第2章 ロクィル

第1話 過ち

(……汚いな)


 奴らの死体を見た感想は、それだけだった。


 汚い。ただただ汚い。元々綺麗な人間ではなかったのだから、死んでも汚いのは当たり前だ。解剖すれば少しはマシになるだろうか。……いや、こんな奴ら、解剖する価値も無い。さっさと適当な場所に捨てるに限る。この森の中ならいくらでも適した場所が見つかるだろう。道から外れた所なら問題ない。


 だがこんな奴らの処置は後でいい。今はスティルを励ましてやった方がいい。妹もこんな汚い死体は見たくないのだろう。先程から姿を消している。やはりあいつにとっては酷だったか。一人で行く、とは言っていたが、一緒にいてやった方がよかったかもしれない。だがそれでは妹の意思を無下にしてしまう。あいつの意思はなるべく尊重してやりたい。愚か者共はあいつの意思を尊重しようとはしないから、兄である私が尊重してやらねばならぬ。


「スティル。もう大丈夫だぞ」


 複数人の魔力がこの場に漂っているが、妹のものくらいすぐに分かる。姿を消していようが、妹の魔力はすぐに感知できる。今は後ろの茂みにでも隠れているのだろう。すぐにあいつの側にいって、抱き締めてやろう。そう思いながら、私は後ろを向いた。


「よく頑張ったな、スティ……ル……」


 それは、私が一番見たくない光景だった。


「あ……」


 それは、私が一番信じたくない事実だった。


「ああ……」


 それは、私が犯した一番の過ちだった。


「ああああああああああああああああああああ‼」


 何故だ。何故妹の四肢が千切れている⁉ あの腕は、あの足は、見紛う事なく妹のものだ。何故それが胴体から離れている⁉ 何故だ⁉ 私は奴らだけを殺すつもりだったのに、何故妹も同じ様に死んでいる⁉ そんな事があってはならないのに。あの愚か者共の事はどうでもいいが、妹にはまだ生きる権利があったというのに⁉ 何故だ何故だ何故だ何故だ⁉ 何故私は間違えた⁉ 何処で私は間違えた⁉ 何故今妹が死なねばならない⁉


 妹が、妹だったものが、見るも無残な状態で死んでいる。四肢は千切れ、白い肌は真っ赤な血で濡れている。黄金色の瞳は虚空を眺めている。半開きになった口も赤く染まっている。


「う……あ……」


 その姿はあまりにも、


「あ……はは……」


 あまりにも、美しすぎる。


「は、は……あ、はは……」


 嗚呼、こんな事気づきたくなかった。しかし気づいてしまった。その美しさに。奴らの死体とは大違いだ‼ 誰よりも美しい女神と同じ名前をつけられた妹。その妹の姿も美しいものだった。生きている人間の中で誰よりも美しいのが妹だと思っていた。それなのに、嗚呼。死んだ姿も美しいだなんて。気づきたくなかった。知りたくなかった。しかし見て、気づいてしまった。知ってしまった。私の心と身体が、妹の死体は他の何よりも美しいと訴えている。死体なんて見慣れているはずなのに。せいぜいが自分の腕が確かであるが故に切り開いた時に美しく感じていた程度なのに。無残な状態であるはずの妹の死体に美しさを感じるだなんて。嗚呼、身体は嫌と言う程正直だ。己の醜さに嫌悪する。


「うっ……は、あ……」


 妹が死んだ事の絶望と、その死体の美しさ。自分の未熟さと醜さ。それらが己の内側で渦を巻く。涙が溢れ出る程に悲しいのに、笑い声が漏れる程喜ばしい。己には人とは違う部分がある事を理解していたから逸脱し過ぎないように気をつけていたのに、“妹”という枷が外れただけでこんなにも人の道からも外れてしまうとは。ああ、クソ。おかしすぎるだろう妹の死体に興奮するなんて。


「すまない……すまない、スティル……」


 軽くなった妹の胴体を抱き上げる。妹の身体は冷たくなっている。その冷たさまでもが美しさを演出しているようだ。私は妹の頭を撫でた。抱き上げた際に私の手に付いた血が、妹の髪の毛にもべっとりと付いた。嗚呼、哀しい。そして美しい。私は妹の頭を撫でた時に妹が見せる、はにかんだ笑顔が好きだった。誰からも愛される妹の、私にしか見せない表情。それに優越感を覚える事もあった。誰からも疎まれる私を、妹は好いてくれた。とてもありがたい事だった。妹の笑顔を見る為ならどんな事でも頑張れた。でももうその笑顔は見られない。その瞳はもう私を映さない。この口はもう私を「兄さん」と呼んでくれない。その機会を奪ったのは、他ならぬ……私自身だ。


 ……いや、本当にそうか? 結果的にはそうだとしても、そもそもあの野蛮人共が妹を襲わなければこんな事にはならなかったはずだ。何故妹があんな奴らに汚されなければならんのだ。


 それにあのウェルグもだ。妹が襲われた日、妹は奴と出掛けていた。妹の話によれば、帰りの馬車の中で奴に襲われそうになったという。あんな狭い空間で自分よりも弱い立場にある人間を襲うなど言語道断。観劇後に奴は友人と会って二人だけで会話を交わしていたそうだが、その時に友人にそそのかされたのだろう。であればその友人も同罪だ。どちらも生きる価値は無い。


 原因はその日の事だけか? いや、否。もっと前からだ。奴がスティルを婚約者にしようなどと思わなければ、あの老いぼれがその話を承諾しなければ……。


「ああ……違う違う違う! クソッ! ワタシのせいだ! ワタシのせいで、スティルは……!」


 もっと早く、婚約の話が出るよりも前に、スティルを連れて家を出ていればよかったんだ。妹の望みは知っていたはずなのに。妹は私の隣にいる事を望んでいたのに。それなのに私は隣にいなかった。それどころかもっともらしい理由をつけて遠ざけようとした。こんな私といては真っ当な人生を歩めないと思って、普通の女性らしい人生を送るべきだと勝手に決めつけて、家を出て私と一緒に暮らしていてはあらぬ疑いを掛けられ妹が罪に問われる事を恐れて。医者になろうと思ったのは、幼いスティルが怪我を負って医者に診てもらった時、知らない人物に対して怖がっているのを見てならば自分が治してあげようと思ったからではなかったのか。そんな事も忘れてスティルを自分から遠ざけようとするとは、なんて愚かなんだ。


「すまない……すまない……」


 どれだけ赦しを乞おうとも、スティルはもう物言わぬモノとなった。その口が言葉を紡ぐ事は無い。こんな結末、誰も望んでいないというのに。


「すまなかった、スティル……」


 それでも私は、赦しを乞うように、妹の望みに応えるように、真っ赤な唇に自分のそれを重ね合わせた。


 私の生涯でたった一度の唇同士の接吻は、血と涙の味がした。

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