第33話 観劇のお誘い
「ウェルグ様、本当に申し訳ございません。あんな事になるだなんて思わなかったものですから……」
廊下を少し歩いた所で、私は再度彼に謝った。身の危険に晒す気は無かったのだから、誤解されては困る。
「いやいや、さっきも言ったけど君が謝る事じゃないよ。そりゃあ驚いたし肝も冷えたけど、彼を怒らせるような事をした僕が悪いんだ」
「そのような事ございません。お兄様が神経質すぎるんですわ……。普段はあんな事しませんのに……」
「それは、やっぱり君の事が心配だからじゃないのかな。僕がセベリンのような振る舞いをして君を悲しませるんじゃないか、って。確かに僕は『セベリン・トラッハ』が好きだけど、それは戯曲の話だ。僕はその後のセベリンの様な振る舞いはしない。誓って約束するよ」
彼が真摯な声で告げた。その顔も、とても真剣なものだった。
「……」
(何で、ここまで真剣になれるんだろう)
彼のその真面目さとは裏腹に、私は一歩引いてそんな事を考えていた。彼が私の事を愛しているから? だがそれだけでこうも真剣になれるものなのだろうか。それが私には分からなかった。私だって兄さんの事を愛しているし、兄さんも私の事を愛しているが、これらの“愛”が全て同じものとは限らない。彼が私に向ける“愛”と、兄さんが私に向ける“愛”は、上手く説明できないが何か違う気がする。それに予想の付かない未来の事など、どうして誓って約束できるのだろう。こうも疑問を抱くのは、私がまだ彼の事をよく知らないからだろうか……。
「あの……無言で見つめられると、ちょっと恥ずかしいんだけど……」
「えっ⁉ あ、も、申し訳ございません!」
気づけば彼は少し頬を赤らめ目を逸らしている。意図的に何も言わず見つめていた訳ではないのだが、そう言われるとこちらも少し恥ずかしくなって俯いた。
(見惚れていた、なんて思われていたらどうしよう……)
何となく居心地が悪い。兄さんの部屋に戻りたい。兄さんに抱きつけば気分も安らぐのに……。
「えーっと、君は、その……僕の事を、どう思っているのかな。まだ友人のまま? それとも、もう少し発展しているのかな」
ああ、やっぱり勘違いされていそうな様子。彼は斜め上を向きながらも、何かを期待するようにちらちらと私の顔を伺っている。
「発展していると、僕としては嬉しいんだけどな……」
恥ずかしそうに恥ずかしい台詞を言うくらいなら、初めから言わないでほしい。
「まだ友人としか思っていませんわ」
「そっか。でも友人と思ってくれるだけでも嬉しいよ」
「……お人好しすぎますわ」
「よく言われるよ」
あはは、と笑う彼を見て、私もなんだか肩の力が抜けた。あれこれと心配するだけ無駄な気がしてくる。
「喉が渇いていませんか? お茶を淹れさせるので、座ってお喋りでもしましょう」
「いいね。さっき戯曲の話が出たからもう少し語りたい気分なんだけど、いいよね?」
「ええ。よろしいですわ」
彼を再度客間に案内し、少し一人で待ってもらって私はヴァンスの姿を探す。今は掃除をしているか、厨房で手伝いをしているかのどちらかだろうかと思ったら、案外近くで掃除をしているふりをしていた。
「……後を付けてたの?」
「あ、あら。後を付けるとはどういう意味でございましょうか」
ヴァンスはあからさまに目を泳がせた。
「私とウェルグの後を付けていたのか聞いてるの」
「そ、そんな事ございませんわお嬢様。私はここのお掃除をしていただけで……」
「その割にはハタキが綺麗すぎるけど」
「う……」
彼女が動きを止めた。ハタキの綺麗さを指摘されては、これ以上の反論はできないだろう。
「もう、何でこんな事してたの」
「わ、私はただ、お嬢様の事が心配なだけでございます……。お嬢様とウェルグ様は婚約者という関係ではございますが、お嬢様にとっては初めてできた異性のご友人でございます。なので私はその関係の行く末を見守る義務が」
「見守らなくていいよそんなの! ……はぁ。もういい。聞いてたなら私が何を頼みたいか分かるよね?」
「ええ、もちろんでございますとも。美味しいお紅茶をご用意いたします」
「うん。お願いね」
彼女の姿が見えなくなるまでその場で待ってから、私は客間に戻った。
「お待たせしました。ヴァンスに紅茶を淹れるよう言ってきたので、もう暫くお待ちくださいませ」
「ああ、ありがとう」
それから私達は紅茶が届くまでの間、戯曲や鑑賞した舞台の感想、舞台俳優の話をして過ごした。
ヴァンスが紅茶を持ってきてからも、その話は暫く続いた。意外にも同じ舞台を幾つか見ており、また彼の話し方が面白いのもあって話が弾んだのだ。
だからその流れで彼がこんな事を言い出すのも自然な事だろう。
「よかったら、今度一緒に舞台を観に行かないかい?」
「ええ、いいですわ」
気分が上がっていた私は即答した。してしまった。
「ありがとう。楽しみだよ」
(あ……)
彼から観劇の誘いを受けた。私はそれを承諾した。つまりそれは、彼と二人で出掛けるという事だ。
(ど、どうしよう……!)
即答してしまった手前、すぐには断りにくい。舞台を観に行くのはいいのだが、彼と二人で……? 今日でやっと彼と一緒にいる事に慣れてきたのに、いきなり二人で……⁉
「あれ。どうかしたかい? やっぱり駄目、かな……?」
「あ、いえ、その、えっと……」
焦りが顔に出てしまっていた。
「一緒に、というのは……二人で、という事、でしょうか……」
「そのつもりだけど……ああ、二人で出掛けるのは、まだご両親が許さないかな」
父さんも母さんも、私が彼と二人で観劇に行くと言ったら止めずに「いってらっしゃい」と言いそうな気がする。許さないのは兄さんだけだろう。
「それとも、僕と二人きりになるのは不安かい? だったら他にも誰か誘って」
「ならお兄様を……あっ」
口を抑えてももう遅い。考えるよりも先に言葉が出てしまった。
「え……えっと、僕と、君と、ロクィルの三人で、って事かい……?」
彼がこの答えを予想していたかどうかは顔を見れば分かる。私の予想外の答えに困惑している。婚約者との外出に兄を同伴させるなど、普通はしない。彼はきっとヴァンスを指名すると思っていた事だろう。
「い、今のは忘れてくださいまし! ふ、ふた、二人で、だ、大丈夫でございみゃ……ございます!」
兄さんと舞台鑑賞するなら、それこそ兄さんと二人きりでしたい。ウェルグがいても邪魔なだけだ。
「ほ、本当に大丈夫かい? 君が彼を誘いたいって言うなら、構わないけど……」
「本当に大丈夫でございます! その、お兄様がいらしたら、ウェルグ様はご気分を害されるかもしれませんし……」
観劇後の馬車の中、彼が感想を述べたら兄さんがそれに反論する姿がありありと目に浮かぶ。絶対にこの二人を一緒に観劇させてはならない。誰にとっても良い結果にはならない。
「別に気分を害する事にはならないだろうけど……でも、君が僕と二人でも大丈夫だって言うなら、僕はその方が嬉しい、かな」
口では否定しているが、今まさに気分を害していそうな顔で彼が言った。
「だ、大丈夫です! きっと両親も大丈夫だと言うはずでございます!」
失態を犯した恥ずかしさで顔が赤くなってきたのを感じる。
「そうかい? なら二人で行こうか」
彼はまだ疑うような、心配するような顔を向けてくるが、これ以上は追及してこなかった。代わりに、いつ行くのか、何を観るのかを二人で話し合い、今丁度『花鳥の一生』を上演している劇場がある、と彼が言うので来週それを観に行く事となった。
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