第34話 劇場へ

「これらを全部付けていけ」


「……えっと、兄さん。心配しすぎだよ」


 ウェルグと『花鳥の一生』を観に行く日の朝。私は兄さんお手製の護身用魔法道具を押し付けられた。指輪に腕輪に首飾りに髪飾り。一見普通の装飾品だが、それら全てが武器にもなるという。


「心配しすぎなくらいが丁度いいんだ。何かあってからでは遅いからな」


「ううん……。彼は何もしてこないと思うけど……」


「奴が何もしなかったとしても、別の誰かが襲ってくる可能性がある。そういう時は容赦なくこれを使え」


 と言って兄さんは首飾りを手に取り、鞭のように振るった。すると首飾りは本当に鞭になり、伸びた先端が大きな音を立てて床を叩いた。


「人に向けて振れば足首に勝手に巻き付くようになっている。少し引っ張ってやれば巻き付かれた相手は倒れるから、その間に逃げるといい。それでも駄目だった場合はこの指輪を勢いよく相手の顔に叩きつけるんだ。これに付いているのは宝石のように見えるが、宝石を模しているだけで中に詰まっているのは魔法薬だ。毒性のある植物を使用して作ったものだから、猛烈な痒みや痺れに襲われる」


 兄さんは説明しながら私の手を取り、指輪を嵌めた。右手と左手に、それぞれ二つずつ。どれも私の指にぴったりと嵌った。元の姿に戻った首飾りも、私の首に掛けられた。腕輪や髪飾りも、兄さんの手によって付けられていく。


「よし。これで大丈夫だ」


 最後に兄さんは私の頭をひと撫でした。


「気をつけて行ってこいよ」


 兄さんは自分で作った魔法道具を私に付けてもまだ安心できないのか、心配そうな顔を浮かべている。私はそんな兄さんを安心させたくて、兄さんを抱き締めた。


「ありがとう。大丈夫だよ、兄さん。彼はそんなに悪い人じゃないし、劇場までは馬車で行くから襲われるなんて事は無いよ。それに今日観るのは『花鳥の一生』だよ。もっと別の言葉を掛けてほしいな」


「……そうだな」


 兄さんは私の両肩に手を置いて私の身体を少し離すと、手を肩から腕、私の手へと滑らせ、その場に跪いた。


「“我が妻ヘリュースよ。私がいない間、寂しい思いをさせる事になるだろう。だがこの赤いリトベリスの花を私と思い、大切にしてくれたまえ。その花が枯れる前に帰ってくると約束しよう”」


「“ええ、分かりましたわ。あなたの燃え盛る魂の様に赤いリトベリスの花を、大切にすると約束しましょう。あなたは必ず帰ってくると信じています。さあ、行ってらっしゃい。ウリビスの悪魔に食べられる前に”。……ふふっ。出掛けるのは私なのにね」


「ふっ。そうだな。それじゃあスティル、楽しんでこい」


「うん。行ってきます」


 セルガルド夫妻が最後に交わした言葉を、これで最後にさせるものかと思いながら二人で諳んじて、私は出掛ける準備に取り掛かった。


 暫くすると、ウェルグが馬車に乗ってやってきた。私もこの馬車に乗り、彼と二人で舞台観劇をする。先程まではあまり実感が無かったが、馬車から降りた彼の姿を見ると妙に緊張してきた。本当にこれから二人きりで舞台を観るのだ。


「やあ、スティル。素敵な首飾りだね」


「ごきげんよう、ウェルグ様。お褒めいただきありがとうございます。お兄様も喜びますわ」


「……え?」


 彼が目を丸くした。


(やってしまった……!)


 兄さんの事を褒められた気分になって、つい口を滑らせてしまった。


「こ、これは、その、お兄様が私の為に作ってくださったものなんですの。ですので、その、素敵だと言ってくださったのが、嬉しくて……」


 兄さんが私の為に作ってくれたものとは言え、その正体は護身用魔法道具だ。兄さん的には彼も攻撃対象に入っている為、彼を前に説明するのが恥ずかしいやら申し訳ないやらで、私の言葉は尻すぼみになっていった。


 しかし彼は私を叱るでも嗜めるでもなく、いつもの朗らかな笑顔を見せてきた。


「へえ、彼が作ったものなのか! それは君に合わない訳がないね。彼にこんな才能もあったとは驚いた。彼に出来ない事はないのかい?」


 多少無理をしている気がするが、それでも兄さんに対して肯定的な事を言ってきた。それが何だか嬉しくて、私の顔もほころんだ。


「お兄様にできないのは、私を傷つける事くらいですわ」


「君はよっぽど彼に愛されているんだね。……って、ここでずっと立ち話していたら舞台に間に合わなくなっちゃうね。さあ、乗って。話の続きは馬車の中でしよう」


 イズヴェラード家の紋章のついた馬車に乗るのは少し気が引けるが、そんな事で駄々をこねても仕方がない。私は彼と共に馬車に乗り――予想はしていたが隣同士で座る事になった――劇場へと向かった。


 二人きりで尚且つ至近距離にいるので、初めこそ彼に呼吸をしているのか心配される程緊張していたが、兄さんがくれた腕輪に触れていたら段々落ち着いてきた。腕輪自体に気分を和らげるような魔法は掛かっていないが、兄さんがついていると思うと安心できたのだ。


 それからは彼と互いの近況を話し合った。彼は話し上手で、身の回りの出来事を面白おかしく聞かせてくれた。彼の妹達が魔法の練習をしている所に通りかかったら、的を外れた魔法が彼に掛かって身体が小さくなってしまい、夕食までそのままだった話は笑わずにはいられなかった。


「僕にとっては全然笑い話じゃないんだけどな」


「ですが、手のひらに乗ってしまう程の大きさだなんて……ふふ。きっと可愛らしいお姿だったんでしょうね」


「まぁ、妹達には小さいままでよかったのにって言われたから、女の子には可愛く見えるのかもね。でも僕はもうこりごりだよ。あんな大きな虫を見るのは二度とごめんだ」


 そう言って彼は顔を顰めた。


 また彼は聞き上手でもあり、話下手な私からするすると話を引き出した。


「昨日は、編み物をしていましたわ」


「へえ。何を編んでいたんだい?」


「手袋を編んでいましたわ。冬が来る前に沢山編んでおかないといけないんですの」


「沢山? もしかして、使用人達の分も編んでいるのかい?」


「いいえ。お兄様用ですわ。お兄様ったら、すぐ血で汚すんですもの……」


「そ、そう……」


 こればかりは彼も二の句が継げなかった。


 他にも色々な話をしていると、やがて劇場に到着した。劇場の前には既に何台もの馬車が停まっており、何人もの紳士淑女が劇場内へと歩を進めている。


「僕達も行こうか」


「ええ」


 私達も馬車から降りて、入口へ向かった。

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