第9話 父さん

「スティルお嬢様、いらっしゃいますか?」


 扉を叩く音と、ヴァンスの声が聞こえてきた。焦っているような声だ。


「ここにいる。何か用なの、ヴァンス」


 扉の向こうに問いかけると、少し間を置いてから答えが返ってきた。


「用があるのは……旦那様です」


「っ」


 どうしよう。兄さんに連れていかれた時、父さんは怒っていた。まだ怒っているに違いない。私を叱りに来たのだ。


「大丈夫だ。ワタシがついている。お前をあの場から連れ出したのはワタシなんだから、ワタシが矢面に立つ」


「うん……。ありがとう、兄さん」


 ソファから立ち上がった私達は、一緒に扉の前まで行った。兄さんが扉を開けると、その先には困惑顔のヴァンスと、案の定未だ怒りが冷めやらぬ様子の父さんがいた。


「婚約の解消でも決めたか?」


 開口一番に兄さんが言ったが、父さんはそれを無視して私に話し掛けた。


「スティル。お前も今日で十六歳だ。兄とは言え婚約者でもない男の部屋に入るのはよせ」


「ワタシが入れたんだ。スティルを責めるな」


「私はスティルと会話しているのだ。お前は黙っていろ」


「ふん。何が会話だ。上からものを言って、言いなりにさせようとしているだけのくせに」


「ほう。お前はそうではないと言うのか?」


 兄さんと父さんの間で、比喩ではなく火花が散る。このままでは最悪の場合、火事になりかねない。私は二人の間に割って入った。


「お父様。淑女としての慎みが無い行動をした事をお詫びします」


「スティル。お前が謝る事では」


「ですが」


 私を制しようとした兄さんを遮った。


「今の私にとって、お兄様と一緒にいる事が幸せなのは事実です。それを訂正する気はありません。私がそれを幸福と思う限り、私はお兄様の部屋に入ります。そもそも何故婚約者ではないから、というだけの理由でお兄様の部屋に入ってはいけないのですか」


 私は毅然とした態度で父さんに立ち向かった。だが父さんはそんな私を見て、軽く鼻で笑った。


「その様に父親に向かって口答えをするようになるからだ。それにもし婚姻前に婚約者でもない男と抱き合ったという噂でも流れれば、お前の価値が下がる」


「価値だと? お前は己の娘を一人の人間ではなく、商品だとでも思っているのか?」


「まったく。お前は少しくらい黙っている事はできないのか? お前がそんな出来損ないだから、妹のスティルにまで悪影響が及んでいるのだぞ」


「出来損ないだと?」


 兄さんが、低く、唸るような声で言うと同時に、兄さんの周りの魔力が鋭さを増した。


「ワタシの理論を理解できない奴に出来損ない呼ばわりされる日が来るとはな。偉そうな口を利く事しかできない奴の方こそ出来損ないではないのか? その頭の中に脳みそが本当に詰まっているのか今ここで調べてやろう」


 そう言って兄さんが手を上げると、兄さんの纏う魔力がそれに呼応するように父さんの頭目掛けて迸る。父さんの頭を開く気かと思ったが、本気ではない。その証拠に父さんはやすやすと兄さんの攻撃を無効化させた。


「くだらん茶番はよせ。大方ヴァンセートに遠慮して本気を出していないのだろうが、その様な甘さがあるから出来損ないなのだ。使用人など代わりはいくらでもいる」


「彼女は一人しかいない。彼女の代わりなど一人も存在しない」


「お前らしくもない発言だな。使用人に情でも沸いたか。それともお前達は出来上がっているとでも言うのか? 使用人と結婚するのは許さんぞ」


「くだらないのはどっちだこの老いぼれめ。彼女はスティルにとって大切な存在だ。兄として、妹が大切にしているものを守る事の何が悪い」


「確かにお前の名前のロクィルは、アドゥルスクの戦いの際にかの女神スティル様を魔王ディサエルの攻撃から守って死に、スティル様のお名前から一部拝借して英雄としての名前をつけられた騎士から取ったものだ。だが、今ヴァンセートを危険に晒させようとしたのは誰だ? お前だろう。それにも関わらずお前は守るだ何だと言って、騎士にでもなったつもりか? だから私はくだらん茶番はよせと言っているのだ」


 兄さんは歯噛みをした。何も言い返せなくなってしまったのだ。


「分かったのならお前は現実を見て、医者になる為のではなく、当主になる為の勉強をし、我が家に迎え入れるに相応しい貴族の娘でも探す事だ。スティル。お前はこれからイズヴェラードの屋敷に行け。外に馬車を待たせている。すぐに支度をしろ。一人では不安だと言うならヴァンセートを連れていっても構わん」


「……」


「返事は」


「……分かりました、お父様」


 父さんは最後に兄さんを一睨みして去っていくと、後には重い沈黙だけが残った。その沈黙の間を縫うように、兄さんが深い溜息をついた。


「すまないな、二人共。迷惑を掛けた。ヴァンセート、スティルの支度の手伝いをしてやってくれ。スティル、出掛ける前にワタシの部屋に寄ってくれ。渡したいものがある」


「それなら、今渡してくれれば」


「すまない。少しの間、一人にさせてくれ」


「……うん」


 怒り、憎しみ、敗北感、自己嫌悪……。そうした感情が兄さんの顔に表れている。私は兄さんの気持ちを汲み、ヴァンスと一緒に自分の部屋へ向かった。


 今日は、良い誕生日にはならなさそうだ。

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