第二章 2 隣国の影

 砦の書斎で、ジュリアスはアルセーヌと先日の落石事故と、救護室の立てこもり事件について、話をしていた。そこに、立てこもり犯の尋問を終えたマルセルが疲れたように肩を動かしながら戻ってくる。


「どうだ、何か吐いたか?」

 マルセルに尋ねたのは、アルセーヌだ。

「しぶとくて、口を割らせるのに苦労したぜ。やっぱり、イブロアが関係しているのは間違いないだろうな。ただ、傭兵崩れの連中だ。金をもらって命令通りに動いただけだろう。それ以上のことは、知らぬ存ぜぬだ」

「失敗しても切り捨てられる捨て駒ですか……リーダー格の男は、以前よりこの砦の兵士として入り込んでいたようです。イブロアに情報を送っていたのは間違いないでしょうね」

 アルセーヌはジュリアスに言ってから、マルセルに視線を移す。

「マルセル、兵の管理はお前の役目だ。見抜けなかったのは落ち度ではないのか?」

「はぁ? どいつが胡散臭いやつで、どいつが胡散臭くないやつかなんてわかるわけねーだろ。強いて言うなら、どいつもこいつも胡散臭いんだ。この砦に送られてくる連中に、忠誠心や義務を期待するほうが無理だぜ。それとも、送られてくるやつ全員、兵舎に突っ込む前に逆さ吊りにして尋問しろって言うのか? まあ、俺としてはそれでもかまわねーぜ。クソ舐めた野郎を最初に絞めておけば、後の指導が楽だからな」

「そこまでしろとは言っていないが、監視を強化する必要はあるのではと言っているだけだ」

「そう思うなら、お前が昼も夜も見張っていればいいだろ。俺は放任主義だ」

 二人の会話を、ジュリアスはチェス盤の上で駒をいじりながら聞いていた。

 その手を離すと、黒のビショップがコトッと倒れる。

「仕方ないさ……監視にも限界がある。マルセルの言う通り、この砦に送られてくる者は素性が分からない者も多いんだ。全員を疑うこともできないよ」


「砦に送られてくるやつらを全員、兵舎に突っ込む前に、鞭でしばき倒して素性を調べてもいいってんなら、いくらでもやってやるけどな。骨の髄まで恐怖を叩き込んでやった方が、後々、教育すんのも楽だしなー。ああ、そうだ。素性と言えば……」

 マルセルはジュリアンの方を向くと、両手を机について顔を寄せてくる。

「あのクロエって嬢ちゃんは、本当にただの公爵令嬢なのかー?」

「……そのはずだけど?」

「捕らえた連中が、口を揃えて女にやられたって言うんだよ。だが、救護室にいたのは、俺の妹のマリーとあの女だけだ。マリーは先に解放された。となれば、残っていたのはあの女だけ。七人の男を相手を、一人で相手にしていたなら驚きじゃねーか。女剣士でも、なかなかそれだけ腕の立つやつはいねーぜ」

 マルセルの瞳が楽しいオモチャでも見つけたように煌めいている。

「それはおかしいな。クロエ嬢は、仲間割れをしたと話していたよ」

 ジュリアンは顎に手を添えながら、首を傾げる。

「仲間割れ? そんな話は聞いてねぇな。まあ、連中が嘘をついているって可能性もないわけじゃないがな。確かめてみればわかるってことよ。悪いが、あの嬢ちゃんは借りるぜ。かわりはちゃんと置いてきたから心配ねぇ」

「兵と一緒に訓練させるつもりなのか?」 

 アルセーヌがさすがにそれは厳しいのではと、眉根を寄せる。

 マルセルは「おもしれーだろ?」と、愉快そうに笑っていた。


「ジュリアス、よろしいのですか?」

「……そうだな。マルセルに任せるよ」

 耐えられないようであれば、マルセルも救護室に戻すだろう。

 口も行動も乱暴だけれど、マルセルは人を見る目がある。無理はさせないはずだ。


「公爵家のご令嬢が兵と訓練など、耐えられるとは思えませんが」

「この砦にいる以上、いつ敵襲があるかわからないんだ。彼女も身を護る術は身につけておくほうがいい」

 この前の救護室の一件のように、人質にされることがないとは言い切れない。

 いつでも、誰かがかけつけてくれる状況にあるわけではない。ここは護衛の者がいる王都や王宮ではない。最前線にある防衛の砦だ――。

 

 立てこもり事件の時、ジュリアスが救護室に飛び込んだ時には、ジャンヌは男に斬られそうになっていた。もう少し駆けつけるのが遅ければ、間に合っていなかっただろう。敵のイブロアが侵攻してくる気配を見せている以上、彼女に限らず砦にいる者全員の訓練の強化は必須だ。


「ただ、兵舎では不自由するだろうし、勝手もわからないだろうから、必要なものだけは揃えておいてあげてくれ。冬用のマントや靴も持ってきてはいないだろう」

 ジュリアスは横を向いて、アルセーヌに言う。ジャンヌがこの砦にやってきた時、彼女が持っていたのは小さな荷物袋だけだった。


「わかりました。手配はしておきます。それに、今年の冬は備蓄も例年より増やしておいた方が良さそうですね」

「ああ……長く籠城することになるかもしれないからね」

 ジュリアスは両肘を机につき、手を組んだ。




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