#3

店主である老婆の計らいで、グレイシャルは店の中で治療を受けていた。


とはいっても、ただ傷口に強いアルコールをかけてボロ布で巻くといった簡易的な処置だ。


グレイシャルはこんなのはかすり傷だと老婆に言ったが、彼女はムスッと不機嫌そうに全身に布を巻いていく。


そんな二人の光景を見ていた中年の男性客たちから、笑い声が漏れ始めていた。


なぜ彼らが笑っているのかわからないグレイシャルは、布で巻かれた顔で引きつった笑みを向けて、その場に合わせるだけだった。


「ちょっと待ってな。今なにか食べるものを持ってきてやるからね」


「えッ? でも俺……お金、さっきの分しかないですよ?」


「金はいいよ。その代わりと言っちゃなんだけど、もう店の外のゴミを漁るのはやめてもらいたいねぇ」


老婆は変わらず愛想なくいうと、酒場の奥にある厨房へと歩を進めた。


グレイシャルがそんな老婆の背中を眺めながら呆けていると、他の男性客らは彼に声をかけるように話を始めた。


ヴェリアス大陸“水蛇災害”が起きてから、世界は安定を取り戻した。


突然現れたヒュドラの群れを、とある組織が魔導兵士を率いて化け物をすべて駆逐したのだ。


だがその後、大陸を治めていた四つの国は荒れに荒れてしまった。


それはその英雄となった組織が、四つの国を自らの管轄に置いたからだった。


「サングィスリング帝国のおかげで平和になったのはよかったんだがな……」


「ああ……。だが連中のせいで国は別の意味でグチャグチャになっちまった……」


世界を救った組織は、その後にサングィスリング帝国を名乗り、再びヴェリアス大陸に脅威が襲わないようにと四つの国を自分たちのものにした。


もちろんそれぞれの国の王族は組織に反対したが、異論を唱えた者たちはすべて粛清されてしまう。


こうしてヒュドラの群れ討伐後に、東国、西国、北国、南国すべてを支配下に置いたサングィスリング帝国は、新たな制度を敷いた。


それは階級制度と奴隷制度だ。


サングィスリング帝国は自分たちが統治しやすいように人間を分け、従わない者や役に立たない者を身分の低い立場、または奴隷へと追いやった。


逆らえば当然、立場が悪くなることを恐れて、誰もが帝国の政策を受け入れざる得なかった。


この町もまた西国の外れにあり、奴隷とまではいかないまでも、ろくな仕事もなく高い税を収めているせいで皆、干上がっていた。


「お前さんが何を考えてこの町に来たのか知らんけど、ここに仕事なんてねぇぞ」


「そうだそうだ。今や世界はサングィスリング帝国の連中か、上手くあいつらに媚びを売れるヤツしかいい目に遭えねぇからな」


グレイシャルは、そんな愚痴を言いながら安いワインをあおる男性客らを見て、変わらずに引きつった笑みを返すだけだった。


しばらくすると、老婆がスープとパンを持って戻ってきた。


店主である老婆は、それをグレイシャルの座るテーブルに置くと、次に文字の書かれたボロ布を彼に渡す。


「これを持って町の出入り口にある宿へ行きな。酒場のババアからの紹介だって言えば、一日くらいは泊めてくれるよ」


その文字の書かれた布の中には、少ないながらも硬貨も入っていた。


グレイシャルは迷惑をかけたというのに食事までごちそうになって、おまけに金銭まで受け取れないと断ろうとした。


だが老婆は彼のことを無視し、やはり愛想なく酒場の仕事へと戻っていく。


「あんたに残飯を漁られると客が来なくなっちまうだろ。いいからメシを食ったらさっさと出てっておくれ」


そんな老婆の姿を見たグレイシャルは、引きつった笑みを歪ませて瞳を潤ませながら頭を下げた。


他の客たちはそんな二人の様子を見ながら、静かに杯を重ね合っていた。


まるで老婆の優しさに乾杯とでも言いたそうに。


――次の日の朝。


グレイシャルは荷物を持って宿から出ていた。


老婆の言った通り、宿屋の店主だった中年男性は渋々ながらも、彼の宿泊を一日だけ許可してくれた。


しかも無料で泊まらせてくれた上に、風呂や食事まで用意してくれるという待遇だった。


老婆と店主である中年男性の関係はわからないが、おそらく借りがあるのだろう。


あの優しい老婆ならそれも当然かなと、グレイシャルは「ハハハ」と声に出して笑った。


「町を出る前に……お礼くらいしなきゃ……」


宿を出たグレイシャルは、ノソノソと酒場へ向かった。


彼は自分には何も返せるものはないが、せめて言葉くらいかけて町を出たかったのだ。


朝だというの人気ひとけのない道を歩いていると、酒場のほうから騒がしい声が聞こえてきた。


グレイシャルが酒場の前にたどり着くとそこには町の住民たちが集まっており、さらには老婆が数人の男たちと揉めているのが見える。


「こないだ、もう酒を売るのは止めろと言ったよな」


「またそんなバカなことを言いに来たのかい? この店はあたしの両親が昔からやってる店なんだよ。それに酒にかかる税もちゃんと領主に払ってんだ。あんたらにとやかく言われる筋合いはないよ」


どうやら会話の内容からするに、店のことで互いに食い違いがあるようだった。


グレイシャルは老婆を助けようと人混みから前に出ようとしたが、彼女が揉めている男たちの姿を見て足が止まってしまう。


「うそだろ……? な、なんでこんな小さな町に――ッ!?」


酒場の老婆が揉めていた相手は、グレイシャルが脱走した組織――すなわちサングィスリング帝国の兵士たちだった。

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