって救出をするというのです。襲撃したところで、生きて連れ出すこともできなければ、脱出も難しいでしょう。それこそ、自分の首を敵に差し出しに行くようなものです」

「だからって、イブロアのクソ野郎どもが交渉に応じると思うのか!? それこそ、何年かかる。その頃には、とっくに全員死んでるぜ。あいつは俺が助け出す! アルセーヌ、てめえは黙ってろ!!」

 興奮した様子で、デュラン将軍はアルセーヌと名前を呼んだ男性の胸ぐらをつかんでいた。


「頭に血が上っているのはわかりますが、私に八つ当たりしたところでどうにもならないでしょう。それで、捕虜が助かるわけでもない……穏便に済ますためにも、ここは交渉をすべきだと私は……」

「はっ! お前があいつらの代わりに捕虜になるのか? どのみち、イブロアは国境を越えて侵攻してくる気満々なんだよ。穏便に済むはずがねえだろ!」

「まともにぶつかって、この砦が何日持つと思っているんですか? 一月と経たず陥落するのは明白。それほどに兵力に差があるのです。あなたがイブロアに乗り込んでいけば、宣戦布告と捉えられてもおかしくはないのですよ? 軽挙妄動は慎むべきだ」

 冷ややかに言われて、デュラン将軍は歯ぎしりでもするように顔を歪める。デュラン将軍って、口も悪いし、態度も悪いけれど、部下思いで義に厚いのね。それとも、捕らえられているのがサーラだから? 

 だから、いてもたってもいられないのかも。彼女の身が心配で――。


「二人とも、よせ……クロエ嬢の前だ」

 片手を上げたジュリアンが、ため息まじりに二人の口論を止める。

「ジュリアン……様」

 私が呼ぶと、ジュリアンは「様はいらないよ」と苦笑する。デュラン将軍とアルセーヌさんにジロッと見られて、私はぎこちなく笑い返した。この場では、様をつけた方がよさそうね。二人に首を絞められないためにも。

「やはり、サーラと兵士の救出任務は、私に行かせてほしいのです!」

 私は自分の胸を叩いて申し出た。ジュリアンも、他の二人も驚いたように視線を交わしている。


「君にそんな任務はさせられないよ。それなら私が……」

「いけません! ご自分の立場をお忘れか!?」

「指揮官が砦を離れて、敵国にノコノコ出向いていくなんざ、聞いたこともねーよ! 命狙われてんの、忘れたのか!?」

 アルセーヌさんとデュラン将軍に強い口調で諫められて、ジュリアンは言葉に詰まっていた。私は「まったく、その通りだわ」と、二人の意見に賛同して大きく頷いた。


「ジュリアン様やデュラン将軍はこの砦の防衛のために必要でしょう。お二人、どちらかが離れている相手に敵が攻め込んでこないとも限らないんですもの。その点、私一人がいなかったとしても、何の支障もありません」

「どうやって、てめぇが敵の城からサーラたちを救出するんだよ? わかってんのか? 迷子のお迎えじゃねーんだぞ」

 腕を組んだデュラン将軍が、皮肉っぽく言ってフンッと鼻を鳴らす。

「そんなこと、承知していますとも! でも、女の私一人なら、国境を越えることもそう難しくないし、敵に怪しまれる可能性は少ないんじゃないかしら。城に潜入する方法だってあるはずだわ」

 ジュリアンやデュラン将軍の顔は手配書が出回っているだろうし。行けばすぐに見つかってしまうはずだ。その点、私はノーマークよ。


「本気で、一人で乗り込むつもりか?」

 デュラン将軍が呆気に取られたようにきいてくるから、「もちろん!」と私は大きく頷いた。兵士をゾロゾロ引き連れていくより、その方が目立たないし、動き易い。

 それに、もし捕らえられたとしても、私なら大した支障もないものね。

 ジュリアンは深刻な顔をして、考え込んでいる。きっと、それが一番いいって、分かってるわよね? 


「……でしたら、私も同行しましょう。それならば、よいのでは?」 

 アルセーヌさんがそう口を開く。

「そいつは名案かもな。嬢ちゃんはそこそこ腕も立つ。自分の身くら自分で守れんだろ。それに、アルセーヌがいりゃ、無茶はしねぇ」 

 デュラン将軍もこれには納得して頷いていた。私はジュリアンとアルセーヌさんの顔を交互に見る。

「私はそれでかまいません! 必ず、サーラたちを助け出して連れて帰ります」

「今は君に頼るしかなさそうだな……」

 ジュリアンはため息を吐くと、「わかった」と答えて私を見る。

「クロエ嬢、お願いします。アルセーヌは頼りになる。必要なものは全て彼に言えばいい。ですが、敵国の領内に入れば、私は……簡単に助けには行けません。何かあっても……」


「分かっています。自力でなんとかします。信じて任せてください!」 

 私は胸を張ってそう答えた。ジュリアンは小さく微笑んでから、アルセーヌさんに視線を移す。

「アルセーヌ、クロエ嬢を頼む」

「承知いたしました。では、すぐにでも準備に」

 アルセーヌさんは一礼する。

「おい、嬢ちゃん。サーラをよろしく頼む……」

 デュラン将軍も神妙な顔をして、私に頭を下げた。私はニコッと笑って、「ええ」としっかりと返事をした。最初から、そのつもりよ。

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