第26話 母さん

 翌日。家では父さんが猛烈な勢いで怒っているに違いないと思っていたが、そんな素振りは一切見せず一日が過ぎていった。


 これは絶対何かある。


 悪い予感は当たるもので、明くる日の朝食の席で父さんは言い放った。


「今日、ウェルグ君が我が屋敷に来る。スティル、丁重におもてなししなさい。ロクィル、お前は後で私の執務室に来い。お前に教えるべき事が山ほどある」


 有無を言わさぬ迫力があった。私はもとより、兄さんも何も言い返せなかった。


 朝食を終えて部屋に戻ろうとすると、廊下で母さんに呼び止められた。


「何でしょうか、お母様」


「ちょっと、私の部屋に来てくれるかしら」


「……ええ」


 廊下ではできないような、大事な話だろうか。それとも長いお説教でもされるのか。どちらであろうと、この後ウェルグが来る事を考えればそれよりはマシだ。私は母さんの後に続いて母さんの部屋へ行った。


 部屋に入ると、ソファに座るよう促された。母さんと一緒にソファに座ると、心配する様な声で母さんが話を切り出した。


「あなた達、一昨日は何処へ行っていたの? 朝から姿が見当たらないものだから、ヴァンセートから話を聞くまで心配したのよ」


「……心配掛けてごめんなさい、お母様。でも……何で昨日じゃなくて、今日聞くの?」


「それは昨日の内に、あなたが謝りに来てくれるかと思っていたからよ。でも、全然何事も無かったかのように振舞うんだもの……。お父様があれだけ怒るのも当然よ」


(謝ってほしかったんだ……)


 昨日謝っていれば、今日ウェルグが家に来る事も無かったのだろうか。だが、兄さんと一日中出掛けていただけなのに、何故謝らないといけないのだろう。確かに(ヴァンス以外には)黙って出掛けた事は悪い事かもしれないが、事前に私と兄さんの二人で出掛ける報告をしていたら、絶対に反対された。兄さんと出掛ける事は叶わなかった。黙っていないと二人で出掛ける事もできないような環境にしている方も悪いのではないか。


「スティル。あなたがロクィルを尊敬している事は、十分に理解しているつもりよ。あなたが知りたいと思う事を、何でもかんでも教えられるのはあの子だけだもの。それに兄妹の仲が良いのは悪い事ではないわ。でもね……」


 母さんはそこで言葉を区切り、溜息をついた。


「あの子は……何て言うか、人と違い過ぎる所があるでしょう? あの子と一緒にいる時間が長いと、あなたもいつかおかしくなってしまうんじゃないかって心配になるのよ。それにあなたには婚約者がいるの。あなたが望んだ事ではなくても、相手が望む限りは覆す事はできないの。辛いかもしれないけど、これが現実よ。私達女には、どうする事もできない。でも、ウェルグ君は悪い人ではないんじゃないの? お父様は厳しい人だから私も苦労したけど、彼、優しそうじゃない。あなたはああいう子と一緒にいるべきだわ」


「……」


 何で、誰も彼も兄さんを悪く言うのだろう。何で、私を兄さんと二人きりにはさせたがらないのだろう。何で、私をウェルグとくっつけたがるのだろう。兄さんですらずっと一緒にはいられないと言ってきたけど、兄さんはちゃんとした理由を話してくれた。他の人はそうじゃない。嫌な気分だ。


「ねぇ、スティル。私はあなたの為を思って言っているのよ。いつまでもこの家にはいられない事は分かっているわよね。結婚して、家を出て、相手の殿方と一緒に暮らして、その人との間に子供を成して、その子を育てるのが女の一生だもの。結婚しないで独身でいるなんて、そんな惨めな人生をあなたに送ってほしくないの」


「……っ」


 私は奥歯を噛み締めた。


(何で……何で勝手に決めつけるの……)


 何でオンナノイッショウとやらを私も送らないといけないの。誰が女はこういう人生を送れと決めつけたの。誰が独身でいるのは惨めな事だと決めつけたの。


「お母様。私は、確かにウェルグ様は悪い人ではないと思っています。でも、だからといって彼と結婚したいかどうかは別の話です。それに……何故、私は私が送りたいと思う人生を歩む事ができないんですか。何故、女だからというだけで私の人生の道筋を勝手に決められないといけないんですか」


「それは……」


 母さんは黙って俯いた。母さんだって、きっと別な人生を送りたかったはずだ。自分が歩みたいと思う道に進みたかったはずだ。ただ、女だからというだけで歩まされたこの人生を、女だから仕方がないのだと自分に言い聞かせて諦めているだけで。だって、父さんと母さんの仲が良いようにはあまり見えないのだから。母さんは、兄さんの事もあまり好ましく思ってはいない。別の人と結婚していれば、もっとましな息子を生んでいたはずだ、と思っていたとしても不思議ではない。こんな事を言う私の事を、疎ましく思っていても驚きはしない。


 だって私は、兄さん以外のほとんどの人間の事があまり好きではないのだから(もちろんヴァンスはこれに当てはまらない)。他人が同様の思いを抱いていてもおかしな事ではないと感じている。


「あのね、スティル。あなたが反抗したくなる気持ちも分かるわ。あなたは今そういう年頃だものね。でも、きっといつかウェルグ君と結婚してよかったと思う日が来るわ。さあ、彼を迎える準備をしなさい」


 母さんは明言するのを避けた。これ以上この話をしたくはない、という母さんの気持ちがひしひしと伝わってくる。この手の話をすると、母さん自身が惨めな気持ちにでもなるのだろう。私は黙って母さんの部屋から出ていった。

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