いい兄さんの日特別編

 私の兄さんは、少し――いや、だいぶ――誤解されやすい。常に人を馬鹿にしているだとか、見下しているだとか思われやすい。思われやすいというか、事実、人を馬鹿にしているし、見下している。だから偉そうにしているとも思われやすいが、それは事実ではない。兄さんは自分にも他人にも厳しいだけだ。


 そんな奴の妹は、さぞかし兄から酷い目に合わされているのだろうと言う人もいる。これは完全に勘違いだ。事実無根の出鱈目で、兄さんの事を全然知らない人が吹聴した嘘っぱちだ。だって私は、兄さんに愛されているのだから。もちろん私も兄さんを愛している。だから兄さんの事をよく知らない人の為に、兄さんのいいところを幾つか上げようと思う。


 まずは金色の瞳。猛禽類を思わせるその目付きは、兄さんに初めて会った人は睨まれているのかと感じる程鋭い。そのせいで先述したような事を色々言われる。


 でも、いつだって誰かを震え上がらせるような目付きをしている訳ではない。


 兄さんが興味を示すようなもの――例えば珍しい植物だとか、魔法薬の調合に使えそうな生き物だとか、分解もしくは解剖しても構わないようなものだとか――を見つけた時は、その瞳は黄金に輝く。兄さんは知的探求心が強いから、気になったものは何でも調べようとする。何か新しい事が分かるとその瞳は喜びに満ちたものになる。一から自作した魔法薬の調合に成功したり、上手く分解なり解剖なりできた時も同様だ。


 そして何よりも、私を見る時の兄さんの瞳は慈愛に満ちたものになる。その時の兄さんの瞳は、蜂蜜の様に甘く感じられるのだ。同じ色の瞳で兄さんを見つめると、それに気づいた兄さんが目を細めてふっと笑う。私達の間に流れる空気は雲の様に柔らかい。他の人では作り出す事のできない、私達だけの空間。私に見つめられた兄さんが何を思っているのかは知らないが、私は兄さんに見つめられると満ち足りた気分になる。これは兄さんにしかできない事だ。


 次は口。大抵の人は、兄さんの口からは罵詈雑言しか出てこないと思っている。それはその人が馬鹿だから仕方のない事だし、罵詈雑言を吐いている時もあるからそれは否定しない。


 しかし相手が、兄さんが会話可能と判断した人物――何かしらの研究者だとか専門家といった、知識が豊富にある人や、兄さんの突飛な発想についていける人、もしくはもっと基準を下げると馬鹿な事を言わない人――の場合、罵詈雑言は吐かない。当たり前の事だが、相手に失礼だからだ。そうした相手とはちゃんとした会話をする。でも「いいお天気ですね」とか、そんなくだらない世間話はしない。天気に関係のある話をするなら別だが。


 だがそうした相手とでも交わさない会話がある。言うまでもないが、彼らは兄さんの妹ではないからだ。


 兄さんは時々、私にだけ弱音を吐く。いつも気を張っている兄さんだが、四六時中気を張っていたら兄さんだって疲れてしまう。そんな時、兄さんは私を、私だけを頼る。兄さんは私を抱き締めながら――私は兄さんを抱き返しながら――ぽつりぽつりと失敗した事を話す(ちなみに他人に辛く当たって嫌われた事は失敗に入らない。魔法薬の調合に失敗したとか、私と魔法の練習をしている時に私に怪我をさせてしまったとか、そういう類いの話だ)。そして私はこう返すのだ。兄さんなら大丈夫だよ、いつか必ず成功するよ、と。もしくは私なら大丈夫だよ、と。私の言葉に安心した兄さんは、ありがとうと言って私の頭を撫でる。兄さんに馬鹿にされた事しかない人が見たら、きっとよく似た別人だと思う事だろう。奴らは兄さんが感謝の言葉を知らないと思っている。でも兄さんだってありがとうと言う時はあるのだ。主に私に。


 それに兄さんの声は、声変わりしてから低くて落ち着きのある声になった。兄さんの声に耳を傾けているだけで私の心は穏やかになる。兄さんが落ち着いている状態の時に――要するに私といる時だ――戯曲や詩の朗読をさせると、深い海の底にいるような気分になる。つまり、何と言うか……気持ちよく眠ってしまう。ふと気がつくと私の身体には毛布が掛けられ、兄さんは静かに本を読んでいる。私が起きた事に気がつくと、兄さんは深く優しい声でおはようと言う。私は途中で寝てしまった事を恥じ入るが、兄さんは気にするなと言って、続きを朗読するか否か尋ねてくる。私は続きを頼む時もあれば、頼まない時もある。続きを頼んだ時は今度こそは寝ないように気をつけて、頼まない時は私も何か本を読んだり、本を読んでいる兄さんを眺めたりする。


 そう。だから、そんな兄さんの心の広さや優しさも忘れてはいけない。兄さんの事を心の狭い嫌味な奴だという人は数え切れない。大抵の人に対して兄さんは冷たい態度を取るから無理もない話だが、何故そういう態度を取るのかはもう書く必要もないだろう。でもだからこそ、兄さんの私に対する心の広さや優しさが際立つというもの。兄さんは私を愛しているのだから、優しくするのも当然の事。時には厳しい時もあるが、それは私を想っての事だと理解している。それも一種の優しさだ。私が失敗しても、成功するまでそばで支えてくれる。成功すると、優しく褒めてくれる。私はそんな兄さんが大好きだ。




「何をそんなにワタシの顔をじっと見ているんだ、スティル」


 座って本を読む兄さんの顔を眺めていたら、不思議そうな顔をして兄さんが訊ねてきた。


「ううん。別に、何でもないよ」


「何かあるから見ていたのだろう。何か用があるのか?」


「本当に何でもないよ。ただ……」


 私は少し恥ずかしくなって俯いてから答えた。


「私の兄さんは素敵だなって、思ってたの」


 兄さんはふわりと笑みを浮かべ、ありがとうと言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る