第12話 婚約者のお婆様
それからはウェルグの案内で薔薇園を歩き回った。薔薇園はとても綺麗なものだった。何種類、何色もの薔薇が見事に咲き誇り、迷路の様に植えられている。
「綺麗に咲いている時に君に見せられてよかったよ。君もどこか嬉しそうだしね」
「そ、そうでございますか?」
「うん。少し前までは気を張り詰めたように見えていたけど、今は心に余裕があるように見える。君は花が好きなんだね」
「ええ……」
意外と彼は観察眼が良いのかもしれない。それとも私の感情が分かりやすく顔に出ていたのだろうか。
「僕もこうやって花を眺めているのが好きなんだ。どれも同じように見えるけど、一つ一つ個性があるし、その一つでも毎日同じ顔をしているとは限らない。元気な時もあれば、そうじゃない時もある。花も人間と同じで、一日一日を必死に生きているんだ」
彼は陰で萎れかけている薔薇を見つけ、それに手を添えた。
「この薔薇だって、今こそ萎れかけているけど、ずっとそうだった訳じゃない。綺麗に元気に咲いている時だって確かにあったんだ。そういう、人間の一生を凝縮したような花の一生を見るのが、僕は好きなんだ」
すっと立ち上がった彼が、私に向き直る。
「僕は、君と一緒にそういう一生を送りたいと思っている。楽しい事も、辛い事もある一生を、君の隣で過ごしたい」
「……」
こう言われた時、普通の女性なら嬉しいと思ったり、顔を赤らめたりするのだろうか。でも私はそうした感情が欠落しているのか、それとも彼がそうなる相手ではないからなのか、彼にそうした感情をまだ抱いていないからなのか、私の心には戸惑いが広がっていた。
「ああ、ごめん。こういう発言も失礼だったかな」
何も言わない私を見て、彼は自分の失敗を恥じ入るように目を伏せた。
「いえ、そうではございません……」
「あ、じゃあ、説明が分かりにくかった? 抽象的すぎたかな……」
「いえ、違います。その、何と申しますか……分からないのです。何と返せばいいのか。お世辞でならありがとうございますと言えますが、あなたはそれを望んでいないでしょう? 今の私の素直な気持ちを伝えようとしても、何と答えるべきか悩んでいるとしか言いようがないのです。あなたがどれだけ私の事を想おうと、私はまだあなたの事を婚約者どころか、友人とすら思っていません。そんな相手に今の様な発言をされても、嬉しいとも思わず、ただ戸惑うだけですわ」
そうか、と彼は小さく呟いて、一人で納得したように頷いた。
「なら、君が僕を友達だと思ってくれるまで、僕の気持ちを押し付けるような事も控えるよ。君に嫌われたくはないからね。君と親交を深めるのは随分時間が掛りそうだけど、その分君と分かり合えるようになれば、きっと毎日が楽しいんだろうな。君のお兄さんが羨ましいよ」
「……お兄様は、特別ですもの」
「うん……そうだよね。突然湧いて出た僕よりも、ずっと一緒にいた家族の方が大切なのは、当たり前の事だよ。……そろそろ屋敷の中に戻ろうか。お婆様にはまだ会っていないだろう? 君がよければ、挨拶だけでもしていってほしいんだ。いいかな」
「ええ。勿論いいですわ。案内してくださいませ」
「ああ」
こっちだ、と言って先導する彼に続いて私は屋敷内に戻り、彼の祖母、サマリオの部屋へ赴いた。彼女の部屋の前まで来ると、彼は扉を叩いて声を張り上げた。
「お婆様、僕です。ウェルグです。婚約者のスティル・シュツラウドリーと共に参りました。入ってもよろしいでしょうか」
すると扉の奥から「お入り」というしわがれた声が聞こえてきた。
「ごめん、驚いたよね。でもお婆様は耳が遠いから、大声を出さないと聞き取ってもらえないんだ。さあ、入ろう」
彼が扉を開けると、そこには赤色で統一された暖かみのある部屋が広がっていた。窓の近くに置かれたソファに老婆が腰を掛けて編み物をしている。あれがサマリオだろう。
「こんにちは、お婆様。ご気分はいかがですか」
ウェルグが声を張りつつも優しく問い掛けると、サマリオは編んでいたものを膝の上に置いて、ゆっくりと頷いた。
「ああ、今日は天気が良いからね。調子が良いよ。それよりあんた、隣にいるお嬢さんを紹介しておくれよ」
「ええ、分かりました。彼女はスティル・シュツラウドリーです。以前お話した、僕の婚約者です。……彼女にはまだ認めてもらえていませんが」
苦笑交じりに彼が言うと、彼女は顔を顰めた。
「それはそうだろう。あんたより良い男なんて沢山いるんだから。見てごらんよ。あんたには勿体ないくらい素敵なお嬢さんじゃないか。スティル様と同じ名前だよ。カルバス様くらい豪傑なお方が相手じゃなきゃ、釣り合わないよ」
「カルバス様のようなお方なんて、そうそういませんよ。いたらきっと騎士団に引き入れられて、色んな世界を旅して回っているので結婚どころじゃありませんよ。それを考えたら、こうして長閑な土地で過ごして素敵な人と結婚する方が、平和でいいではありませんか」
「あんたは軟弱だねぇ」
彼女は溜息をついた。
「それよりも、お嬢さん。もう少し近くに来てくれないかねぇ。最近は目も悪くて、遠いとよく見えないんだ。もっと近くで顔を見させておくれ」
「ええ。分かりましたわ」
私は彼女に近寄り、座っている彼女の目線に合うように腰を下ろした。温かな眼差しが私の顔を見つめてくる。
「初めまして、お婆様。私はスティル・シュツラウドリーです」
「ああ、初めまして。私はこいつの祖母のサマリオだ。近くで見ると、もっと素敵じゃないか。良い名前を貰ったねぇ」
「いえ、そんな……私には勿体ない名前です」
「謙遜する事ないよ。私はスティル様にはお会いした事ないが、スティル様は太陽の神だ。だから太陽みたいに温かなお方のはずだ。きっとあんたにも太陽みたいに温かい部分があるんだろう。それだけで十分その名前を名乗る資格はあるよ。その名前のせいで大変な思いをする事もあるだろうが、あんたはそれを撥ね退ける強さを持っているんじゃないかい」
「……ありがとうございます、お婆様」
流石にお年寄りの邪気の無い笑顔で言われては、否定する気も起らず、むしろむず痒い気分になった。室内にはスティル様を描いたタペストリーも飾られている。スティル様を信仰しているからこそ、同じ名前である私にも何か特別な思いを抱いているのかもしれない。それに目が悪いから、というのもあるだろうが、外見だけで判断せず、中身も知ろうとしてくれている。そういう人まで邪険に扱う気は無い。
「さあ、ほら。いつまでもこんな老いぼれと一緒にいたら、あんた達まで老けちまうよ。もうお行き」
「はい、分かりましたお婆様。スティル、行こう」
「ええ。ごきげんよう、お婆様」
私は軽くお辞儀をしてから立ち上がった。
「ああ。ごきげんよう」
別れの挨拶をして、私達は彼女の部屋を後にした。扉が閉められるまで、彼女は太陽の様な笑みを私に向けていた。
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