第22話 クルールィ
もうここでの買い物は止めよう、と兄さんが言うので(これ以上醜態を晒したくはなかったのだろう。気にしなくてもいいのに)、私は兄さんに付いてクルールィのいる場所まで向かった。クルールィは馬留に大人しく繋がっていたが、その周囲にはちょっとした人だかりができていた。皆クルールィの美しさに見惚れるなり評価するなりしていた。クルールィが大人しくしているのをいい事に近づこうとする者さえいたが、一定の距離まで来るとクルールィが威嚇するので近づけない。そんな人垣を掻き分けて兄さんが進んでいくと、クルールィは嬉しそうに鼻面を兄さんに寄せてくるので見物人達は感嘆の声を上げた。
「凄いな兄ちゃん。この馬をどうやって手懐けたんだい?」
見物人の一人が兄さんに声を掛けた。
「大した事はしていない。時間を掛けてこいつの事を理解し、こいつにもワタシの事を理解してもらっただけだ」
と兄さんが答えると、別の一人が訊ねた。
「でもこいつただの馬じゃなくて、魔力を持った魔獣だろ? 時間を掛けただけでここまで大人しくさせられるのか?」
彼の言う通り、クルールィはただの馬ではなく魔獣だ。体内に魔力を宿し、人間と同じ様に、とはいかないが、馬なりの魔法を使う事ができる。
魔獣は通常人里には姿を現さず、自然の中にいる。自分達の住処を荒そうとする人間が現れれば、各々の魔法を使って攻撃する。その為魔獣は気性が激しく、飼うのには向いていないと言われているが、それは相互理解を放棄した奴の言葉だと兄さんは言っていた。だから兄さんはクルールィと相互理解を試みて、結果的に手懐ける事に成功したのだ。
「そうだな。他に何か言うとすれば、攻撃を食らう覚悟が必要だという事くらいだ。後は普通の馬と変わらん」
兄さんはそう言いながら馬留に繋いでいた縄を解き、その場からクルールィを連れ出した。
「他に何か聞きたい事がある奴はいるか? いないのであれば、ワタシ達は行かせてもらうぞ」
「待ってくれ兄ちゃん。行くって、どこに行くんだい?」
最初に質問してきた人が慌てたように言った。ここを通すまいとしているのか、両腕を広げている。何か隠している事でもあるのだろうか。
「キミに行先を告げる必要性は無いだろう」
兄さんは迷惑そうに目を細めたが、それでも見物人の彼は引き下がらない。
「それは、そうなんだが……その……」
「言いたい事があるならはっきり言え」
兄さんが睨みを利かせると、見物人達は互いに顔を見合わせ、何かを囁き合い、それが終わると最初に質問した男が意を決したように頷いた。
「実は、ここから北西に進んだ先にある暗がり森に魔獣が出て、そこを通った行商人が襲われたって話だ。だから俺達、こんな所に大人しく繋がれてるこの魔獣を見て驚いてたんだよ。兄ちゃんは魔獣を手懐けられるくらいだから心配いらねぇだろうが、もしそこを通るなら気をつけろよ」
「そうか。忠告ご苦労。行くぞロクドト。その魔獣を見に行こう」
「うん」
「「「えっ⁉」」」
兄さんが何でもない事のように魔獣を見に行くと言い、私がそれに何の疑問も抱かずに肯定したものだから、見物人の何人かが驚いて声を上げた。
「わ、わざわざ見に行くのかい?」
「あんたは大丈夫かもしれないけど……」
「そっちの細っこい兄ちゃんは危ねぇんじゃねぇのか?」
(むっ……)
どうもこの格好は弱そうに見えるらしい。私の身体は男性に比べれば細く、体力も劣るが、それは単純な腕っぷしの話。魔法の力に性差は関係無い。
「わた……僕はこう見えても、魔法の腕はそれなりのものだ。心配には及ばない」
「本当に大丈夫か? 無理して強がってるように聞こえるぞ?」
「うっ……」
強そうに聞こえるよう、なるべく低い声を出してみたのだが、どうやらそれが無理をしているように聞こえてしまったようだ。不覚。
しかし兄さんがすかさず助け舟を出してくれた。
「強がりではないぞ。弟の魔法の腕は確かなものだ。クルールィ……この魔獣とも互角に戦える」
(兄さんそれはちょっと言い過ぎ……)
クルールィ相手に戦った時は、クルールィを傷つけたくないのもあって本気を出していなかったし、クルールィも明らかに本気ではなかった。だから互角に戦えるとも何とも言い難いのだが……兄さんに褒められるのは嬉しい。私はどうだと言わんばかりに胸を張った。見物人達に疑わし気な目を向けられはしたが。
「その話が嘘でも本当でも、そっちのデカい兄ちゃんと一緒なら大丈夫かもしんねぇが、十分用心しろよ」
「ああ。用心すべきはワタシ達ではなく、森に出た魔獣の方だろうがな」
行くぞ、と言って兄さんはクルールィに先に跨り、私の手を引っ張ってクルールィに乗せてくれた。クルールィがとことこと歩き始めると、見物人達は道を開ける様に左右に散らばった。
「北西の暗がり森だと言ったな。日暮れ前には安心して通行できるようにしておく」
「それはありがたいが、あそこはいつ日が暮れたんだか分からねぇような場所だ。気づいたら日が昇ってた、なんて事にならねぇよう、気をつけろよ」
「ああ」
兄さんはそれだけ言って、クルールィを前に進めさせた。去っていく私達を、見物人達は心配そうな眼差しで見送った。
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