#36

――メアリーに手を引かれ、グレイシャルは彼女と共に隠れ家にしている建物を出た。


外にはレンガ造りの家が並んでおり、地面には石畳の道が見える。


ここがウェルズ領の中心街だとわかる街並みだ。


時間が夜ということもあって人通りこそ少ないが、遠くには城、その背後にはまるで城を中心に街全体を囲むような山がそびえ立っている。


ルヴァーナの住む森からの移動で人通りの少ない獣道を選んで進んでいただけに、あの山岳地帯からこんな文化的な光景があることは、グレイシャルを驚かせた。


よく考えたらアドウェルザーと遭遇そうぐうし、殺されかけて隠れ家へと運ばれてから、グレイシャルは一歩も外に出ていなかった。


彼はずっと部屋に引きこもっていた。


元々が観光目的ではないのもあったが、一度は胴体に穴を開けられ(目覚めたときには治っていたが)、ボロボロの精神状態だったのもあって、とても街を散策する気にはなれなかったのでそれも当然だった。


「出歩いて大丈夫なのかな? もし帝国の人に見つかったら……」


「まあ、大丈夫でしょ。グレイシャルは面が割れていないし、今のあたしは包帯だらけで人相もよくわからないしね」


それはそれで目立つのでは?


傷だらけの女の子なんて、このウェルズ領が住む街にいたら怪しまれそうなものだが……。


そう思ったグレイシャルはメアリーがどうして自分を連れ出したのかわからず、それでも彼女には何も言わなかった。


ただされるがまま後について行き、それから街中を進んで人気ひとけのない丘を登ると、メアリーは足を止める。


「この場所はガルノルフから聞いたのよ」


そこは街が一望できる場所だった。


灯りの付いた建物が並び、中でも城が一番目立っていて、グレイシャルが明日はあそこへ乗り込むんだよなと、呆けながらその光景を眺めていると――。


「星が綺麗……ねえ、そう思わない?」


メアリーが空を見上げながら声をかけてきた。


グレイシャルも空を見上げてみると、そこには星空が広がっていた。


彼女の言う通りたしかに綺麗だとは思ったが、今のグレイシャルに星を楽しむ余裕はなかった。


むしろわざわざこんなものを見せたくて連れ出したのかと、思わず不機嫌になってしまうくらいだ。


「……もう戻ろうよ。明日の夜には戦わなくちゃいけないんだし」


グレイシャルはそれでも不快感を抑え、メアリーにそう言ってその場を去ろうとした。


本当は彼女に話したいこと――謝りたいことがたくさんあったが、何をどう言えばいいのかわからず、今はともかく明日のことに集中したいと、グレイシャルは思っていた。


大事な話がないのなら帰ろう。


そう呟くように言って背を向けたグレイシャルのことを、メアリーが声をかけ止めてくる。


「待ってグレイシャル! あの……アドウェルザーと戦ったときのことなんだけど……」


振り返ったグレイシャルがメアリーを見ると、彼女は何かもじもじと身をくねらせていた。


その態度から、彼女が何か言いづらいことを話そうとしていると、グレイシャルは思った。


そしてその言いづらい話というのが、アドウェルザーの名を聞いてそれとなく察してしまう。


メアリーの性格的に、あのとき不甲斐なかった自分をなぐめようとしてくれているのだろう。


とても彼女らしいと思いながらも、グレイシャルは内心で苛立っていた。


あのとき――アドウェルザーを前に一撃でいつくばり、惨めにも嘔吐おうとした。


そんな自分とは違い、メアリーは技を破られようが魔術が通じなかろうが、一切怯むことなく敵に向かっていった。


彼女のほうが強いから当然――なんて、そんな言い訳は通用しない。


アドウェルザーの前では、グレイシャルもメアリーも同じく弱者だった。


それでもメアリーは立ち向かっていった。


そして敗れて命からがら生き残っても、彼女は何一つ変わらず、他人を気にかけている。


(メアリーってやっぱりすごい……あんなことがあったばかりなのに……でもッ!)


彼女の勇敢さ、行動の正しさが、グレイシャルのみじめさをさらに濃いものにする。


頭の中で情けなさが声を出し、自分のことを笑い始める。


これ以上メアリーと居たくない。


グレイシャルは彼女の無事を喜びながらも、傷だらけで気にかけてくるその態度にうんざりしてしまっていた。


もちろんそれは自分のせいであって、メアリーは微塵みじんも悪くない。


だがグレイシャルは、こんな風に思うのは良くないとわかっていても、内側から湧き出る焦燥しょうそうを止められなかった。


それは、これまで感じていた彼の人生の負い目がよみがえったからだった。


物心ついたときからずっと大人の言う通りに生きてきて、魔導兵士というやりたくもないことを続けてきた。


閉鎖的な環境から得たものは少なく、自分と同じ立場の人間と競わされ、友人すらできなかった。


嫌になって逃げ出し、そこで新しい出会いと環境を手に入れた。


ここならば自分の人生を手に入れられるかもしれない。


一からやり直して、自分が本当に欲しいもの、やりたいことが見つかるかもしれない。


そのために自分なりに努力もした。


失敗しても自分に何ができるかを考え、次こそはと覚悟を決めて今回のウェルズ領攻略に参加した。


今度こそメアリーの役に立とうと。


だが、結局は不甲斐ない結果で終わってしまった。


いや、違う。


始まる前の段階で、最悪の失態を犯したのだ。


メアリーがファリスのように責めてくれれば、まだ逃げることもできる。


この場所に自分は邪魔だったと思え、謝りながら去ることができる。


だが、彼女はそんなことはしない。


それとは真逆のことをしようとしている。


その優しさに、心がえぐられる。


今のグレイシャルは自分をたもつのが精一杯という心境しんきょうで、さらにメアリーの人柄の素晴らしさが、さらに彼を傷つけていた。


「メアリーごめん……。ここまでついて来てなんだけど……。オレ、もう戻るよ……」

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