第五章 7 帰還

 背後から迫る騎士が、私に向かって大剣を振り下ろす。その一瞬、相手はニヤッと残忍な笑みを浮かべていた。咄嗟にその剣を自分の剣で受けたけれど、手が痺れて剣を離しそうになる。跳ね返せないっ!

 私は弾かれるように馬から転がり落ちた。向こうで他の兵士と戦っていたサーラが、ハッとしたように振り返る。呼びかけた名前を飲み込んだのは、名前を迂闊に相手にばらすことはできないと思ったからだろう。


 私は「大丈夫だから!」と、サーラに向かって声を上げた。

「ほぉ、勇ましいお嬢ちゃんだ。だが、いつまで大丈夫と言っていられるだろうな」

 相手の騎士はニヤッと笑い、馬から降りてきて私に近付いてきた。大柄で、片目の上に大きな傷がある。猛獣を思わせるような威圧感のある男だった。他の兵士なんかとは比べものにならないくらに強い。


 私は剣を握り締めて立ち上がり、飛びかかる。仕掛けてみたけれど、軽くいなされて剣を叩き込まれる。もう少し体を引くタイミングが遅ければ、剣で切り裂かれていた。わずかに剣が振れただけで、首筋が切れ血が流れ出す。私は呼吸を整え、傷口を手で押さえた。大丈夫――それほど深く切ってはいない。皮膚を掠めただけだ。

 

 だけど、心臓の音が激しくなっていて、いますぐに逃げるべきだと本能が警告していた。この人、強い――。強いなんてものじゃない。私なんかが歯の立つ相手じゃない。ただでさえ、力というハンデがある。その上、動きも俊敏で予測し辛い。戦場で戦い抜いてきた者の慣れた動きだった。人の命を奪うことに躊躇いすらない。いいえ、それを楽しんでさえいるのかも。


 ああ、こういう人――ゲームにもいたなと私は前の世界でのことを思い出す。圧倒的な力でゲームを支配する。


「いい動きだ。だが、まだまだ甘ちゃんだな。怖がってんのが丸見えになってるぜ」

 騎士の男はそう言うと、剣を構えて突進してくる。私は剣で地面の泥を跳ね飛ばし、一瞬の隙を作ると、林の中に逃げ込んだ。逃げるなんて卑怯だなんて言っていられない。それに、卑怯だというのなら、あいつの筋肉がそもそも卑怯じゃないの!

 尋常に勝負~なんて、悠長なことを言っていられる場合じゃない。

 

 私は振り返り、男が追ってきていることを目の端で確認する。私は木の陰に身を隠し、姿を見失った私を探してる男の気配と足音に全神経を集中させる。まだ、距離がある。その時、目に入ったのはウサギだ。草むらから顔を覗かせて、警戒するようにキョロキョロしている。私は落ちている木切れを拾い上げると、そのウサギに向かって投げつけた。その瞬間、ウサギは驚いたように飛び上がって逃げていく。その音で男はパッと振り返っていた。今、逃げていったのが、人か動物か、見えなかったのね。


 数歩足を進めて、林の中を見回していた。その間に私はあの男の背後に回り込む。握り締めたのは、剣ではなく短剣。息を吐き、私は木の陰から飛び出す。背後からその男の首筋を目がけて短剣を振り下ろしたが、あっさりとかわされて私の短剣は空を切る。だけど、そんなことは百も承知よ!


 私は素早く引き抜いた剣で相手の横腹を狙う。剣は届いた。だけど、鎧を掠めただけ。すぐに態勢を整え――そう思った瞬間、蹴りをまともにくらい、私は吹っ飛んで地面を転がる。息ができず、声も出なかった。うずくまる私の体が震え出す。

 まずい、殺される――かも。

 早く動かなきゃと、私は手で泥をつかんで、必死に立ち上がろうとする。その髪が掴まれて、私は騎士の手で宙づりにされた。私は力一杯、自分の唇を噛む。痛くて、血が溢れてきたけれど、おかげで震えが止まった。そうだ。やられたら、そこで何もかも終わりだ。リベンジなんてできない。


 だとしたら、生き残るために最後まで足掻いて、足掻いて、足掻きまくるだけだ。私は体に弾みをつけ、笑って何か言いかけた男の顔面を蹴りつける。一瞬手が緩んだ隙に抜け出し、宙返りして着地すると、落ちた剣を拾って走り出した。

 

「出てこい! お遊びは終わりだ。女!」

 騎士はさすがにさっきの一撃が効いたのか、怒りの声を上げる。

 嫌に決まってるじゃない。なんて思いながら、私は足の向きを変えてつかんだ泥玉を相手に投げつけた。それは騎士の男の顔面にあたり、目に入ったらしい。剣の動きがわずかに鈍っている。私はそれをかわすと後ろに回り込んだ。パワーでは勝てない。だけど、動きは私の方が身軽な分速い!


 足払いをくらわせ、膝を突いた瞬間を狙って剣を振り下ろす。その剣を男は力任せにはね除けてきた。立ち上がった男は本気になった顔で、私の前に立つ。

「お前、フロランティアスの兵だな。名前は?」

「答える必要はないわね」

 私は後退りして剣を構えながら、ハッと笑って吐き捨てた。

「まあ、そうだな。その首を切り落とせば、お前がどこの誰であろうが関係ない」

 騎士の男は残忍な笑いを浮かべて、今度こそ容赦なく打ちかかってくる。それを防ぐだけで私は手いっぱいで反撃もできない。


 足がズルッと滑り、倒れそうになったところで、白刃が閃く。焦って身を庇おうとした瞬間、カンッと音が響いた。ハッとして目を開くと騎士の男の剣を、別の誰かの剣が受け止めている。私は「えっ」と、驚きの声を漏らして、横から飛び込んできた相手を見上げた。


 ジュリアン……!

 

 目をこすって、これが現実かどうか確かめたくなった。でも、そこにいるのは間違いなく、武具の上に黒いマントを羽織っているジュリアンだった。回りから兵士の声も聞こえてくる。


「フロランティアスの犬か……」

 苦々しく吐き捨てた騎士の男に、ジュリアンは剣を向ける。打ちかかってきた相手の男の剣を、ジュリアンはいとも容易く交わし、はね返していた。その動きに、私は目を奪われる。やっぱり、すごい……ジュリアンって強い。なんて見とれている場合じゃない。私は剣を握って立ち上がる。


 ジュリアンが体勢を崩した一瞬を狙い、騎士の男はすぐさま打ち込んでいく。私はその隙に、背後から切り掛かった。ハッとして騎士振り返った瞬間、ジュリアンが男の腹部目がけて剣を振り上げる。大きく蹌踉めいて後に下がった男は、手で横腹を押さえている。その指の間から、血が溢れていた。


「二人がかりとは随分と卑怯じゃないか?」

「あら、剣術試合じゃないもの。戦場で卑怯とか、関係ないでしょう? 首を取ったものが勝ちなんだから」

 私はジュリアンの横に並んでニヤッと笑いながら言い返した。

 ジュリアンが目を丸くして私を見てから、フッと笑う。それも一瞬で、すぐに険しい表情で男のほうを向いていた。


「あなたはアッガス・ドールマン将軍だな」

 ジュリアンがサラッと口にしたその名前に、私は驚いて相手の騎士を見た。その将軍のことを兵士たちが話していた。フロランティアスとの戦闘の指揮を執るためにやってくるとか――。

「そういうお前さんは?」

 勝負がついたと観念したのか、男は落ち着いた口調で尋ねる。その剣もすでに下げていた。

「……ここはすでにフロランティアス領だ。すぐに兵を引いて戻りたまえ。ここでこれ以上戦闘行為を続けるようであれば、侵略行為と見なすがよろしいか?」

 ジュリアンは冷たい表情に変わり、ピシャリとそう言った。

「これは失礼した。狩りをしていてな。逃げた獲物を追っていたら、うっかり超えてしまっていたらし。今回のところは勘弁してくれ。だが、そのうちそちらにご挨拶に伺うことになるだろう」

 大げさに一礼したドールマン将軍は、「引くぞ!」と大きな声を上げて兵士を促し、あっありと退却する。国境を侵略すれば、両国で結ばれている和平の条約を一方的に破ったことになる。それは、さすがにイブロアにとってはまずいと判断したみたいだ。

  

 私は剣を地面について、くたっと座り込みそうになった。今になって、膝がガクガクしてきた。そんな私の腰に腕を回して支えてくれたのはジュリアンだ。

「どうして……あの……ここに?」

「そろそろ戻って来る頃だと思って。迎えにきた」

 ジュリアンは何でもないようにニコッと笑う。私はそんな笑顔に、ホッとして寄りかかりたくなる。だけど、すぐに頭を小さく振って自分の脚にしっかりと力を込め、自力で立つ。

「あ、ありがとう! お陰で助かったわ。その……ちょっとばかり、苦戦していたの」

 私が笑ってごまかすと、ジュリアンは「ちょっとばかり」とクスッと笑う。私は「ええ、そうね。かなり手こずっていたかも」と降参したように言い直した。


 「ジャンヌ!」

 声がして振り返ると、サーラが兵士たちと駆け寄ってくる。その兵士は、ジュリアンが連れてきた砦の兵士たちだ。

「無事か!?」 

 そう尋ねてから、ジュリアンに向かって「救援感謝いたします」と深く頭を下げる。

「報告は戻ってからきこう。無事でよかったよ」

 ジュリアンはそう言うと、「引き上げるぞ」と兵士たちに指示をしていた。

 私は兵士が連れてきてくれた馬に乗る。

「そういえば、アルセーヌさんたちは?」

「無事だよ。先で待っている」

 先に彼らと合流したのだろう。サーラと私が残っていることを知って、すぐに助けにきてくれた。ジュリアンはやっぱり、そういう人だ。誰かを見捨てたりはしない。

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