第五章 8 報告

 砦に戻ったジュリアンは、デュランとアルセーヌを執務室に集め、隣国イブロアの動向について話をしていた。

「サーラの具合は?」

 ジュリアンが尋ねると、窓に凭れたデュランが「疲れはしているようだが、傷はそれほどひどくねえ。マリーに任せておけば大丈夫だろう」と答える。先に、救護室に寄って確かめてきたのだろう。ジュリアンが部下であるサーラのことを誰よりも心配していたのは知っている。ジュリアンは笑みを隠し、「そうか」とだけ答えた。

 捕らえられていた他の兵士もサーラと動揺に救護室で休んでいる。敵国も貴重な情報源であり、人質ともなりうる可能性のある者を、そうむざむざ虐待するほど愚かではなかったのだろう。

 それとも、サーラたちが口を割らないから、本当にフロランティアス側が送り込んだ偵察隊だという確証を得られなかったのかもしれない。もうしばらく、脅しをかけて様子を見るつもりだったのか。それとも、あのドールマンという男の到着を待って判断するつもりだったのか。

 ジュリアンは手合わせした相手の顔を思い出して、眉間に皺を寄せる。

(イブロアも本格的にこちらに侵攻する準備を進めているのだろうな……)

 アッガス・ドールマン将軍の名前は聞いた覚えがある。南の国境での紛争を片づけて、戻ってきたのだろう。イブロア皇帝に信頼され、国境の防衛任務を任されている男だ。上げた戦果は数知れない。その一方で手段を選ばない残忍な男だときく。

 あの男がこのフロランティアスとの国境に送られてきたということは、そう時間もないということだ。


「数日は療養させたほうがいいだろう。そう伝えておいてくれ」

 ジュリアンは考えを断ち切り、顔を上げて微笑んだ。

「もう一つ、報告が……クロエ嬢と国境の検問を通り抜ける際、聖アレグレアの修道士を見ました」

 アルセーヌの言葉に、ジュリアンもデュランも深刻な表情になる。

「聖アレグレア? なんだって王都の修道院の連中がイブロアに向かうんだ。まさか、布教ってえわけでもねーだろ。まあそれもありえない話でもないけどな。あの連中ときたら信仰のためなら、敵国だろうが魔獣の巣穴だろうがどこにだって出かけていきやがる」 

「聖アレグレア修道院が敵国と内通している……という可能性はあるだろうな。でなければ、両国の関係が緊迫している今、イブロアに行く理由がない」

 だが、修道院の院長が独断で行っていることではないだろう。修道院を使い、敵国と密かにやりとりしている者がいる。

「あるいは、この砦が陥落した後のことを相談しているのかもな……」

 ジュリアンがポツリと呟くと、デュランが「ふざけやがって」と忌々しそうに吐き捨てた。その後で糸を引いている者たちが誰なのかは、アルセーヌもデュランも口にはしないがわかっているだろう。


 どおりで、敵側がこちらの内情に詳しいはずだ。だが、そんなことはこちらとしてもとっくに想定していることではある。

「修道士が敵側となにを相談しあっているのかは知らないが……我々がやることは変わらない。この砦を死守し、フロランティアスへの侵攻を食い止める。それだけだ」

「イブロアは国境に兵を集め始めています。それは、街での噂になっていました。食料もかなり高騰していると……買い占めているのでしょうね」

 アルセーヌがメガネに手をやり、息を深く吐きながら言う。イブロアの街で、アルセーヌは情報収集も行っていた。

「こちらも準備を進めた方がいいだろうな……」

「承知した。って言いたいところだが……こっちは明らかに兵力不足だぞ」

 デュランが「どうするんだ?」と、ジュリアンを見る。

「攻め込まれる前に奇襲をかける。そのための罠くらいは仕掛けておくさ」

 

 話が終わり、デュランが部屋を出て行った後で、ジュリアンはアルセーヌに「クロエ嬢の様子は?」と尋ねた。

「兵士とサーラの治療を手伝うために、診療室に出入りしているようですね」

「そうか……少しもジッとしていないんだな」

 きっと心配で気がかりなのだろう。そんな彼女の様子を思い浮かべると、笑みが漏れる。自分も救出任務を果たしてこの砦まで戻ってきたのだ。疲れていないはずはないだろうに。

「……クロエ嬢は公爵令嬢とお聞きしておりますが……本当にご本人なのでしょうか?」


 アルセーヌが不可思議そうな顔をしてきく。確かに数日前まで王都でダンスだ歌劇だと華やかな生活ばかりしていたご令嬢が、こんな辺境の砦に送られてきて、馴染むどころか、敵国に忍び込んで救出任務までこなすなんて、そう信じられる話ではないだろう。公爵家が別の者を身代わりとして送り込んできたのではと、アルセーヌが疑うのも当然のことだ。

「さあ……どうだろうな。もし借りに身代わりだったとして、彼女を王都に送り返せば、我が砦は貴重な戦力を一人失うことになるわけだ。そのかわりに、足手まといにしかならない我が儘お嬢様を送り込まれてくるよりはマシじゃないか?」

 頬杖をついて、ジュリアンは目を細める。

「それはそうですが……」

「信頼できないか?」

 ジュリアンが問うと、アルセーヌは渋面を作って黙っていた。判断はまだ保留というところなのだろう。

「少なくとも、彼女は公爵家のご令嬢本人だ。ただ……中身はどうかはわからないな」

 曖昧な言い方をすると、アルセーヌが何か言いかけて口を開く。

「ところでクロエ嬢と君はイブロアからお嬢さんを一人、連れてきたそうだな」

 そう言うと、アルセーヌがグッと喉の詰まったような声を漏らした。

「その件は後ほど報告書を……すぐに砦を離れてもらうように伝えます」

「本人が離れたいというならそれもかまわないが……そうでないのなら、この砦にいてもらってかまわないぞ。いきなり知らない国で放り出されても不安だろう。慣れるまでは面倒を見てやるのが親切というものだ。その女性の協力なくして、救出任務は成功しなかっただろう」

「しかし……」

 言いよどむアルセーヌの顔は、珍しく困り果てている。あまり意地悪を言うものではないなと、ジュリアンは膝の上で手を組む。

「そうだな。この砦も安全ではない。必要なら私が紹介状を書こう」

「ありがとうございます。本人にもそう伝えておきましょう」

 アルセーヌは一礼すると、部屋の扉に向かって歩いて行く。「アルセーヌ、君も無事でよかった。ご苦労様」と、労うと彼はこちらを向いてもう一度頭を下げる。

 アルセーヌが出て行った後、一人残された部屋でジュリアンは軽く息を吐いた。


「王都にも探りを入れた方がいいかもな……」

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