第32話 戯曲談議②

「ではキミの好きな戯曲は何だ?」


「え? 僕? 僕の好きな戯曲は『セベリン・トラッハ』だよ。僕はああいう喜劇が好きだな」


『セベリン・トラッハ』はカタ神話の英雄の一人、セベリン・トラッハの人生を描いた喜劇だ。魔王討伐隊に選ばれたセベリンの雄姿や、彼が一途に想いを寄せていた女性イレストラとの恋愛模様を描いた話。戦で大活躍した後イレストラと結ばれるので非常に人気が高い一作。セベリンを演じた舞台役者は一生金に困る事が無い、と言われる程公演数も報酬も多い。だから兄さんがこう呟いても私は納得してしまう。


「……面白味に欠けるな」


 心底つまらなさそうに言う兄さん。


「だいたい、あの作品はセベリンがイレストラと結ばれる所で終わるが、実際のセベリンはその後複数の女性とも関係を持っているではないか。綺麗に見える部分だけを切り取った作品の何がいいんだ」


 嫌悪感を露わにして文句まで言ってきた。だが私も兄さんの言い分は分かる。いくらそういう時代だったとは言え、イレストラが可哀想だ。


「でも、物語ってそういうものだろう? 面白い部分を見て面白がる。それで楽しい気分になるならいいじゃないか」


 ウェルグは反論したが、それで引き下がる兄さんではない。


「ならばキミは、スティルが何故『花鳥の一生』を好むのか、その理由を当てられるか」


「え? 理由?」


 唐突な質問に、暫し考え込むウェルグ。頭を悩ませ、うんうん唸り、何か閃いたのか、はっと顔を上げた。


「花鳥の夫は死んでしまうけど、その後周りから再婚を勧められても、どんな男に言い寄られても、決して承諾せず一人で生きて生涯を終えたから、かい?」


 彼の回答に、私は「ええ」と頷いた。


『花鳥の一生』も実在した魔女、ヘリュース・セルガルドを主人公にしている。花のように美しく、鳥のように軽やかに空を飛ぶ事から通称“花鳥”と呼ばれていた彼女は、夫を若い内に亡くしてしまう。若く美しい彼女の元には連日のように結婚の申し出が来たと言われているが、彼女は「生涯の夫はただ一人のみ」と言って断った。そのせいで酷い扱いを受ける事もあったが、屈する事無く己の人生を生き抜いた彼女の気高さが私は好きだ。再婚すればよかったのに、と言う人は何も分かっていない。


「まさか君は、僕が他の女性と関係を持つんじゃないかと疑っているのかい⁉」


 自分を馬鹿にされたとでも思っているのだろう。彼は顔を赤くして兄さんに言った。


「いくら何でも、それは失礼だろう! 僕はスティルを、彼女だけを愛しているんだ!」


「セベリンも似たような台詞を劇中で吐いているが、実際の彼は複数人の女性と関係を持っていた。大切な妹の婚約者が同じ様な人物であるかどうか見極める事の何が悪い」


「ぐっ……」


(さ、流石兄さん……!)


 好きな戯曲の話からここまで持ってくるなんて、私にはできない手腕だ。こうした話をしてほしくてウェルグと会話させた訳ではないけど、細かい事はこの際置いておく。


「スティルがスティルの意思でキミと結婚してもいいと言うのなら、ワタシは止めはしない。だがその相手が他の女性とも関係を持ち、スティルを悲しませるような人物であれば、ワタシは何の呵責も無くキミを亡き者にする」


「……っ!」


 兄さんはその言葉が嘘ではない事を証明するかのように、部屋に置かれている刃物類を一斉に彼に向けた。流石にこれには私も肝を冷やした。兄さんは本気だ。彼が信用に足らない人物であれば、兄さんは本気で殺す気だ。


「ぼ、僕は、絶対に、彼女を悲しませる事はしない。今までだって、数人の女性から婚約を申し込まれたけど、全て断っている。僕は……彼女だけを、想っているから」


 一言でも間違えれば殺される。そんな緊張感の中で彼は宣言した。


「僕は、彼女以外の女性には、興味が無い」


 兄さんが鋭く彼を見据える。


「言葉だけならどうとでも言える。キミのその発言が嘘ではないという証拠は無い」


「だったら、生涯を掛けて嘘ではないと証明してみせるさ」


「……ふん」


 兄さんは彼に向けていた刃を元に戻した。


「よくそんな歯の浮く台詞が吐けるな」


 先程までの剣呑な空気が嘘のように、兄さんは呆れた様子で言った。私とウェルグは揃って安堵の溜息をつく。


「お兄様。幾ら何でも今のはやりすぎです」


「ああ、そうだな。お前まで巻き込んでしまってすまない。だがこれで奴の本気度合いが分かっただろう」


「もう。こんな事をしてほしくて引き合わせたのではないと言っているんです! 申し訳ございません、ウェルグ様。危険な目に合わせてしまって……」


 流石にこれは謝らねばいけない。私もこんな展開になるとは思っていなかったのだ。


「いや、謝らなくていいよ。彼の言い分ももっともだ。僕だって妹達の結婚相手が浮気者だったら許せない。ロクィル。君の気持ちは僕も分かる。むしろ、その気持ちに気付かせてくれてありがとう」


 彼は緊張が解れ、晴れ晴れとした顔で兄さんに礼を述べた。お人好しすぎて心配になる。


「分かればいい」


(その過程がよくないよぉ……)


 できればもう少し普通の会話をしてほしかったのだが、兄さんにそれを求めようとしたのが間違いだったのかも……。でも一応お互いの好みもなんとなくは分かっただろうから、そこはよかったのかもしれない。


「ところで、他にも何か会話をした方がいいのか?」


 兄さんが私を見やる。他の会話……。


(これ以上はやめておいた方がいいかも……)


 また危ない状況になっても困る。私は、今日はこれだけでいい、と兄さんに伝えた。


「そうか。まぁ、また何かあれば彼を連れて来ても構わない。存外楽しめたからな」


 楽しんだのは兄さんだけな気もする。だがそれは言わず、私とウェルグは兄さんの部屋を後にした。

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