第二章 12 救助

 私は息を吐きながら、切れた頬を手で拭う。床にはすでに四人の男が倒れて呻いていた。残るのは三人。一番厄介なのは、リーダーの男だ。フンッと笑って、打ちかかってくる。それを剣で受け流して、私は横に飛び退いた。


 相手は猛獣ではなく人間だ。致命傷にならないように傷を負わせるのは、思いのほか難しい。これがゲームなら手加減なんていらないけれど、私にとっては現実と同じ。ここにいるのは全てただのキャラクターだと言ってしまったら、今の自分も、そしてマリーやジュリアンの存在も、否定してしまう気がする。

 相手の命など考えずに攻撃する方が、容易くこの場を切り抜けられる。そのことはわかっていても、私はその決意も覚悟もできないでいる。

 仕方ないじゃない。人の命を絶つことの重みくらい、わかっているつもりだ。


 余計なことを考えず、戦いに集中しないと。

 手下の二人の動きを封じてから、残ったリーダーと一対一の戦いにもっていく。私はすぐに攻撃パターンを組み立てる。

 その一瞬の間に距離を詰められて、私はハッとした。リーダーの男の剣を、私は紙一重でかわし、身を低くして男の横を通り抜けて後ろに回る。

 背中に一撃を入れると、リーダーの男はさすがにかわせずよろめいていた。


 今のうちに、手下二人をやる。私はすぐさま走り出した。一人の剣をたたき落とし、さらにその腹部を蹴り飛ばしてから、もう一人の攻撃を避ける。

 その顎に、下から拳を打ち込んだ。二人とも、痛そうな声を漏らしてうずくまっている。すぐには動けないみたい。

 私は息を吐いて、残りのリーダーの男に剣を向ける。

 

 男は愉快そうに唇を歪めて笑っていた。

 突進してきた男の剣を受け止めた手が痛かった。手首を痛めそうだ。

 私は歯を食いしばり、足を踏ん張ってその剣を押し返す。その直後、横腹を蹴られて吹っ飛び、床に倒れた。

 息が止まり、思わず噛んだ血が唇からこぼれる。

 咳き込んだ私は、震える腕に力を込めて起き上がった。

 

「暇潰しにはなったぜ、お嬢ちゃん」

 男はククッと笑うと、私の背後に立って剣を振り上げる。

 その影が床にくっくり映っていた。

 すぐに立ち上がって、反撃しないとやられる――。

 振り返り、自分のスカートをつかむ。膝に力が入らなくて、立たなかった。

 見下ろしている男が剣を振り下ろすのが目に入り、私はギュッと目を瞑る。

 

 窓が壊されたような音がして、私はハッとして目を開く。

 窓枠を乗り越えて飛び込んでくるジュリアンの姿が視界に入った。

 すでに抜いていた剣を、ジュリアンはリーダーの男の腹部に叩き込んでいた。

 

 吹き出した血が、床に飛び散る。私の顔や頬にも、血がピシャリと飛んできた。

 男は剣を落として膝をつくと、ジュリアンを睨むように見る。

 剣の柄をもう一度握ろうとしていたが、ジュリアンの足が先に蹴り飛ばしていた。

 

 廊下側の入り口が開いて、兵士が駆け込んでくる。

「全員、マルセルのところに連れて行け」

 ジュリアンは剣の血を払いながら、静かに命令した。

 兵士は動けないでいる手下の男たちに縄をかけて立たせると、救護室から連れ出していた。

「ジュリアン・モントルイ……っ!」

 リーダーの男が憎らしそうに名前を呼ぶと、ジュリアンが視線を彼に向ける。

「私を呼んだのはお前だろう」

「ああ、そうだな……これで終わると思うな。お前の首はもらう」 

 リーダーの男は捨て台詞のように吐き捨てると、兵士の手をはね除けて自力で立ち上がる。その足もとに血だまりができていた。

「死ない程度に生かしておけ。そいつには聞くことがあるから」

 ジュリアンは兵士の一人に言うと、それ以上は見る価値もないとばかりに視線をそらしていた。


 私はペタンと座り込んだまま、ジュリアンを見上げる。

「助けに来るのが遅くなってしまって、悪かった……無事かい?」

 ジュリアンはいつもの穏やかな表情に戻ると、私の腕を取る。その手に引っ張られて、ようやく立ち上がることができた。だけど、膝が情けないほど震えてしまって、立っていることができない。

 ふらついた私を、ジュリアンは自分の胸に抱き寄せる。

 

 よかった――生きていられた。

 私は安堵して、ジュリアンの胸に寄りかかったまま深く息を吐いた。

 この人が来てくれなかったら、きっと命はなかった。

 目を伏せた私の震えが収まるまで、ジュリアンはそのままの体勢でいてくれた。

 

「温泉……入りたい……」

 無意識に呟くと、「プッ!」と笑う声が耳に入る。

 私が顔を上げると、ジュリアンがおかしそうに私を見ていた。

「このまま連れて行ってほしいなら、そうしょうか?」

「とんでもない! も、もう、大丈夫!!」

 真っ赤になって、ジュリアンの胸を両手で押す。

 私ってば、なに自然にもたれかかっていたのよ!

 考えただけで頬が火照ってくる

 笑いを堪えていたジュリアンは、救護室を見回し、落ちていた剣を拾い上げた。

「もしかして、君一人で戦っていたのか?」

「まさか!! あの人たちは……仲間割れを起こしたんです。報酬の取り分で……」

 私はニッコリ笑ってごまかした。汗ばんでいる手をギュッと握る。

 ジュリアンは「そうなのか……」と、顎に手をやって考え込んでいる。

 ごめんなさい。でも、本当のことなんて言えない。

 ただの公爵令嬢だったジャンヌ・ド・クロエがいきなり剣を振り回すようになった理由なんて、私はうまく思いつかない。深く追及されると困ってしまう。

 

「ああ、そうだ。ジュリアンが来てくれなかったら、私はスイカみたいに真っ二つにされていたわ!! あ、ありがとう!!」

 話をはぐらかすと、ジュリアンがチラッと私を見た。

「本当に怪我をしていない? もし、しているなら今すぐ、マリーのところで」

「擦り傷だけだから治療はいわらないわ。それより、マリーは無事!?」

 私が尋ねると、ジュリアンは「ああ、無事だよ」と微笑む。

 その言葉に、私は胸をなで下ろした。


「それにしても……君はよく血まみれになってるね」

 ジュリアンが私の恰好を眺めながら感心したような口調で言う。

 私は改めて自分の恰好を見て、悲鳴を上げた。エプロンもスカートも血で汚れてしまっている。また、服を洗うのが大変じゃない。血の汚れはなかなか落ちないのよ。

「まったくだわ……」

 私は額を手で押さえて、ため息を吐いた。


「後で、マリーと一緒に温泉に入ってくるといいよ。あっ、私は行かないから安心してくれ」

 剣を鞘にしまったジュリアンが、両手を開いてにこやかに言った。

「誰もそんな心配なんてしてないわ!」

 私はからかわれたと分かって、赤くなった頬を膨らませる。まったく、この人ったたら――。

 本当はちょっと意地悪な性格なんじゃないかしら。

 ジュリアンは「ごめん、失礼だったね」と、声を押し殺しながら笑っていた。

 

 ジュリアンが兵士を連れて戻ると、私もようやく落ち着いてきて、顔や手を洗ってから救護室の片付けをおこなっていた。 

 ようやく戻ってきたマリーは私の顔を見るなり、「うわ~んっ!」と泣きながら抱きついてくる。

「ごめんね~、ジャンヌ!」

「どうしてマリーが謝るのよ? お互い、無事だったでしょう?」

「私の方が残っていればよかった。そうすれば、ジャンヌに怖い思いをさせなかったのに……本当に何もされなかった? 怪我もない?」

 マリーは潤んだ目をして、私を見つめてくる。

「私は連れていかれたマリーが乱暴されなかったどうかの方が心配だったわ」

 そう言うと、マリーはブンブンと首を横に振る。

「私は呼びに行かされただけだもの。その後は、ジュリアン様やお兄ちゃんが守ってくれたし……落石事故も、あの人たちの仕業だったみたい。お兄ちゃんが、現場に火薬を使った痕跡が残っていたって話していたから。今、全員、尋問しているよ……地下牢から、ものすごい悲鳴が聞こえてきたわ」

「そ、そうなのね……」

 どんな尋問が行われているのかは、あまり想像したくない。

「ねえ、マリー。後で一緒に温泉に行かない? 今日は疲れたし……」

「行く~っ! ジャンヌと一緒にお風呂に入るの、初めてだよね!」

 嬉しそうに笑って、マリーは私に抱きついてきた。

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