#30

周りを囲んでいる岩壁にグレイシャルの泣くような声が反響する。


そんな彼の叫びを聞いたアドウェルザーは、静かに青ざめた少年に歩を進めた。


西陸流せいりくりゅうの技を破るのはそう難しいことではない。向かってくる斬撃に対して、それと同じか、または勝る刃を返せばいいだけだ」


アドウェルザーは、間髪入れずに放ったメアリーの技をほぼ同時に打ち返していた。


そのまま彼の言葉を借りるなら、おそらくはメアリーが同時に放った九つの閃光と同じ斬撃を放ったのか。


または彼女以上の斬撃を打ち返し、その体を斬り裂いたのだ。


アドウェルザーは大剣の持ち手を握り直すと、グレイシャルに訊ねる。


「魔女は今どこにいる?」


「うわぁぁぁッ!」


グレイシャルの耳には、アドウェルザーの言葉など入っていなかった。


彼は激しく取り乱し、一心不乱に目の前の男に殴りかかっていた。


よくもメアリーを。


よくも自分の大事な人を。


その拳は当然、魔力を纏っており、凄まじい光を放ちながらアドウェルザーの体を打ち抜こうと振るわれた。


だが、グレイシャルの放った拳は敵には届かなかった。


アドウェルザーは大剣を持っていないほうの手で彼の拳を受け止め、涼しい顔で見下ろしている。


「な、なんでだよ!? なんで止められるんだぁぁぁッ!?」


声を張り上げ、グレイシャルは再び拳を振り上げた。


今度こそとばかりに何度も殴りつけるが、アドウェルザーは片手で彼の凄まじい猛攻をすべてさばいていく。


「簡単なことだ。私の魔力のほうがお前よりも上というだけの話。こんなこといくら続けようが無駄だぞ」


「うるさい! うるさいうるさいうるさいッ! よくもメアリーを! よくもよくもよくもぉぉぉッ!」


グレイシャルは泣きながら殴り続けるが、アドウェルザーにはけして届かない。


対峙する彼らのことを俯瞰ふかんしてみれば、それはまるで子が親にワガママを言って暴れているようだった。


実際にアドウェルザーとグレイシャルは大人と子どもだが、それにしてもその光景は、誰が見ても滑稽こっけいで非常に無様なものだった。


アドウェルザーがグレイシャルの拳を受ける手は魔力を纏っている。


つまりはそれは、いくらグレイシャルが魔導の力を使おうが、それ以上の魔力を使われたら単なる少年が殴っているに過ぎないということだった。


メアリーの放った炎の魔術を一瞬で消すほどの魔力を持ち、さらには無敵だと思われた彼女の剣技も通じない。


そんな相手に、いくら魔導兵士とはいえ、グレイシャルが敵うはずもなかった。


「話にならんな。そんなにあの娘が大事か?」


アドウェルザーはグレイシャルの攻撃を手で受け流しながらため息をついた。


そしていい加減にうんざりしたのか、彼の腹を蹴り飛ばす。


その一撃でグレイシャルはその場に両膝をつき、動けなくなって嘔吐おうとした。


そんな彼を見下ろしながらアドウェルザーは言う。


「なら、なぜそんなに弱い?」


胃液を吐いていたグレイシャルはその言葉を聞き、流れていた涙がさらに溢れていた。


鼻水も止まらず、ただ痛みよりも強い思考に支配される。


そうだ、なぜ自分はこうも弱い?


恩人を。


大事な人を。


想い人であるメアリーをどうして守れないと、自分の情けなさに押し潰されそうになっていた。


両目と鼻、そして口から感情を垂れ流す少年に向かって、アドウェルザーは言葉を続ける。


「時間を無駄にしたな。さっさと殺すか」


アドウェルザーが大剣を振り上げた。


このままグレイシャルの首を斬り落とそうとしている。


だが、剣がグレイシャルの首に落とされる前、突然アドウェルザーの顔面に火の塊が襲い掛かった。


無数の火の玉が彼の顔を覆い、激しく燃え盛る。


「フレイム·バレット……」


それはメアリーが放った炎の魔術だった。


彼女は人差し指をアドウェルザーへと向け、炎の弾丸を放ったのだ。


メアリーはすでに立ち上がる気力もなく、血塗れのまま岩壁に背を預けているだけだったが。


それでもグレイシャルを救おうと、再び攻撃をしたのだった。


「まだ動けるとはな。しかし、この程度の魔術で私は止められん」


アドウェルザーの言葉の後、彼の顔面で燃え盛る火が突風によって吹き飛ばされた。


それでもメアリーは諦めず、何度も炎の弾丸を指から発射したが、やがて魔力が尽きてそれすらも出せなくなった。


火を放てなくなったメアリーだったが、彼女は落ちていた自分の剣に手を伸ばす。


「グレイシャルを……殺させはしない……わよぉ……」


「その体でよくやる。……娘、お前は先ほど自分がウェスレグーム家の人間だと言ったな? こんなところで無駄に命を張ってどうする? 帝国を討ちたいのだろう? こいつにそこまでする価値があるとは、とても思えん」


そう言ったアドウェルザーは、足元でうずくっているグレイシャルの顔面を蹴り飛ばした。


その一撃でグレイシャルは宙へと舞い、そのまま仰向けに倒れた。


「こいつはお前に比べればはるかに軽傷だ。それでももう身動き一つ取れずにいる。こんなのがお前の役に立つのか?」


「あなたには関係ない……でしょ……。グレイシャルはねぇ、とっても優しい、わたしの旦那さんなの……」


「色恋沙汰に命を懸けるか。所詮は小娘だな。王の器ではない」


「黙りなさい! 好きな人ひとり救えないで何が王族よ! わたしは目に入るものはみんな救ってみせるんだからッ!」


声を張り上げ、メアリーは立ち上がった。


剣を手に取り、アドウェルザーのことを激しく睨みつけている。


そんな彼女を見ていたグレイシャルも己を奮い立たせ、ゆっくりとだが自分の両足で立った。


グレイシャルは足元も覚束ない様子だったが、メアリーは自分が守ると言いたそうに、再び拳を握り込んでいる。


「娘の覇気に当てられたか。まあいい、もう終わらせる」


アドウェルザーが立ち上がった瀕死の少女と満身創痍の少年を交互に見ていると、その後ろから彼が連れていた少年が近寄ってきていた。

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