第二章 11 敵の籠城

「おい、外の様子を見てこい」

 剣を手にした大柄な男が、手下に命じる。手下はすぐに返事をして、救護室を出て行った。並んでいるベッドでは、まだ負傷者たちが動けず、体を休めているところだ。治療魔法で傷口は塞がっていても、完治にはまだ日にちを要する。

 この救護室にで休んでいる兵士たちは重傷な人たちばかりだったから、継続して治療をする必要がある。その上、全員がベッドにロープで括り付けられている。

 

 救護室の窓のそばや入り口には、見張りの男が立っていた。皆、この砦の兵士と同じ恰好だ。けれど、彼らはこの砦の兵士ではない。そのことに気づいたのは、救護室を占拠された後だった。


 これは、かなり――ピンチなんじゃないかしら。

 私とマリーは手を後ろで縛られて、救護室の隅に座らされている。もちろん、武器はない。この男たちが救護室に現れたのは、昼過ぎのことだ。

 数人の兵士たちが仲間の見舞いをしたいと入ってきた。兵士の恰好をしていたし、私たちは砦にいる全員の顔を把握しているわけではない。だから、区別がつくはずもなかった。


 砦に兵士の恰好で潜伏している敵がいるなんて、思いもしないわよ!

 昨日の落石事故のどさくさに紛れて、兵士の振りをして砦に入り込んだようだ。

 救助作業に忙しくて、手伝っている者の顔を確認している暇もなかったはずだ。リーダーの男は、元から砦にいた兵士みたいだ。

 つまり、以前から砦に潜伏していて、仲間を手引きする機会を伺っていたってことよね。

 

 そうなれば、落石事故も自然に起こったことではないのかもしれない。負傷者や、亡くなった人もいる。これが計画されていたことなら、許しがたいことだ。

 砦を占拠されてからまだ半時と経っていない。救護室には用事がなければ滅多に他の兵士たちもやってこないから、ここにいる者以外、異変には気づいていないはずだ。


 何とか、逃げ出してジュリアンに知らせなきゃ――。

 だけど、敵の目的が分からない以上、迂闊な行動は取れない。ここにいる負傷者やマリーを人質に取られているようなものだもの。それは私も同じなんだけど。


 私はリーダーの男が手下と話している間に、何とか手を縛るロープを解こうと試みる。だけど、簡単にいくわけがない。私は手品師でも何でもないんだから、当たり前だ。こんなことなら、脱出マジックの練習でもしておけばよかったわ。 

 日常で縄抜けの技術が必要な場面に出くわすことなんて、そうそうないんだけど。


 私は何度か試みて、ため息を吐く。やっぱりダメみたい。

 縄がすれて手首が痛かった。まったく、もう少し優しく縛ってくれてもいいじゃないの。

 マリーは怯えた表情で、さっきからグスグスとはなをすすっている。

「ご、ごめんね~ジャンヌ。巻き込んじゃって……」

 涙ぐみながら、マリーが小声で囁いてきた。

「あなたのせいじゃないわよ……」

 昼食の準備をして救護室に入ると、いきなり剣をつきつけられた。その時にはすうでに負傷した兵士たちは動かないようにベッドに縛られていて、マリーも縄で手を縛られていた。私はそのまま両手を上げて、降参するしかなかったというわけだ。

 下手に抵抗すれば、マリーに何をするかわからない。

 武器もないんじゃ、私だって戦えない。猛獣と出くわした時とは違う。

 

 とにかく、何でもいいから縄を切れそうなものを――。

 私はさりげなく、周りに視線を移す。キラッと光っていたのは、マリーが治療に使う医療用のナイフだ。

 マリーが突然押しかけてきた男たちにびっくりして落としたのだろう。

 だけど、少し距離が遠い。何とか脚を伸ばせば届くかもしれないけど、不自然な体勢になれば、気づかれてしまいそうだ。

 私は慎重に、男が背を向けている間に片足をゆっくりと伸ばす。もう少し――。

 私は腰を少し前に出して、もうちょっとだけ脚を伸ばす。

 ナイフの持ち手につま先が触れる。マリーも私の行動の意図に気づいたようだ。

 つま先でナイフを引き寄せようとした時、リーダーの男が振り返る。


 焦った時、「あ、あの~~~~っ!!!」と前のめりになって腰を浮かせたのはマリーだ。男の視線を引きつけてくれたみたい。

 おかげで、私は引き寄せたナイフを足で踏み付けて隠し、そのまま座り直すふりをして脚を戻す。そしてパッとスカートの裾でナイフを隠した。

「なんだ?」

 睨み付けたマリーは、ビクビクしながら、「こ、ここには、重傷者がたくさんいるんです! お願いですから、その人たちには手を出さないでください!」と震える声で訴える。 

「そ、そうよ! いったい、何が目的でこんなことをするの!?」

 私は腰を浮かせ、ナイフを自分の後ろに蹴りながら、男に向かって尋ねた。

 男は私たちのそばにやってくると、マリーの顎を乱暴につかむ。

 マリーは怯えた顔でギュッと目を瞑っていた。当たり前だ。彼女は戦闘員ではない。治療魔法士だ。こんな状況に慣れているはずもない。


「ちょ、ちょっと、気安く触れないで!」

 私はマリーと男の間に、グイッと自分の体を割り込ませる。

 マリーから手を離した男が、冷たい目を私に向ける。

 背筋がゾクッとした。暴力を振るうことになんとも思っていない人の目だ。本能的に、私の体が逃げようとする。男はいきなり私の頬を力一杯ひっぱたいてきた。


「ジャンヌ!!」

 マリーが青ざめて叫ぶように名前を呼ぶ。

 あまりの痛みに私は声が出ない。本気で叩かれた。

 それも、少しも力加減することなく。口の中が切れたのか、血の味が広がるのが分かった。こんな本気の暴力を受けたのは、生まれて初めてのような気がする。

 ゲームの中で何度戦っても、自分自身の体にダメージを受けることはない。でも、この世界は違う。現実と同じなんだ。

 そのことを思い知らされるような気がした。

 殴られれば血も出るし、剣で斬られたら死ぬんだ。怖さが今更込み上げてくる。

 私は涙が出そうになるのを、歯を食いしばって耐えた。


「余計な口をきくな」

 男は吐き捨てるように言うと、背を向けて戻っていく。

「ジャンヌ……だ、大丈夫?」 

 マリーが声を潜めて、心配そうにきいてくる。私は頷いて、ぎこちなく笑みを作った。

「これくらい……平気よ……」

 本当は全然、平気じゃない。だけど、情けなく怯えた顔を見せるのなんて嫌だった。怯めば、敵に侮られる。バトルゲームや格闘ゲームの中でも同じだ。

 弱気になったり、怯えたりすれば、動きが鈍くなる。逃げ腰になってしまう。そうすれば、それが相手に読まれて容赦なく攻撃される。

 相手は私よりも力は強くて、体格も大きい。訓練されているプロの戦闘員だ。

「これじゃ、猛獣を相手にする方が簡単かもね……」

 私は苦笑して呟いた。私はマリーに視線で合図を送り、スカートの裾に隠したナイフをチラッと見せる。マリーを顔を強ばらせて頷くと、男を警戒しながらそのナイフを、ロープで縛られている手でそっとつかんだ。


「うまくいかなくて……傷つけるかも」

 肩をピッタリとくっけたまま、マリーが耳打ちしてくる。私は「いいから」と、小声で返した。マリーは手を震わせながらもナイフで、私の腕を縛る縄を切り始める。ようやく切れると、ホッとしたように私の手にナイフを渡してくる。

 それを受け取り、マリーの縄を切ろうとした時、「おい」と男がやってきた。

 私はギクッとして、ナイフをすぐに引っ込める。

 男は手下と一緒にやってくると、マリーの腕をつかんで引っ張った。

「キャア~~ッ!」

「ちょ、ちょっと、マリーをどこに……っ!」

 私が声を上げようとすると、男がギロッと睨んでくる。

 私は身構えたけれど、男は私を無視してマリーを見た。

「ジュリアン・モントルイに伝えろ。ここにいる人質の命が惜しければ、一人でここに来いとな」

 リーダーの男はマリーに向かって言うと、手下の男に彼女を連れ出させる。

 マリーは泣きそうな目をして、私を振り返りながら救護室を出て行った。

 伝言役に彼女が選ばれたことに、私は内心ホッとする。

 これで、マリーは安心だ。

 だけど、ジュリアンを呼び出すために、人質を取って籠城したの?

 だとしたら、目的はやっぱりジュリアンの命なのね――。


 私は医療用のナイフの柄を強く握り締める。

 緊張のせいで、手のひらが汗ばんでいた。

 交渉するつもりなんてないはずだ。この砦が敵の手に落ちなかったのは、ジュリアンがいるからだ。

 敵はそれを分かっていて、直接ジュリアンの首を狙いにきたってわけね。

 うまくいけば的の思惑通り。失敗すれば、使い捨ての駒として送り込まれた男が死ぬだけ。敵もずいぶん、卑怯な手を使うじゃない。

 しかも、負傷者ばかりの救護室を狙って、籠城するんだから。

 この男たちに、人道的な対応なんて期待するだけ無駄だろう。


 この救護室にいる敵は七名。おそらく、外にも見張りがいる。

 見張りが駆けつけてくる前に、この七名を私一人で片づけるしかない。ジュリアンの命を危険には晒せない。

 私は男や手下の動きをジッと観察する。喉はカラカラになっていた。

 失敗すれば、私は――。

 私は小さく首を横に振る。失敗した時のことなんて、考えて何になるのよ。

 生き残ることだけ考える。ゲームの時だって、そうしてきたじゃない。

 どんなに振りな状況でも、危機的な場面でも、活路を見い出してきた。

 負けを考えている時点で、負けなんだ。

 心臓の音が大きくなる。


 私は深く息を吐き出して目を閉じる。三秒数えてから、ゆっくりと目を開く。

 武器はこのナイフだけよ、ジャンヌ・ド・クロエ。

 一瞬でも油断したら終わり。言い聞かせてから、私は膝をついて腰を浮かせる。


「キャアアアーッ!」

 私が唐突に悲鳴を上げたものだから、男と手下がバッと振り返る。その前に、私は飛び出す体勢に入っていた。

 狙いを定めていた手下の男の膝目がけて、私は手に持っていたナイフを投げる。膝にナイフが命中すると、「うわっ!」と男が膝をついた。

 距離をすでに詰めていた私は、男の顎に膝蹴りを入れてから、その腰の剣に手を伸ばす。 柄をつかむと、リーダーの男が振り下ろそうとした剣を紙一重で交わして床を転がり、すぐさま起き上がった。


「ほぉ、貴様も訓練した兵だったか。女のわりにはやるな」

 リーダーの男はニッと冷酷な笑みを浮かべた。

 私は距離を取りながら、剣を男に向ける。この男、やっぱり、腕が立つ。

 男が手下たちに「やれ」と、合図を送る。

 手下の男たちは、剣を抜くと、一斉に襲いかかってきた。


 


 

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