第13話 彼の優しさ

「優しそうなお婆様ですわね」


「うん。僕は軟弱だなんて言われてしまったけど、それでも大好きで大切なお婆様なんだ。僕が小さい頃は、よくお婆様からカタ神話の話を聞いてね。君も見ただろう、スティル様のタペストリーを。お婆様はカタ神話の神の中でも、スティル様を特に信仰しているんだ。皆を照らす、まさに太陽の様なお方だっていつも言ってる」


「……ウェルグ様。もしかして、私を婚約者に選んだのは、お婆様の為でもあるんですか?」


「うん……実は、それもある。お婆様は足を悪くしてからなかなか外に出られずにいるから、日の光を浴びるのだって、ああやって部屋の中からだ。本当は外に出て太陽の光を浴びたいんだろうけど、それも叶わないから……。だから、家の中で太陽を見てもらえたら、と思って……」


 彼は気恥ずかしそうに視線を彷徨わせた。


「そう、なんですのね……」


 この縁談は親同士で勝手に決めたものだと思っていたが、祖母想いな彼の意思も介入していたのか。とは言え、当事者であるはずの私の意思は存在しないものとして扱われているが……。だが、彼にも人を思いやれる気持ちが多少はある事は理解した。


「ウェルグ様にも、お優しい所があるんですのね」


「そう言われると、ちょっと照れるな」


「今のは皮肉ですわ。お婆様には優しくされていても、私の意思は無視しているんですもの」


「手厳しいね……」


 そんな会話をしながら廊下を歩いていると、後ろから聞きなれた声が聞こえてきた。


「お嬢様! こちらにいらしたのですね」


 振り返ると、ここに来た時に玄関扉の横に控えていた使用人と共にヴァンスがいた。


「ヴァンス!」


 少し心細さを覚えていた私はヴァンスに駆け寄った。それを見たヴァンスは「あらあら」と言いつつも私に歩み寄った。


「イズヴェラード家の皆様とのお食事はいかがでしたか?」


「それは……ちょっと、ここでは言い辛いわ」


 言い辛い、の一言だけで色々と察したヴァンスは「左様でございますか」とだけ言って話題を変えた。


「先程までは何をなさっていたんですか? 私もこちらの使用人の皆様とお食事を頂いた後、お嬢様に合流しようと思っていたのですが、お姿が見当たらず……。それで、こうしてこちらのホーレーン様にお屋敷の中を案内していただいていました」


 ホーレーン、と呼ばれた使用人の男性がこちらを見て頭を下げた。


「私は食事の後、ウェルグ様と薔薇園を散策していたわ。それから、お婆様のサマリオ様のお部屋に行ってご挨拶をしてきたの。……優しそうなお婆様だったわ」


「それはようございましたね」


「……ええ」


 私のお婆様は私が幼い頃に亡くなってしまったから、どんな人だったかはよく覚えていない。サマリオの様な、優しくて、温かいお婆様だったのだろうか……。


「スティル。この後はどうする? 彼女も交えて、屋敷の中を僕が案内しようか?」


 ウェルグが後ろから近付いて声を掛けてきた。薔薇園にいたのもあって屋敷内は見回っていないが、今から案内してもらうと、そのまま夕食もここで……となりかねない。あの息苦しさを一日で二度も味わいたくはない。


「本日は、これでお暇させていただきますわ。ご案内していただき、ありがとうございました」


「そう、分かったよ。こちらこそ、今日は来てくれてありがとう。君の誕生日にうちの薔薇園を案内できてよかったよ。またいつでも遊びに来て」


「ええ。ウェルグ様も、また私の屋敷にいらしてください」


「う……うん。そうだね。近いうちに、また行くよ。君の家の庭も素敵だったからね」


 私が言うと、彼は少し息を詰まらせてから答えた。前回来た時の嫌な記憶でも蘇ったのだろう。


「それじゃあ玄関まで案内するよ」


「よろしくお願いしますわ」


 ウェルグの後に続いて、私とヴァンス、そしてホーレーンが歩き出した。幾つかの扉を過ぎたあたりで、ヴァンスがあっと声を上げた。


「ホーレーン様。お花を置いたお部屋はどちらでしたでしょうか」


(そう言えば……)


 ここに来た時にウェルグから渡された花束。それを私は食堂へ行く前にヴァンスに預けたが、今ヴァンスは花束を持っていない。


「ご案内致します。ウェルグ様、少々失礼致します」


 ホーレーンが口を開いた。初めて彼の声を聞いたが、低く、深い声だった。ウェルグが「ああ」と答えるとホーレーンはヴァンスを伴って、少し前に通り過ぎた扉の中に入った。


(また二人きりになってしまった……)


 大して親しくもない人間と二人きりになった時の何とも言い難いこの空気感が、私はどうにも苦手だ。しかしウェルグはそんな私の事など意に介さず話し掛けてくる。


「今日はどうだったかな。少しでも楽しんでくれたかい?」


 私の目を見ながら、にこやかに。その表情を見て、私は先程会ったサマリオの顔を思い浮かべた。


(似てる……)


 彼は祖母の事を大好きで大切だと言っていた。小さい頃はよく祖母からカタ神話の話を聞いたとも。彼は、家族の中で一番祖母と過ごした時間が多いのかもしれない。そうでないとしても、祖母と過ごす時間を大切にしている。だからあの老婆の優しさが彼にも備わっている。サマリオとは正反対の性格の兄さんと過ごした時間が長い私には、備わっていないものが。


「あ……楽しく、なかったかな」


 何も言わない私を見て、彼はまた私を怒らせたとでも思ったのだろう。表情に焦りが見え始めた。楽しくなかった、と言ったら彼はまた謝るのだろうか。でも……今日はこれ以上、彼の優しさを無下にする必要も無い。


「薔薇園はとても綺麗でしたわ。お婆様も素敵な方でした。……食事以外は、楽しかったです」


「あれは……本当にごめん。後で皆に気をつけるように言っておくよ」


「ええ、お願いしますわ。それと……あなたが思ったよりも悪い人ではないと判明したのも、いい収穫でした」


「え……? 僕、悪い人だと思われてたの?」


「勿論ですわ。最初に出会った時、お父様もですが、あなたも私の事をまるで美術品であるかのように扱ったので、ろくでもない人間だと思いましたもの。ですがここに来て、あなたの言動と、お婆様を見て、悪い人ではなく、悪い部分もあるけど、優しい部分もある人だと分かりました」


「えーっと、褒め言葉として受け取ればいいのかな……」


「褒めていませんわ。……ですが、悪い人ではないなら、友人にならなれると思います」


「……」


 ウェルグは面食らったような顔をして、それから次第に笑顔になっていった。


「ありがとう。これからは友人として、よろしく頼むよ」


 こんな事で嬉しがるなんて、本当に変わった人だ。


(いや、本当に変わっているのは、きっと、私の方……)


 だって、普通はそう言われたら喜ぶものなのだから。


「ウェルグ様、お待たせ致しました」


 低い声に釣られてそちらを向くと、ホーレーンと花束を携えたヴァンスがいた。心なしか、二人共何やら含みのある笑みを浮かべているように見える。


(……聞かれてた)


 少し恥ずかしい。


「お嬢様、どうぞ」


「ありがとう、ヴァンス」


 ヴァンスから花束を受け取る。明るい色の花束。きっとこれも、太陽だ。


「ウェルグ様、本日はありがとうございましたわ」


「ああ、どういたしまして。それじゃあ玄関に行こうか」


 再度四人で歩き出した。さっきよりも、少しだけ空気が温かく感じられた。

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