第18話 クルニア対決②
兄さんは普段私には向けないような――つまり普段は他人に向けるような――嫌味を含めた笑みを浮かべた。
「遠慮する必要は無い。魔法の効果範囲内に王の駒を進めたのはワタシだ。ワタシの軍を壊滅させるがいい」
兄さんにとっての“大抵の場合”は、それでも壊滅しない事を自分がよく知っているくせに、こんな事を言う。兄さんは狡い。
王を倒すか、倒さないか。道は、二つに一つ。
(本当に?)
本当にそうか? 炎の魔法使いに王を倒させるだけか? 今ここで倒さずに別の駒を進めさせるだけか? いや、違う。兄さんは「壊滅させるがいい」と言った。一手で壊滅させる方法がある。水の魔法で盤上に津波を起こしたように、炎の魔法で盤上を焼き払えばいい。魔法使いの駒は一度だけ全体魔法を使う事ができる。だが公式試合のルールでは威力が決められている。全体魔法を使っても、倒せる相手の駒は一体のみと決まっている。他の駒はせいぜい後退するくらいだ。一度の魔法で全滅させては“つまらない”から。だが、今は公式試合ではない。公式試合でなくとも普通はそのルールに従うものだが、兄さんはその常識を捨てろと言っている。
何処かの誰かが勝手に決めた事を壊す意思を持て。
(そういう意味でいいの、兄さん)
私はゆっくりと深呼吸した。
「燃やせ」
炎の魔法使いは私の命令に従い、盤上を燃やした。自分の周りから相手側に向かってどんどん炎が広がっていく。炎は兄さんの王を、騎士を、回復の魔法使いを追い回す。駒達は炎から逃げるように盤の隅まで来たが、そこに逃げ道は無く、無情にも炎に飲み込まれた。
ただ、炎の魔法使いを除いて。
「……」
王を失った兄さんは、駒に命令を出す事はできない。だが、それなのに、兄さんの炎の魔法使いは全体魔法を使い、私がやったよりも素早く私の軍を壊滅させた。
「惜しかったな」
何の感慨も抱いていない声で兄さんが言った。
「同じ属性の魔法使い同士では、プレイヤーの精神力で勝敗が決まるようなものだ。少しでも迷いがあれば、それだけで負ける時もある。お前が全体魔法を使わせるまでに何を考えていたのかは知らんが、迷いが生じていた事はお見通しだ。目が泳いでいた。ムルとかいう奴の言葉を信じるか否かはお前の好きなようにすればいいが、迷うくらいなら破壊するのは止めておけ。却ってお前が傷つく羽目になるぞ」
「……」
私は俯いて、膝の上に乗せた両手をぎゅっと握りしめた。一緒に掴んだスカートに皺が寄る。
兄さんは駒達に修復魔法を掛けながら溜息をついた。
「お前は周りの声に振り回され過ぎだ。たまには自分の声に耳を傾けてみろ。他者がこう言うから、ではなく、自分はどうしたいのかを考えてみるんだ。自分がしたいと思う事をやってみろ」
「……できないよ」
「?」
「そんな事言ったって、兄さんみたいに何でもかんでもはできないよ……。させてもらえないんだもん……」
「あ……。……そうだな。すまない」
兄さんは気まずそうに顔を逸らした。
兄さんはやろうと思えば大抵の事は“させてもらえる”。今でこそ父さんに無理矢理退学させられてしまったが、魔法医術学校だって兄さんが入りたいと言ったから入れさせてもらえた。でも私が入りたいと言っても入れさせてもらえない。私が女だから。兄さんの意思は汲んでもらえる事が多くても、私の意思は汲んでもらえない事の方が多い。それに、私は兄さんとずっと一緒にいたいのに、兄さんは無理だと言う。それなのに自分がしたいと思う事をやってみろと言うだなんて。
本当に、兄さんは狡い。
「私も男に生まれていれば、兄さんみたいに何でもかんでもできたのに……。スティルなんて名前をつけられて、そのせいで沢山嫌な思いをする事も無かったのに……」
男に生まれていれば、もしくはスティルと名付けられていなければ、勝手な期待を抱かれる事も無かっただろう。息苦しい思いをする事も……。
「私は兄さんと一緒にいたい。兄さんみたいに色んな事を学びたい。この家を抜け出して、兄さんと世界中を旅して回りたい。他人の前で、淑女らしく振舞うんじゃなくて、自分らしく振舞いたい。でも知らない人の前だと緊張して、自分を守るのに精一杯になる。名前がスティルだからってだけで勝手に期待された時は特にそう。兄さんみたいに強く言い返したくても怖くてできない」
「……すまない。お前の気も知らずにあれこれ言ってしまった」
「ううん、いいの。……兄さんのせいじゃないから」
「いや、ワタシのせいでもあるだろう。……詫びと言ってはなんだが、明日、二人で出掛けないか?」
顔を上げると、兄さんは私にだけ見せる笑みを浮かべていた。
「一日だけでは世界中を旅する事はできないが、お前が訪れた事の無い場所に連れていってやる」
「……いいの?」
「ああ。ワタシも最近屋敷に籠ってばかりいたからな。何処かへ行きたい気分なんだ。それにたまにはお前と二人きりで過ごしたい」
優しい笑顔を浮かべる兄さんを見て、私は少し恥ずかしくなってまた顔を下げた。
「……駄目か?」
「ううん。嬉しい。明日、絶対だからね」
「ああ」
兄さんは立ち上がると私の頭をわしゃわしゃと撫でてから部屋を後にした。
(私も、狡いな)
私が我が儘を言えば、不満を漏らせば、兄さんは私に優しい言葉を掛けてくれる。その兄さんの優しさを利用した。
私も、狡い人間だ。
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