#37

グレイシャルはそう言うと、その場から走り去った。


背中にはメアリーの声が聞こえていたが、彼女の制止が聞こえていないようにただ駆けていく。


今メアリーに励まされたら、自分はどうにかなってしまう。


喚きたい衝動を止められなくなり、彼女に酷いことを言ってしまいそうだ。


そんなことはしたくない。


悪いのは全部情けない自分なのに、堪え切れずに誰かのせいにしてがなり立てたくない。


そんなことをしたら、自分で気が付かなかったルヴァーナが教えてくれたメアリーへの気持ちがうそになってしまう。


「自分の思いを、想像力を疑うな。魔術という奇跡は、お前の中から現れるもの。それを信じられないような奴に造形魔術はできん」


グレイシャルが成長できたきっかけは、メアリーへの思いからだった。


たとえメアリーがどう考えていようが、それだけは事実であり、その思いがグレイシャルの想像力を湧かせたのではないかと、ルヴァーナは彼に語った。


「もっと自分を信じてやれ、グレイシャル。それができたとき、お前は今よりももっと大きな奇跡を起こせる」


ルヴァーナの――師の姿が脳裏に浮かぶ。


だがアドウェルザーとの戦いで嫌というほど自分の弱さを知ったグレイシャルには、ルヴァーナの教えてくれたことが揺らぎ始めていた。


「なら、なぜそんなに弱い?」


たった一撃で沈み、目の前で両膝をついて胃液を吐くグレイシャルに、アドウェルザーはそう声をかけた。


そのときのことは、まるで数秒前にあったかのように思い出せる。


瞳が潤み、鼻水も止まらず、ただ痛みよりも強い思考に支配される感覚。


そうだ、なぜ自分はこうも弱い?


恩人を。


大事な人を。


思い人であるメアリーをどうして守れないと、自分の情けなさに押し潰されそうになる感覚だ。


今から2年前、魔導兵士の力が通用しなかった敵を前に覚えた無力感が、アドウェルザーとの戦いで掘り起こされた。


結果は散々だ。


もう二度とあんな情けないことにならないように、この数年間ひたすらおのれみがいてきたのに何もできなかった。


グレイシャルは丘を駆け下りながら思う。


努力が足りない。


才能がない。


いや、それだけではない。


そもそも自分は人に言われてきたことをやってきただけの人間だ。


最低限のことをこなしているだけでいいと生きてきたなまけ者だ。


そんな人間がたとえ環境を変えて努力をしようが、結局は体にも頭にも染みついている腐った性根は直せない。


「だから……だからせめてこの戦いだけでもッ!」


思わず声が漏れる。


今の自分にできること――。


それは逃げ出さずにメアリーのやろうとしている戦いに参加し、役に立たないなりに彼女に協力することだ。


これは意地や矜持きょうじといった、そんな男らしいものではない。


ここで逃げたら、良くしてくれたメアリーやルヴァーナに顔向けどころか、彼女たちの姿を浮かべることすらできなくなる。


消えるなら、せめて彼女たちがくれた恩の一欠けらだけでも返さねば……。


グレイシャルはそれがメアリーたちへのためではなく、すべて自分のためだと思いながら歯を食いしばる。


結局そうなのだ。


役に立ちたいなどといっても、所詮は他人のためではなく自分可愛さのため。


他人の目ばかり気にして、何もできないくせに何かを成し遂げたいという願望を持ち歩いている無能。


戦う意志こそ折れていないグレイシャルではあったが、もはやふくれ上がった自己嫌悪はもうどうしようもなくなっていた。


もし今ルヴァーナがグレイシャルの傍にいても、彼から自分への嫌悪感を拭ってやることはできなかっただろう。


それぐらい、今のグレイシャルは自分で自分を追い込んでいる。


「待ってよ、グレイシャル!」


追いかけてきたメアリーは、そんな彼の前に立ちはだかった。


傷ついた体で無理をして走ってきたことは、その息切れしている様子からしてわかる。


街はもう目の前。


グレイシャルはメアリーを振り切って去ろうとしたが、彼女は両手を伸ばし、彼の両肩をがっしりと掴む。


「どうしたの急に? なんでいきなりわたしを避けるの?」


不思議そうな顔で見つめてくるメアリー。


グレイシャルはそんな彼女のことを見ていられず、うつむくとそっと彼女の手を払った。


「べ、別に避けてなんかないよ。ただこれ以上は明日に響くかなって思って……もう戻ろう。話はまた今度にして、今夜はゆっくり休もうよ」


そしてその場にメアリーを残し、グレイシャルはまた走り出した。


背後から彼女の視線を感じながらも、けして速度を緩めることなく、まるで逃げ出すように。


メアリーの前で情けないことは言いたくない。


だからこれでいい……これでいいんだと、グレイシャルはそう自分に言い聞かせながら、仲間たちがいる隠れ家へと戻っていった。


――そして夜が明け、作戦決行の時間となった。


赤の女王のメンバーらは、朝に簡単な顔合わせと作戦内容の確認をし、すでにウェルズ領の城内へと入り込んでいる仲間たちがいることの説明を繰り返し合っていた。


グレイシャルはガルノルフら数人の仲間たちと共に、城内に食料を運ぶという名目で商人に化け、これから城門から入るところだ。


メアリーはファリスと共に、現在このウェルズ領を任されているサングィスリング帝国の幹部オニキースのもとへ行くために、グレイシャルとは別行動をとっていた。


彼女たちの侵入経路が仲間たちとは違う地下からというのもあって、陽が昇ってからメアリーとグレイシャルはろくに顔も合わせてはいない。


それは朝の集まりでも、グレイシャルがメアリーを避けていたからに他ならなかった。


「うん、たしかにうちの者が取り引きした品だな。入っていいぞ」


門番に城門を通され、グレイシャルたちが馬車で城内へと入っていく頃には、陽が落ち始めていた。


このまま城の食料庫に品を入れるふりをして、城内から帝国軍を制圧する手立てになっている。


「上手くいったな。あとは暴れるだけ暴れて、お嬢とファリスがオニキースのヤツを倒しちまえば俺たちの勝ちだ」


「そう、ですね……」


移動中の馬車の中――。


ガルノルフが小声でグレイシャルに語りかけたが、彼はどこか上の空といった感じで返事をした。

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