第五章 10 救護室での約束
翌日、救護室に行くと、賑やかな声が中庭にまで聞こえてきた。
中に入ると、ベッドで体を起こしている兵士に、アリシアさんが寄り添ってお粥を食べさせようとしている。「はい、あーん」と、スプーンを兵士の口に運ぼうとする彼女を見て、マリーが「アリシアさん!」と怒ったような声を上げた。兵士たちはみんなデレデレしただらしない顔になっている。
アリシアさんときたら、胸の谷間は見せびらかすようにあけているし、うなじを強調するような髪型をしているものだから、男どもはすっかり彼女に魅了されているみたいだった。
救護室で働いているあの荒くれ者ベルナルド三人も、「姐さん、そんなやつの餌は丁寧に食わせてやる必要なんざありませんぜ! 口に流し込んでおきゃいいんだ」「それより姐さん、クッキー焼いたんっす。俺たちと庭でお茶しませんか!?」とすっかり夢中になって鼻の下を伸ばしている。アリシアさんは、「あらいいね! ランチは外でしようじゃないか」と愉快そうに笑っていた。
「も~っ! 今は治療中なんですから、邪魔をしないで出ていってくださいっ!」
マリーが拳を握り締めて訴えると、アリシアさんは「はいはい」と小うるさそうに手を振る。それからすぐ私に気付いて、「ジャンヌじゃないか!」とそばにやってきた。
「アリシアさん、すっかり馴染んでるみたいね。砦にしばらくいることにしたってきいたけど、よかったの?」
「居心地がいいからね。いい男もいっぱいいるし、しばらく退屈しそうないだろう?」
アリシアさんは私に茶目っ気たっぷりにウィンクして見せた。
「男の人を探すのは他所でやってください! ここは怪我人を治療するところなんです~っ!」
マリーはそう言うと、アリシアさんの背中を押して診察室から追い出す。アリシアさんは「じゃあ、またね~。ジャンヌ!」と、笑いながら廊下に出て行った。ベルナルド三兄弟も、「姐さん、待ってくれ!」と彼女を追いかけていく。
まるで母親についていくカルガモみたいだわ……。
マリーは「まったく!」と、頬を膨らませてドアをピシャンと閉めていた。
ククッと笑っているのはベッドで体を起こしているサーラだ。
「サーラ、体の具合はどう?」
私が歩み寄って尋ねると、サーラは「体がなまりそうだ」と肩を竦める。
「もうすっかり怪我も良くなっているのに、マリーが稽古をさせてくれないんだ。ジャンヌからも言ってやってくれ」
「それは諦めるしかないわね。この診療室ではマリーの言うことが絶対だもの」
私が笑って答えると、「そうだよ~!」とマリーが唇を尖らせてやってきた。
「なのに、みんな私の言うことは聞いてくれないんだから……稽古なんて当分、お休みです。肋にヒビが入っているんだもの!」
マリーの言葉に驚いて、「そうなの?」とサーラを見る。
「それくらい平気さ。稽古でもよくやるんだ」
「じゃあ、なおさらマリーの言うことを聞かなくちゃね」
私の言葉に、マリーは腕を組んで「そうそう」と頷いていた。
サーラのベッドの横に椅子を置き、私はマリーがいれてくれたお茶を飲む。
「そういえば、ジャンヌ。王都に戻るって本当~?」
「ジュリアンの付き添いでね。すぐに帰ってくると思うけど……そうだ。王都でなにか買ってきてほしいものがあったら言って。お土産に買ってくるから」
「本当!? それなら、必要な薬があるの。王都の薬屋さんしか取り扱っていないものもあるから……ちょっと待ってて。すぐに書くよ~!」
マリーは急いで腰を上げて、メモ帳とペンを取りに行く。
「王都に戻っても平気なのか?」
サーラが一緒にお茶を飲みながら尋ねてきた。
「ジュリアンの付き添いってことならね。あまり歓迎されそうにはないけれど」
ばったり遭遇した貴族のお嬢様たちが、どんな反応をするのかは目に浮かんでくる。きっと、ドブネズミでも見たような顔をされるわね……。
「それより、サーラはほしいものはない? 化粧品でも靴でも、買ってくるわ」
「それなら、研ぎに出してほしい剣があるんだ。王都の鍛冶屋の方が腕がいい」
「そんなことでいいの?」
「私にとって剣は宝石みたいなものだからね」
そう言ってサーラはクスッと笑う。サーラらしいわねと、私も微笑んだ。
「分かった。ちゃんと研いでもらってくる。任せて!」
「ああ。頼む」
「サーラ、そのかわりにこの砦のこと頼むわ」
「もちろん。心配しないで行ってくるといい。君たちが戻るまで、砦は絶対に守ってみせるさ。敵を近づけたりしないよ」
サーラは「王宮内にもジュリアンを快く思わない者は多くいる。むしろ、この砦よりも危険かもしれない」と、少し声を落として囁いてきた。
「分かってる。護衛の役はしっかり果たすわ!」
私はニコッと笑って、サーラの手を叩いた。多分、ジュリアンが私を同行させようと思ったのは、そのためですものね。
戻ってきたマリーは、「これ、お願い!」と、びっしりとほしい薬が書かれたリストを私の手に握らせてくる。これも、この砦の兵士を守るために必要なものだ。「必ず買ってくるわ」と、私はマリーに約束した。戦争になれば、きっと多くの薬が必要になる。その備えはしておかなければならない。
サーラが剣を研ぎに出したいと言うのも、備えのためだろう。みんな自分のことより、この砦を守ることを考えている。それだけ、この砦の重要性も、ここにいる兵士たちのことも大事に思っているとうことだ。
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