第31話 戯曲談議①

 暫くすると扉が開き、生臭い匂いと共に不機嫌そうな顔をした兄さんが出てきた。


「何故こいつを連れて来た」


「ウェルグ様もお兄様とちゃんとお話をすれば、お兄様の良さを分かっていただけると思ったからですわ」


「えーっと、そういう訳で、彼女がここまで連れて来たんだ」


 兄さんは私を見て、それからウェルグを睨み、はぁと溜息をついた。


「お前がそう言うのであれば、会話してやろう。場所を移すぞ」


 兄さんが私達の横をすり抜け、足早に進んでいく。私はすぐにそれに続いたが、呆気にとられた顔をしていたウェルグは少し遅れてついてきた。


 やってきたのは兄さんの部屋。魔法薬を作る為の道具や、医療器具、作りかけの何か等がきっちりと整理されて棚に並んでいる。初めてこの部屋を訪れるウェルグは物珍しそうにぐるりと見回して呟いた。


「意外と綺麗な部屋だね」


「意外と、とは何だ。スティルが会話をしろと言うからキミをここまで連れて来たが、そうでなければ屋敷の外に追い出しているぞ」


「あ、ごめん。その、ほら、さっきの部屋があんな所にあったし、変な臭いもしたから、キミの部屋も似たような感じなのかと……」


「そうならない為に部屋を分けているんだ。それに整理されていなければ、必要なものが必要な時に取り出せないだろう。これ以上馬鹿な事を言うのであれば、いくらスティルの頼みと言えど即刻キミを放り出すぞ」


「う……ごめん、気をつけるよ」


 やっぱりこの二人を会話させるのは無理があっただろうかと心配しつつ、私はとりあえず座るように勧めた。この場は私が取り仕切らないといけない気がする。


「それで? 何を話せばいいんだ?」


 兄さんが愛用の椅子に座りながら私に訊ねた。ウェルグの方は見ようともしない。


「えっと……」


(どうしよう……肝心な部分を何も考えていなかった……)


 兄さんとウェルグでは、一体どんな話なら会話が続くのか。まるで見当もつかない。


「好きなものの話、とか……」


「ワタシは兄としてお前を愛している。以上」


「……」


「……」


 表情一つ変えず私を見つめながら言い切った兄さんの言葉に、私は顔を赤くし、反対にウェルグは青くした。


(兄さん、何で今そんな事を言ったの……⁉)


 兄さんが私の事を愛しているのは知っているけど、それを今彼の前で言う必要は無い。それに普段の兄さんであれば人前でこんな事を言わない。兄さんが一体何を考えてこんな事を言ったのか、全然分からない。


「に、兄さ、お兄様。あの、そういう話ではなく……」


「ぼ、僕だって彼女の事を愛してる!」


「⁉」


 何故か対抗する様にウェルグも言ってきて、私は目を丸くした。


「ずっと一緒に育ってきた君には負けるだろう。でも、愛しているからこそ、婚約者にしてほしいと君達のお父上に頼み込んだんだ。君は彼女の意思を無視していると非難するだろうが、それでも今、僕は彼女に認めてもらえるよう僕なりに努力している」


 いつになく真剣な顔で彼が訴える。兄さんも真剣な表情を彼に向ける。そんな二人を見て、私は鼓動を速くさせる。


(どうしよう……本当にどうしよう。こんな展開になるなんて……。好きな料理とか、好きな本とか、そういう話ならちゃんとした会話ができるかもしれない、と思って好きなものの話を振ったのに……)


 兄さんが急に変な事を言うから……。もしかして兄さんはわざとあんな事を言ったのだろうか……。もっと別の話題を振っていれば……。私の頭の中で、答えの出ない考えが渦巻く。


「あ、あの、ウェルグ様。お兄様に対抗なさらなくても……」


「ではキミは、スティルの一番好きな戯曲を知っているか」


 私の弱々しい訴えは聞いてもらえず、兄さんは更に話を展開しようとする。兄さん何で今私の好きな戯曲の話を持ち出すの。


「彼女と戯曲の話をした事はないけど……もしかしたら『花鳥の一生』かい?」


「え、ええ……。そうですわ」


 答えを確認するようにこちらを向いてきた彼に、私は曖昧に頷く。何で当てるの……?


「ああ、やっぱり。あの作品は好みが分かれるけど、根強い人気があるのは確かだ。君は誰もが好きな作品よりも、そうした作品の方が好みだろうと思ってね。それにこの部屋の本棚にも『花鳥の一生』があるが、他の戯曲よりも背表紙がボロボロになっている。何度も読まれている証だ。兄妹二人で好きなのかい?」


 彼は朗らかな笑顔を浮かべて私と兄さんを交互に見る。彼の観察眼は大したものだ。兄さんも驚いたように目を見張っている。しかし彼の言っている事はあながち間違いではないのだが……。


「確かに私もお兄様もその作品が好きですが、この部屋にある『花鳥の一生』の本は元々私のものです。頁がバラバラになってしまう程ボロボロになってしまったので、お兄様の本と交換したんですわ。お兄様が一番好きなのは……」


「『スザルト』だ」


 これを聞いたウェルグは絶句した。


「あれを好きだと言う人がいるなんて……」


 彼がこう漏らす気持ちも分かる。『スザルト』は登場人物の大半が暗澹たる運命を辿る、絶望の物語だ。一度だけ劇場で見たが、希望も何もない内容で私はあまり好きになれなかった。だが兄さんはいたく感動した様子で静かに涙を流していた。兄さん曰く、これは掴み損ねた希望の物語なのだそうだ。ちょっとしたすれ違いが小さな溝を生み、それを埋めようと藻掻くがまたすれ違いが起きて溝は更に深まる。誰も事態を悪くしようとはしていないのに誰にとっても悪い方向へと向かってしまう。普通は何処かで事態を好転させるが、それをしないから良いのだと劇場から帰った後に兄さんから熱弁された。兄さんには悪いが、こればかりは賛同しかねる。私はたとえ幸せな結末を迎えられずとも、希望の残る物語の方が好きだ。ちなみにスザルトというのは主人公の男性の名前。


「あれを一番好きな戯曲に上げる奴は稀だから、キミのその反応も大目に見てやろう。それにワタシの『スザルト』は劇作家のサイン入りだからな。厳重に保管してあるから見つけられずに当てられないのも無理もない」


 得意気に兄さんが言った。劇作家本人のサインは、家族で『スザルト』を観に行った翌日に兄さんが一人で劇場まで行って貰ってきた。本人の前でも熱弁したら「こんなにも熱量を持って語る人が出てくるとは思わなかった」と困惑させてしまったらしい。

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